ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

久しぶりにお茶の稽古をした。

娘の結婚やお盆があって、三週間ぶりの稽古だった。
昨日の金曜日、居合の稽古も三週間ぶりだった。

母は体調がすぐれないので、従兄弟と二人で稽古した。
従兄弟は流し点前と洗い茶巾、 僕は洗い茶巾を二度したがまだ間違えてばかり、

茶庭の手入れが必要だ。 このままでは藪になる。

昨日はエッセイ教室、


アテナの銀貨                      中村克博


 マンスールは車座での夕食を終えると甲板下に下りて次郎の部屋をたずねた。次郎は眠っていた。二人のアラビアの女がそばに坐っていた。部屋はととのえられて先ほどの荒治療のあとは残っていなかった。小さな小窓から新鮮な潮風と穏やかな波の音が入っていた。一人の女は扇子を次郎に向けゆるやかな風を送っていた。マンスールはアラビアの女に何やら話した。女はほほえみながら、それに応えて自分たちの部屋にもどっていった。
 兵衛は次郎をのぞきマンスールに振り返って、
「眠っていますね」と小声で言った。
「モウ、アンシン…」とこたえた。
 それから少しの間、マンスールは座って様子を見ていたが、兵衛を残して船尾楼の自分の部屋に帰っていった。

高麗の海賊との小競り合いのさい別行動をとっていた二隻の僚船とふたたび出会ったのは夜が明けてまもない日の出前だった。兵衛が目覚めて甲板に出ると船尾楼の手すりにマンスールが見えた。
船尾楼に上がると聖福寺の二人の僧もいた。
「いい朝ですね、輸送船が見えます」
「都合よく出会えてなによりですね」
「夜明け前から船影は確かめていたようです」
「ジロウハ、ドウシテイマスカ」
「まだねむっています」
「次郎殿は部屋に一人ですか」と僧の一人がたずねた。
「いやいや、アラビアのおなごが二人、明け方から詰めております」
 ラッパが鳴った。合流した四隻は一列の縦隊になろうとしていた。船が接近すると水夫たちの動きが見えてきた。双方から大声でアラビア語が行き交った。先頭が大型の戦闘艦、つづいてマンスールの乗る旗艦、それから大型の輸送船二隻が航跡を重ねていった。右舷の海は朝日がまぶしくて、遠くの幾つかの島が黒く見えていた。左舷は水平線まで澄み渡り、うねりもなく波はおだやかだった。風は北よりの西風で二枚の大きな三角帆は右舷に引き込まれていた。
 兵衛が遠くをながめて、
「このまま順調にいけば二日ほどで威海に着きますね」
「風がこれ以上、北に振れなければいいですね」僧の一人がいった。
「それにしても、先に別れた二隻と都合よく出会えましたな」
「高麗の海賊の頭目が進路の助言をしてくれたようです」

 風にめぐまれ、マンスールの船団は二日後の朝、威海の入口にある劉公島が見える海域に到達した。金国の軍船、二隻に先導されていた。
 港には桟橋があったが大型船の係留はできないので、案内される場所に四隻のアラビア船はそれぞれ碇を入れた。入り江は西に深くて陸には平地が遠く広がり、北には大きな高い山がせまっていた。入り江の東側には劉公島が波風を防いで浮かび、海はおだやかだった。
 硫黄や木材、刀剣などの積荷を降ろすのに二日かかった。多くの艀が陸とアラビアの船の間を行き交って、夜明けから日没まで日のあるうちは休むことはなかった。陸では人力の荷車がそれらの貨物を運ぶ長い行列ができていた。
 山すそに大きな建物が建っている。ほかにも木立に隠れて家屋の屋根がいくつか見える。軍旗のような旗が時折はためいているので軍が駐留しているようだが姿は見えなかった。荷下ろしの様子を身なりの整った役人が見回っている。
 聖福寺の二人の僧とマンスールの部下が役場に出向いて入港と交易の手続を簡単に済ましていた。金の役人が乗船して来るたびに饗応の誘いがあるが、日本の扇子などの土産を手渡して丁寧に辞退していた。
 積荷が降ろし終わると、あくる日は休養にあてられた。天気がよく涼しくて、みんな思い思いにすごした。短時間だが少人数ずつの上陸も許された。陸ではイスラム人と金の人との身振り手振りのやり取りも見られた。マンスールはその様子を船尾楼の上からながめていた。聖福寺の僧が二人で高麗の海賊の頭目を連れ出して上陸しようとしていた。兵衛が気づいて、そわそわしていた。
 マンスールが兵衛に向かって、
「ショウフクジ、ノ、ソウ、キンノ、キャク、ツレテキマス」
「威海に市舶司はないので、金の役人の偉いやつですね」
「ソウデス、ソノマエニ、ジロウ、ミマイマショウ」

 二人は次郎の部屋に下りて行った。小さな窓からは日がさして風が通り、部屋は暗くはなかった。二人のアラビアの女が次郎のそばにいた。マンスールは女と何やらアラビア語で話していた。次郎が気配に気づいて目を開けた。
「ヨクネテ、ヨクタベ、ヨクダシタ、モウ、ダイジョウブ」
「まことに、かたじけなく思い…」と言って顔を赤らめた。
「そういえば、お二人はトカラの海で共に傷つき、ながいあいだ部屋を同じに治療されておったそうですね」
「ソウデス、ワタシハ、シリ、ジロウハ、カタデス」
「その折には、琉球老いたおなごが、下の世話をしたのですね。はは、は…」と兵衛が軽口をたたいた。
マンスールと次郎は兵衛の言葉を無視した。そう言った兵衛は、はたと我に返ったように遠い眼差しになった。自分自身も同じころ平戸の戦いで瀕死の重傷を負い、敵に捕らわれて治療を受けたときのことを思いだしていた。
あのときは平戸の年老いたおなごが寝ずの看病をしてくれた。それから、体が癒えてから大柄な年若い女将が供の侍を連れて何度も見舞ってくれた。やさしい言葉もかけてくれた。あれが平戸の姫だった。それが、どのような巡りあわせか源八郎為朝様の家来、戸次惟唯殿と夫婦になると言う。
「いかがした」と床に寝ている次郎の声がした。
「いや、戸次惟唯殿の婿入りはそろそろかと」

 マンスールは上甲板を一人で歩いていた。先ほど聖福寺の僧が帰艦して、金の招待客からの返事を知らされていた。先方からは五人がマンスールの船で夕餉をともにすることになった。お付の者が随行するのでその倍の人数になる。料理は金の方から食材の提供があり、料理人が三人、鍋や竃まで持ち込むという。マンスールの方でもアラビア料理の包丁や煮炊きがすでに厨房で始まっていた。上甲板に鄢い天幕が張られて饗応の準備ができていたが人数からすれば、かなり手狭だ。天幕は屋根だけにして囲いの幕はなかった。風通しはいいが中の様子は丸見えだった。思いもよらぬ大掛かりな会食になった。
 宴が始まろうとしていた。会場の上甲板には人があふれるほど賑わっていた。天幕には金の役人四人と軍人が一人、それにマンスールと副官のイヌブル、聖福寺の二人の僧と兵衛がいた。
 マンスールが立ちあがった。場が静まるのを待って、マンスールは回りを見渡して来賓に挨拶の言葉を述べはじめた。ペルシャ人のほかは何を言っているのか誰にもわからない。聖福寺の僧が適当な想像で南宋の言葉にして訳したが、金の女真族か韃靼かの人たちにそれが通じたのかは定かでなかった。
 金からは軍人が代表して謝辞をのべた。意外にも南宋で使う同じ言葉だった。聖福寺の僧がマンスールに大和の言葉で通訳したがどこまで理解できたかわからない。
「先祖は北宋に仕えた将軍の家系であります。このたびの交易に立ち会うため金王朝から派遣されました。南宋と金は長年争っておりましたが、現在まで友好な関係が四十年も続いており幸いに思います。ところが近ごろ、金ではタタル部族や契丹の反乱がたえず、さらに北のモンゴル高原では強大な勢力が脅威になりつつあります」
 ここで、金の軍人は一息入れて、透明な瑠璃の杯に水を注ぎ飲みほした。
 兵衛が横にいた手の空いている僧に、
「金の国に大量な硫黄や刀などの重要な戦略物資を送って、一千万枚もの宋銭を引き換えにするとは誰の知恵でしょうな」
「拙僧にわかりません、博多を出るときには決まっておったようです」
「一千万枚の銅銭の重さはどれほどでしょうな」
「さあ、一万貫ほどか…」
「それほどの銭、金の国には宋銭が埋まっておるのか」
「毎年、南宋は金の国に莫大な歳幣を貢いでおります。その一部でしょう」
 金国の将軍の演説はまだ続いていた。黒い天幕にはアラビアの料理、金の料理が運ばれていた。甲板にたむろするアラビアの水夫や兵士にはすでに料理を手にしてぱくついている者もいる。金国の随員たちや下級の役人たちも交じって身振り手振りで談笑がおきていた。誰も演説は聞いてはいなかった。
「なぜ、南宋は莫大な歳幣を払うのでしょうな」
「和平を銭で買っているのでしょう」
                          平成二十七年八月二十日