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貝原益軒を書こう 七六

貝原益軒を書こう 七十六                   中村克博

 

 

 平戸の船は日が落ちる前に厦門の港を出た。外海に出ても天気はよく月の夜空が明るかった。西の風が白波をちらほら見せていたが波はおだやかだった。三人は甲板にある船室で夜具にくるまっていた。三人とも話はしないがいつまでも眠れなかった。それでも、いつしか深い眠りについて朝になった。

東の空は朝日に染まってまぶしく遠くの海は黑く輝いていた。船から見えるのは海と空だけだった。波が高くなってうねりがあった。顔が風にあたると射すように冷たかった。これでも南の海かと思うほどだった。船はゆれて部屋の中では立つこともできない。三人とも部屋から出なかった。佳代は船酔いがつらかった。昼が過ぎて二日目の夜が来た。食欲はなく何も食べていなかったが夜はまた朝になっていた。

 

それから昼が過ぎて、海のうねりはおだやかになっていた。佳代は根岸や松下の足袋や手拭いを洗って干していた。室内にわたした紐に吊るした洗い物がゆれている。根岸は横になって肘を曲げ頭をささえていた。することもなく目を閉じたり開いたりしていた。

 佳代が根岸のようすを見て、

「朝勝さま、そんな恰好をしてごろごろしていては体に良くないですよ。外に出て素振りでもされればいいのに・・・」

 根岸は体を起こして胡坐をかいた。

「朝勝さま、などと呼ばれると、なんか妙な気がしますな。今までは根岸殿とかウジとか様とかをつけて姓で呼ばれておったので・・・」

 佳代が小さく笑いながら、

「はは、は、夫婦になるのに・・・、すぐに慣れますよ」

 根岸は小首をかしげて、

「実は根岸という名も、父上が黒田家に仕える前の姓で、黒田家からは信太と書いてシノダと言う姓を頂いております」

 佳代はおどろいて、

「へぇ、そうなのですか、では私は根岸佳代、または信太佳代、どちらになるのでしょうね」

 

 操舵室で船長と話をしていた松下が部屋に帰って来た。

「部屋はありがたいですな。操舵室は吹きっさらしで寒い、寒い」

 佳代が火鉢にかかった鉄瓶から湯をそそいで、

「ほどよく湯が沸いています。さむかったでしょう」といって、大ぶりな木椀を手わたした。

 松下は湯の入った木椀で手を温めながら船長からの話を二人に報告した。

「明後日には那覇に入港しますが、我らの上陸はできないようです。薩摩の琉球在番奉行から検閲役人が船に来て取り調べがあるようです」

 佳代がびっくりしたように、

「えっ、なんと・・・ 上陸もできないのですか」

「当初は長崎に入る予定でしたが、それが平戸にかわり、さらに琉球になりましたな。長崎奉行あての通行手形は用意しておったのですが、まして、琉球になるとは・・・」

 佳代が心配そうに、

「それで、積荷の交易はどうなります」

「それは、できそうです。船長はこれまでにも何度か琉球には来ておるようです。在番奉行所には二十人ほどの薩摩の役人がいて顔なじみも多いそうです。奉行とも面識があると言っとりました」

「それでは、私どもの品物も売れるし、琉球での買い付けもできるのですね」

「あ、いや、積荷は売ることができますし買うこともできますが、しかし、それを船で運んで大坂で売るとなれば幕府の通行手形が無くてはかないませんぞ」

 佳代は落胆した声をだして松下を見た。

「なんとも妙な、仕入れた商品は藩をまたいで商いするたびに手形がいるのですか、それでは、江戸幕府の治世は信長さまの楽市楽座には及びませんね」

 松下はこまった顔をして、

「信長公も太閤殿下もお膝下では楽市楽座でありましたが国をまたいでは自由取引ではありません。江戸幕府は五十数か所の関所があり各藩もそれぞれに関所はありますが通行手形が必ずいるわけではありません。わずかな通行料を払ったり、顔見せだけのところもあります。女人と鉄砲の出入りは厳しく制限されますが・・・」

 根岸は二人の話をじっと聞いていた。佳代が納得するように、

「そうですか、船での交易がきびしいのですね。陸路はいろいろ、あいまいなのですね」

 松下が話をそらすように、

「窓から、南の遠くに台湾の山が見えますよ。山頂は白く雪をかぶっているようです」

 根岸が右舷側の窓を少し開いた。冷たい風が吹き込んだ。

 佳代が根岸にくっつくように外をのぞいた。

 根岸が目を細めて、

「南の国でも雪が降って寒いのだな~」

佳代がつぶやいた。

「朝勝さま、京の陰陽寮の見立てでは年々気候が寒くなっていると・・・」

 

琉球が見えてきたのは夕方だった。風も波もおだやかで東のかなたに、かたむいた太陽が照らす緑の台地がひろがっていた。

静かな港に帆を降ろしながらゆっくり入っていった。特徴のある琉球の大型船が五、六隻も碇を下していた。手漕ぎの小舟が近づいてきた。船長は一人でその小舟に乗って岸壁に向かった。薩摩の役人と琉球の役人が四人ほどが待っていた。平戸の船長が役人たちと話をしているのが夕映えで赤く見えた。話は短時間で終わって船長は戻って来た。

船長が松下たちの船室にやって来た。

「日が暮れるので入港の手続は明朝になります」とつげた。

 佳代が船長を部屋にまねいた。

「どうぞ、おはいりください。おいしい嬉野のお茶があります」

 船長は部屋にとおされて、足を組んですわった。

「日本のお茶が飲めるとはありがたいですな」

 佳代はすでに銅製の急須にお湯をそそいで用意していた。

「上等のお茶です。湯は少しぬるめに、しばらく静かにして味をだします」

「は、はは、それは先日私が平戸から運んだ茶ですな」

「ほほ、そうでした。茶の入れ方も船長さんにおそわったのでしたね」

 船長は茶をごくりと一口飲んで、

「薩摩の役人も琉球の役人も顔見知りがおりましたよ。なつかしがっておった」

 佳代は急須を直接おだやかな炭火にかけて、

「それなら、上陸して近くを散策することはできませんか」

「そうですな。お願いしてみます」

 

 あくる日の朝、佳代と根岸と松下は港の近くを散歩していた。琉球の役人が一人、案内で一緒に歩いた。小さな食堂があった。四人は店内に入った。案内のすすめでチャンプルという簡単な料理を注文した。

 佳代が一口食べて、

厦門を出て久しぶりに陸でのおいしい料理をいただきますね」

 案内の琉球の役人が、

「豆腐や豚肉が冬の野菜と沖縄麺にからまって炒めてあります。この店ではごま油を使って炒めているようです。

 松下がうまそうに食べながら、

「この料理は厦門にもありませんな。長崎でも食べたことがない」

 沖縄の役人がうれしそうに、

「これは庶民の食べ物で、秋ごろなら苦瓜の入ったゴーヤチャンプルが人気です」

「沖縄には手の込んだ宮廷料理があるのですね」と松下がいった。

「そうです。明とは冊封朝貢の関係がありましたが明からの使節団を饗応するために琉球の料理が発展しました」

「そうですか、どんな料理でしょうな」

「どんな料理か、私はまだ見たこともないのです」

 

 あくる日、東の空が白むころ平戸の船は那覇の港をでた。交易品の積み下ろしはほとんどなかった。厦門で積み込んだ烏龍茶の大壺を十個降ろしただけだった。

 佳代が船長にたずねた。

厦門で積んだ荷を那覇で降ろさないのは大坂で売った方が高い値が付くからですが、琉球仕入れる物はたくさんありそうですが・・・」

 船長は松下のほうを見て、

「佳代さんは豪胆ですな。平戸の船が厦門からの物資を積んで大坂に入るのです。これは大罪です。それで琉球からの荷物を運んだことにしています。琉球は中継ぎ貿易の国で明の商品も扱うからです。それにこの船はタイの国で造船したもので、船の形が日本の船と違い、それだけでも不審がられます。松下殿がお持ちの通行手形は大坂町奉行が出した長崎奉行宛です。入国がうまくいくかは、松下殿が大坂の奉行への申し開きにかかっております」

 佳代は神妙に聞いていた。それでもまだ納得できない顔をしていた。

松下が佳代を見て、

「大丈夫ですよ。案ずることはありません。大坂奉行とは話ができます。それより、佳代殿、やっと大変な出来事も無事に終わりそうですな」

 根岸が松下と顔を合わせて頭を下げた。

 佳代は根岸のそばに行って左腕を抱きしめた。

令和六年二月二日