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はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

貝原益軒を書こう 七十九

 

貝原益軒を書こう 七十九            中村克博

 

 根岸と佳代それに松下は平戸の船の船長や船乗りたちに別れを告げて大坂奉行の小早船に乗りかえ大坂城に近い船着き場に送られた。三人はほとんど口をきくことはなかった。さきほどの平戸の船でおきた騒動をまだ引きずっていた。ときおり薄雲の間からさす朝の日差しが温かで顔に当たる風がここちよかった。城の石垣がだんだんと近くなって見上げるようになるころには気分が穏やかになっていた。

三人は船を下りた。松下はその足で大坂奉行所に出向き根岸と佳代は伝馬船に乗りかえて三十石船の駅に向かうことになる。

陽が雲に入って風がひんやりしていた。根岸と佳代は松下に別れの挨拶をしたあとも別れづらくて三人は無言で動かなかった。根岸と松下は互いにほほえんでもう一度かるく頭を下げた。すると佳代が二三歩すすんで両手で松下の左手をとった。たまっていた涙がぽたぽたと地面におちた。

松下は佳代の肩に右手でふれて、

「名残惜しいがきっとまた逢えますよ」といった。

 根岸が松下を見てさわやかな顔で、

「お達者で、ごきげんよう」といった。 

 

根岸と佳代は三十石舟の枡席にすわっていた。淀川の流れに逆らって曳舟人夫が五人ほどで曳いていた。船は道頓堀の船着き場に着いた。下船客が数人おりた。新しい客が乗り込んできた。そのなかに足のおぼつかない老女が娘に連れ添われていた。二人は根岸たちの枡にはいってきた。根岸と佳代は体をよせて席をあけた。

 佳代が思いだしたように、

「朝勝さま、あなた様に初めてお会いしたのはこのような三十石船で京に行く道中でございましたね。あれから、ほんとにいろんな出来事が・・・ 夢のようです」

昼になると、わんこ舟が近づいて船のまわりをまわってにぎやかな掛け声をだしながらおにぎりや弁当を売っていた。

佳代がうれしそうに、

「ひさしぶりの日本の食事ですから、たくさん買いすぎましたね」

 根岸は梅干しのはいったおにぎりをほおばって、

「いやいや、これくらいが丁度いい」とうれしそうだ。

 

 船は枚方に着いた。佳代はここで下船して、父の宗州が枚方に持っている屋敷にとどまる。屋敷を取り仕切る中年の女はよねといった。三十石船に乗ってから根岸はよねのことが頭から離れない。会いたいと思うが佳代がいるし、行けば泊まることになる。心のうちは会いたいのは山々だが屋敷にあがればややこしい時の過ごし方になる。それで根岸は立ち寄らないことにした。どのように佳代にそのことを伝えるか根岸は考えていた。日差しはあたたかい。佳代はなつかしそうに船からの景色を見ている。

枚方が近くになった根岸は佳代に口をひらいた。

「身共は役目がら一刻も早く京の黒田藩邸に出向いてこのたびの出来事のあらましを家老に報告しなければなりません。それが務めのめりはりです」

藪から棒に話しかける根岸に佳代は、

「しかし、およねさんにも早く無事だったことを知らせねばなりませんよ。それに父の宗州はどこにいるか分からないし、堺の自宅かもしれません。枚方のお屋敷においでならいいのですが、京の町家にいるやら・・・ およねさんに会えばそれがわかるはずですよ」

根岸は額を右手の指でかきながら、

「いずれにしても早く二人に無事に帰ったことを知らせたい。それを佳代さんにひきうけてもらいたい。拙者はお役目がある。それに京の久兵衛殿にも早く会っていろんな話がしたい」

雲行きがかわって空は暗くなっていた。同じようなやりとりがつづいて、佳代は、一緒に枚方の宗州屋敷に立ち寄ってその足で京に上りたい。それができないなら一緒にこのまま京に行くという。それはできない。

それでも、枚方に船が着くまえにどうにか佳代は根岸の言い分に納得した。

風が吹いて雨になりそうだった。

枚方に着いた。大勢の人に混じって佳代は下りた。佳代が岸辺で船の根岸を見ている。新しい客が乗りおえ船が岸をはなれていく。佳代は大きな風呂敷包みを右手にさげていた。二人担ぎの竹駕籠が佳代の側でまっていた。そのようすを見ている根岸の頭には中年女のよねの顔がうかんでいた。船を下りた佳代を一人にして離れるのもつらかった。複雑な自分の心にとまどっていた。気が重くなった。

船は岸から静かにはなれていった。佳代は大きな風呂敷包みを両手に持ちかえていた。おもそうだった。船が進んで佳代の姿が遠くに消えても根岸の複雑な胸苦しさはいつまでもきえなかった。行き交う船の数が多くなった。

 

おなじころ、京の久兵衛は下宿の部屋にいた。座卓の前で資料の書類や書き留めたものを整理していた。庭に履物の音がせわしくして下宿の娘がやって来た。手提げ篭をもっている。

縁側から声をかけ障子を開けてはいってきた。

「めずらしいお菓子をいただきましたので・・・」

 久兵衛は座をたって、

「そうですか、それはありがたい。お茶をいれましょう」

 娘はすわって籠から皿をだして菓子をのせながら、

「おもしろい形をしていますね。ご存じでしたか」

「いや、はじめてです。おひねり、巾着袋のようですね」

「むかし遣唐使が伝えた唐くだもので、千年の姿を、そのままだそうです」

 久兵衛は棚から茶箱をとりながら、

「せっかくのめずらしい茶菓子ですから抹茶を点てましょう」

 久兵衛は火桶の前に座って鉄瓶の湯を二つの茶碗に注いで温めた。

娘は庭の障子を背にして坐って、

「栗、柿、あんずの実を、かんぞう、あまづらで味付けしたこし餡を米粉と小麦粉の生地で金袋型に包み、八葉の蓮華を表す八つの結びで閉じ、上質な胡麻油で揚げると由緒書にありました」

 久兵衛は茶碗の茶筅ふりながら、

「どんな菓子でしょうね。きっと奈良時代の味がするのですね」

 久兵衛は娘に茶碗をだして今度は自分の茶を点てていた。

「サトさん、どうぞ先に味わってください」

 久兵衛に名前を呼ばれて嬉しそうだった。菓子には手をつけずにニコニコして久兵衛の所作をみている。久兵衛は少し多めに湯をついだ茶碗を口元に運んだ。

うまいと言った。

「サトさんもどうぞ」

 サトはニコニコしながら、

「ちかごろは、町の人もお茶道を習うことがひろまっています。菓子はお茶の前にいただくのではありませんか」

 久兵衛はゆるりと茶を飲んで、

「そうですか、いろんな作法があるようですね。サトさんと私は好きなように楽しんだらいいのでは・・・」

「そうですね、たのしくいただけばいいのですね」

 久兵衛奈良時代の菓子をつまんで半分口に入れて食べた。

「ほんとに、これは初めての味ですね」

 サトも皿の菓子を黒文字で切って口に入れた。

 

 二人は奈良時代の菓子を食べ茶を飲み終えた。サトは水屋に行って茶碗を洗ってもどってきた。久兵衛は先ほどのように書籍などの整理をしていた。

 サトは久兵衛の前に座卓ごしにすわって、

「きのうはお帰りが遅かったのですね。二条のお城ちかくの講習堂から御所のそばの尺五堂にうつられてから遅い日がおおくなりましたね」

 久兵衛は手を休めて、

「そうですね。尺五先生とも受講生同士とでも議論の時間が多くなりました。朱子学陽明学との違いなど・・・」

 サトは煎茶をいれて、湯呑を座卓に置いて、

「江戸の幕府は朱子学をひろめようとして、陽明学などをよく思っていないようですね。山鹿素行や熊沢蕃山などのえらい先生をいじめるのはなぜですか」

「えっ、そ、そのようなこと、どうしてサトさん、知っているのですか・・・」

「なぜって、久兵衛さんがサトにたまに話してくださっていますよ」

 久兵衛は湯のみのお茶をごくりと飲んで、

「幕府は国の英知を集めて必死になって国政の教義をつくっています。二度と戦国の世に戻さないためです。サトさん、考えはいろいろあっても、幕府の定めが唯一の正義です。それに逆らえば久兵衛切腹になります」

令和六年四月五日