大徳寺にいった。
有名な大名の塔頭が二十院あるそうだ。
江戸時代には六十をこえていたらしい。
観覧ができる塔頭だけでも、ゆっくり見ていたらたいへんだ。
黒田家の竜光庵は拝観謝絶。外からのぞくしかない。
伏見に行って十石舟で鴨川を下ってみた。
南禅寺に行った。社域のすべての寺を見てまわったら数日かかる。
先週の金曜日はエッセイ教室だった。
前回休んだので、二回分、長くなった。
貝原益軒を書こう 五十三 中村克博
日が落ちると西からの風はいよいよ強くなっていた。佳代たちは甲板下の船内にいた。船は大きくゆっくり揺れていた。ときどき大波が船べりをたたくと音がドーンとして床がもちあがる。赤子や小さな子供の泣き声があちこちから聞こえている。夕餉はまだ明るいうちに外の甲板で済ませていたが佳代は胃がむかむかしていた。
床に横になって目をとじた。船酔いのとき頭を直接床につけて仰向けになるのがいいことは知っていたが腕枕にして横になっていた。低い天井につられたカンテラの明かりがゆれて物の影がゆらゆらしている。見ていると気分がよけいに悪くなる。
おなじころ、京都にいる久兵衛は自分の部屋で書物を読んでいた。読みながら時折り顔をあげて考えたり、綴じ本を横にずらして巻紙に要所を書き写していた。書机の前には大きな蝋燭がのった一対の燭台が輝いて部屋中が明るかった。
風はないが遠くで雷鳴がしていた。お気に入りの緑青のふいた火鉢には小さな炭火が灰に埋もれて瓢箪形の茶釜の湯冷ましを温めていた。雷の音がしだいに大きくなってきた。風もでてきたようで庭木の枝が揺れて風が唸りだした。
障子の外が真昼のように明るく光ってドーン、バリバリッと近くに雷が落ちて地響きがした。久兵衛は咄嗟に体を屈めた。地震のように家が揺れた。バラバラ、ガラガラと屋根や庭先になにやらが一斉に降ってきた。雹が降っているようだ。母屋の娘サトのことが気になった。サトの両親は一昨日前から大坂の親戚を訪ねて留守をしている。老夫婦の使用人が住み込みでいるが心細いだろうと思った。
久兵衛は障子を少し開いて外を見た。雹が降っていたが先ほどの勢いはない。雷の音が遠のいていた。母屋を見ると明りはついておらず建物の影が暗闇にとけこんでいる。久兵衛はしばらく外を見ていた。風が冷たく感じられた。久兵衛は書机にもどって綴じ本をめくり巻紙に筆を走らせた。
庭から足音がする。久兵衛は机をはなれて障子をひらいた。サトの姿が見えた。提灯が足元を照らしていた。庭一面が白かった。雹が積もるほど降ったようだ。サトが白い地面を踏みしめるようにしてやって来た。久兵衛は障子を大きく開けた。安心したようなサトの笑顔が部屋からの明りに輝いて見えた。
板縁の前まで来ると、
「お学問しておいででしょう・・・ もうしわけありません」
サトはそう言って提灯の蝋燭をふき消した。
「お上がりください。また雹が降るかもしれません」
久兵衛は火鉢の近くに座布団をおいてサトを座らせた。
サトは笑顔はなくなって緊張しているようだった。
「先ほどは大きな雷が近くに落ちて、驚きました」
久兵衛は火鉢から茶釜を釜敷にうつして、火を灰から出して炭をたした。そして、ふたたび茶釜を火鉢に戻した。
「講習堂の尺五先生からいただいた緑茶があります。淹れ方も教わりました。まだ上手にはできませんが試してみましょう」
そう言いながら久兵衛は小さな土瓶に、枯れた葉の色をした茶葉をいれて茶釜の湯を柄杓で注いだ。
サトは物珍しそうに久兵衛の所作を見ていた。
「そのようなさめた湯で茶の煮だしができるのですか・・・」
「この湯は湯冷ましで、ぬるいので茶の味が出るのに間がいります」
さらに、久兵衛は話しはじめた。
「急須でお茶をいれるのは、まだ一般ではなされていませんが、淹茶(だしちゃ/えんちゃ)法と言うそうで、釜炒りした茶葉に熱湯を注いでしばらく待つという方法で、手間がかかりません。武家好みの抹茶とは違って気楽に茶を飲み交わすことができます。抹茶のように緑ではなく団茶のような煮だした茶の色ですね」
煎茶の湯色が現在のように緑になるのは江戸中期からと言う説がある。宇治田原湯屋谷の永谷宗円が新しい製茶法を研究していた。そこで茶葉を蒸してから手でもみ、乾かす青製煎茶(宇治製法)を編み出した。その販売を江戸の茶商・山本嘉兵衛に託した。この味も香りもよい緑のお茶は江戸で大人気となったらしい。
サトは興味ありげに、
「団茶やお抹茶の味は分かりますが、ぬるく淹れたのはどんな味でしょうね」
久兵衛は土瓶から湯呑に茶をそそいでいる。
そのようすを見ながらサトがはしゃぐように、
「オランダの船が平戸に商館をおいた翌年には日本の緑茶を自国に持ち帰ったそうですが、どのような飲みかたをするのでしょうね」
「さあ、どうでしょうね。牛の乳や砂糖を入れて飲むかもしれませんね」
久兵衛はサトの前に湯呑を置いた。サトは手に取って香りをかいでいる。
「なんとも、ホッとする香りで、おだやかなお味ですね」
「飲み残しの茶のように生ぬるいので慣れるまでは・・・」
サトはもう一口飲んで味合うように目を細めて、
「このように、まろやかな口さわりには少しぬるめがいいのでは・・・」
障子の外が光って遠くの雷鳴が聞こえてきた。少し間をおいてまた光った。
茶釜の湯が沸いてきたようだ。蓋の切られた間から湯気がでている。
久兵衛が蓋をとって湯をそそいだ。
「この湯加減で淹れると味が変わりますよ」
「茶の葉は取り替えなくてもいいのですか・・・」
「湯加減で茶の葉から出てくる養分が違ってくるようですね」
障子が光ってそう遠くない所に雷が落ちる音がした。
サトが久兵衛の方に体をかたむけてにじり寄るようにした。
「このお天気、カミナリ、いやですね。なんとかなりませんか」
「天候には逆らえませんね。こればかりはなんとも・・・
さあ、こんどの茶はどのようでしょうか」
サトは、こんども湯呑に顔を近づけて香りをかいで口をつけた。少し熱かったのか、はなした口をすぼめて、ふ~っと息を吹きかけた。
久兵衛はその口元をぼんやりと見つめていた。
サトが恥ずかしそうにした。
久兵衛は茶釜に顔をよせて火鉢の火に息を吹きかけ始めた。火の勢いがよくなって息を吹くたびにゴー、ゴーと炎の音がした。
灰が舞い上げって久兵衛にかかった。久兵衛はあわてて手で眉のあたりを払った。
サトがそれを見て笑いをかみしめていた。一口茶を飲んだ。
風が強くなったようだ。障子の隙間から風がヒューと吹き込んで蝋燭の炎を揺らした。二人の影がゆれ始めた。
「サト殿、こんどが仕舞の茶です。湯の音が聞こえてから淹れます。
苦みが出ますので甘味のある菓子があればいいのですが・・・
そうだ、そうだ、甘くはないが、いただいた大徳寺納豆がありますよ」
そう言って、久兵衛は奥の部屋から包み紙と小さな菓子盆を持ってきた。菓子盆に黑い粒をパラパラと小品よく盛ってサトの前に出した。
話はふたたび海の上にもどる。昨夜は一晩中船がゆれていたが、佳代はいつの間にか眠っていたようだ。船倉に窓はないが階段から外の明りが届いていた。
船倉の空気は重くよどんでいて、あちこちに食べたものを吐き戻した跡が目についた。その吐瀉物の匂いがよどんだ空気に混じっていて佳代は吐き気をもよおした。
佳代は外に出ようと階段を上った。佳代たちのいる船倉の上にもう一段の船倉があって、そこは船員や兵士の居場所になっていた。小さな窓が並んでいて、いくつかは開かれていた。風が吹き込んでいた。部屋の隅にまで明りが届いていた。兵士たちが武装したままで思いのままに雑然と横になって眠っていた。上の甲板に出るためにそのような兵士の間を歩いた。船がゆれるので注意して上り階段のそばに来た。椅子に座った番兵が二人いるが眠そうな髭面を佳代に向けただけだった。
佳代は甲板に出た。曇っていたが青い空も見えていた。
柳生の女が近づいてきた。
「昨夜は海が荒れて大変でしたね」
「ほんとに、どうなることかと・・・」
「今はいい風で船は南の方に向かってます」
「鬼界ヶ島は南にあるのですか」
「いえ、ここからは辰巳(南東)の方角ですが、風に合わせて船足を優先するようですね」
「南に行くほど気候は熱くなるそうですが、だいぶん南に来たのでしょうね」
「順調にいけば明日の今ごろには種子島が見えてくるそうですよ」
顔に覚えのある柳生の武士が二人船尾楼から下りてきて鄭成功の兵士を従えて甲板の下に下りて行った。船倉の日本人を甲板に出すらしい。海がうねって波が大きいので少人数ずつに分けて順次入れ替えるようだ。
柳生の女が佳代をうながして船尾楼の甲板につれていった。
海をみながら佳代を諭すように話しはじめた。
「鬼界ヶ島に着いたら硫黄を積み込んで、この船はそのまま鄭成功のいる明の国にむかいますが、そこで我らは薩摩の船で大坂に引き返します。
単刀直入に言いますが、佳代殿は国外に追放される罪びととは関りがないはず。我らと一緒に帰りましょう」
佳代は、なぜ自分の素性が柳生の女にわかったのか不思議だった。下を向いて黙っていた。柳生の女がつづけた。
「この機会を外すと、もう国には帰れませんよ。それに、密命を帯びて大切な勤めのある根岸殿の妨げになるとは思いませんか」
なんと、根岸とのことまで知っているようだ。
佳代は顔をあげて柳生の女を見すえて落ち着いた口調で言った。
「ほんとうに、ありがたいお話ではありますが、これには言い訳もできない深い因縁があります。なにとぞ私の思いをとおさせてください」
「どのような因縁でしょうね。根岸殿は武士です。武士に主命より大切なものがあるのですか、こたびの主命は江戸幕府がからんでおるのですよ」
「女子には、そのようなことより大切なことが・・・ あるとは、思いませんか」
柳生の女はそれを聞いて、たじろいたようだったが、
「そうですか、私は女を捨て、お国にささげた身で・・・ もう忘れました」
きっぱりと言ったが終わりの言葉が寂しげだった。
佳代の乗るジャンク船は鬼界ヶ島の湊に錨を入れていた。硫黄を積んだ数艘の艀が何度も行き来している。人が列を作って下の船倉に硫黄の麻袋を運び込んでいる。
佳代はいつの間にか艀に乗って陸にあがっていた。銀の小粒を艀の船頭に渡したようだ。柳生の女はそれを知っていた。
佳代は岸壁に接岸している小型のオランダ船に歩いていった。数日前に佳代の乗るジャンク船に近づいて追い払われた船だった。この船も硫黄を積み込んでいた。船が小さいので接岸できるようだ。
船を見上げていると船員が手招きする。ためらわずに硫黄を積み込む渡り板にのって船内に入った。船員に身振り手振りで頼み事をつげた。話が通じたようだった。
根岸の乗った大型のジャンク船は鬼界ヶ島の湊には入らずに沖で停泊していた。錨は降ろさずに二枚の帆を巧みに風に合わせてその場で漂う操船をしていた。僚船が硫黄を積み終えて湊を出るのを待っていた。佳代はオランダの船員が身につける大きな頭巾つきの外套を頭からスッポリ被って船倉の中に案内された。この場所で待つように指示された。気を失いたいほど不安だった。しかし、これでいいと思った。
ジャンク船が硫黄を積み終えると船は港を出て行くが柳生の女も武士もそれには乗らずに鬼界ヶ島に残る。そのあと直ぐに来る薩摩の船に乗って大坂に帰るのだが、佳代はその人たちと一緒に連れ帰る手はずだった。
令和四年六月十六日