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はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

奉納演武の稽古は見ていて楽しそうだ。

香椎宮、秋の例祭へ向けて、居合演武の奉納に準備たけなわだ。

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正坐で対面する状態からいきなり切りつける相手を制する。

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柄を制して、体を回り込んで鞘のコジリ近くを持って回転させるように倒す。

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 力はあまりかけなくて転ぶように相手を倒して刀を奪う。

来週、十月二十日の香椎宮の奉納はおもしろそうだ。

 

 

大きくなり過ぎた庭の木を伐採した。

家のまわりのスギやヒノキが大っきくなって日がさえぎられている。

人家の近くにある大木を切る専門の木こりさんたちが5日掛かった。

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とくに朝日が当たらなくなっている五本のスギを切ることになった。

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家が近いので根元から一度で切り倒すことが出来ない。

まず枝を落とすことから、根気のいる危険な作業だ。

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20メートル以上ある木に登ってチェーンソーで切るが、

枝も幹も少しずつ切ってロープでゆっくり降ろしている。

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大きな幹を高いところで切るのは特殊技能だ。

切った幹を三人がかりで数本のロープを使って降ろしていく。

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切った枝はユンボがつまんで運んでいた。

重機の入る場所はクレーンが使えるので仕事は早い。

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人が手作業で少しづつ切って日光が届くと明るくなった。

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持ち出せない丸太は山の中に広げて転がらないように置いていた。

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述べ5日掛かって作業は無事に終わりに近づいた。

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切株も丁寧に、切った小枝も鋸クズまで片づけていた。

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運び出せた丸太は短くしていた。いい建築材がとれそうだが・・・

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塩が盛ってある切株があった。

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門の脇の樫木はきれいに剪定してあった。

ツヅラ葛を採集に山を登った。

妻の花教室の生徒さんがツヅラ葛で籠を編むそうだ。

八木山を出発したときは雨が降っていたが

一時間ほど走った現地は晴れていた。すがすがしい山歩きだった。

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車を停めて、山に慣れた上川君の案内で一時間近く登った。

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来月のはじめ、籠を編む参加者が10人ほどらしい、

山の斜面にびっしりとカズラが張っていて採集は簡単だった。

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下りはスイスイと楽だった。カズラの量も十分らしい。

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帰りに別の山に入って大きな松ぼっくりを沢山採集した。

花教室ではクリスマスや正月の飾りに使うそうだ。

上川君は焚きつけに使うらしい。よく燃えるそうだ。

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八木山に帰り着いて5時前5分、あわててリンゴ園に走った。

大きなリンゴを買った。大きいが濃密でさっぱりして、おいしかった。
 

 

先週の金曜日はエッセイ教室。貝原益軒は13回目の連載になる。

 

貝原益軒を書こう 十三            中村克博

 

 

 夕餉を済ませて久兵衛と根岸は再び甲板に上がった。月が出ていた。風は冷たかったが食事部屋での慌ただしい熱気をさますのに心地よかった。船は順風で船足はおだやかだった。食事を済ませた武士たちがあちこちにたむろして月明かりの風景を眺めている。静かな話し声は聞こえるが騒ぐ者はいなかった。小豆島が右舷に見えていた。

 久兵衛が船尾の方、遠くの闇を見ながら、

「岡山は遠くになりましたね」

「岡山に立ち寄らなかったのがよほど心残りと見えるな」

「拙者の祖先が備前吉備津宮の神官であったそうで、できれば参詣したいと思っておりました」

「ほう、吉備津宮のな、鬼退治の桃太郎伝説で有名だ」

「はい、御竈殿には、御祭神により退治された鬼の首が埋められているという伝説があります。現在も鳴釜神事が執り行われ、御釜の鳴り具合によって吉凶禍福を占うという神事だそうです。その霊験は天下に有名であります」

「この地は桃もうまいが、黍団子が有名だ」

「境内のすぐ近くに桃太郎に討伐された鬼、つまり温羅(うら)を祀る温羅神社があり、地元ではうらじゃ祭りといわれる温羅を慕うお祀りがあります。温羅の民は製鉄技術などを伝え、地元の人たちの発展にも貢献したとも言われています」

「ほう、そうか… 備前は昔から刀の産地だが神代の昔から鉄の技術は伝わっておったのか、そういえば貴公の差料は確か備前ではないのか」

「はい、備前長船七兵衛の尉祐定の作で元和三年の裏年紀がありますので、まだ新しいうぶ刃が残っています。このたび京に赴くため父に頂いたものです」

「ほう、そうか、明日の朝、顔を洗ってから拝見したいものだ」

「明朝は明石海峡を通過しますので船がゆれます」

「そうだったな、では、海峡を通って波が穏やかになってみせてくれ」

「はい、根岸様の差料はお父上から譲られたものですか」

「いや、父からは相州物をいただいておるが、いつもは肥前国忠吉の初代を差しておる」

 船は小豆島を抜けたようで風が変わって帆が音をたててしばたいた。水主たちが帆綱を操作して風に合わせている。進路も少し右舷の方に向けたような気がした。船足が速くなった。

「そのような名刀をいつも差しているのですか」

「そうだな、そなたの警固を申し付かっても、実戦のない世の中だからと思っていたが、昨夜のようなこともあれば考えねばならぬ」

「そうでしょう、どんな名刀でも切り結べば刃こぼれするでしょう」

「数合打ち合えば刃はノコギリのようだ。刃筋を外せば曲がるし折れることもある」 

「黒田の家中は備前長船を差す方が多いようですが、肥前の忠吉は少ないようですね」

「そのようだ。寛永十四年の島原・天草一揆に初陣したのだが、それを祝って黒田忠之公から頂いた我が家の家宝だ」

「そうですか、忠之公は名物好みのようですからね。博多の神屋宗湛から長政公の遺言と称して、名物茶入、博多文琳を黄金二千両と知行五百石と引き換えに召し上げられたことは茶人でなくとも有名な話です」

 月が上って時折り雲間に隠れるようになった。甲板にいた武士たちが部屋にもどりはじめた。二人に挨拶して通りすぎる。

 根岸は挨拶を丁寧に返して、

「太閤殿下からの所望をも固辞したという明から舶来の小壺だそうだな」

「拙者も以前、拝見したことがありますが丹波の茶入に色合いが似ておると思いました」

「ほう、そうか見たことがあるのか」

「はい、盆の上に乗せられたものを外見だけですが手をついて拝見しました」

「拙者は刀剣甲冑の類はときおり展覧されるさいに出かけておるが」

「博多文琳の文琳とは果物の林檎のことで茶入の形状分類ですが、私が見ますにこの茶入の外形は林檎というより肩衝にちかい。ずんぐりと丸みはありますが肩が平たく角ばって独特の形です」

「そうかなぁ、どこにでもありそうな、うどん屋の爪楊枝入れにも似たような小壺はあるが」

「そのようなことを、うかつに言うと咎めをうけますよ」

「はは、は、貴公に言われるとはおもしろい」

「お上に意見を具申するのは拙者のお役目、決して諫言ではなくとも、それで咎めをうければ致し方のないと心得ます」

「はは、そうむきになるな」

「黒田家のお家騒動は拙者の生まれる二年後、寛永九年の出来事ですが、黒田家筆頭家老栗山大善様の諫言が騒動の発端になるのですが、あれだけの騒動でお家は安泰、一人の死罪もなく、お上は名君に、諫言の最たるものですね」

「拙者にはわからん。体が冷えて来たな」

令和元年十月三日

 

金曜日夕方、大濠の警察体育館、居合の稽古

なんとも蒸し暑い夕方だった。

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宗家が高段者におもしろい技を教えていた。

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刀を合わせてせり合うと、急に力を抜いて柄頭で相手の顔面を突く、

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さらに、脳天から斬り下す技のようだ。

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合わせていた刀の力を抜くとそのまま柄が向きを変え顔面を打つらしいい。

見ていて簡単なような技ほど実際には難しいようだ。

 

中学時代の同級生とうなぎを食べに行った。

福岡一行と飯塚の人とが久留米に合流して先生を囲んだ。

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光永君が撮った写真が少し動くので不思議だ。初めて見た。

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大きなうなぎ屋だった。福岡と飯塚からは1時間、先生宅から30分の距離だった。

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幼い時代の友人たちとたまに会うのはいいもんだ。

秋になって今年もこの花が咲いた。

ふと見るとベランダに咲いていた。朝日に照らされていた。

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友人にもらったのだが、涼しくなると咲きはじめる。

昨日はエッセイ教室だった。人数がいつもの半分だった、さみしかった。

夕方の居合の稽古は休んだ。前日草刈りをして鎌で左人差し指を深く切った。

道場に行って宗家にその旨を話した。八木山の新米を届けて、そのまま引き返した。

 

貝原益軒を書こう 十二              中村克博

 

 

 黒砂糖やほかの交易品の積み込みは日の出とともに始まって一刻足らずで何事もなく完了したのだが、薩摩のジャンク船から小笠原藩への武士の朝餉の饗応の申し出があり、主だった面々がそちらへ出かけた。残留組は受け取った荷物をほどき検分して船蔵に積み込む作業に思ったより手間取った。久兵衛と根岸は残留組にまじって遅くなった握り飯を甲板の上で頬張った。饗応組がもどったのは朝日がかなり昇ってからだった。朝から強い酒を飲まされたようで顔の赤くなった武士たちが目に付いた。

小笠原藩の関船が丸亀藩に近い本島を出たのは正午に近かった。この日もほどよい西風でいい天気の航海だった。薩摩のジャンク船より一足先に出航したのだが豊島を過ぎるころに追い付かれ、小豆島の鮮やかな緑の山が夕日に照らされるころにはジャンク船の赤く染まった帆影は遠くに見えなくなっていた。日が沈むと風が変わって船がゆれた。甲板の上は帆の角度を調整するのに水主たちが慌ただしく働いていた。

 

久兵衛が根岸に言った。

「風が冷たい、下におりましょうか」

「そうだな、しかし、岡山に立ち寄らないのは残念だ」

「本島での出航が遅れて、予定が変わったのですね。このまま夜通し走り明け方には明石海峡を抜けるようです。潮目がいいのでしょうね」

「そういえば、岡山城天守台は安土城天主を模したものではないかと言われているそうだ」

「拙者は見たことがありませんが、外観は黒漆塗の下見板が特徴的で、烏城(うじょう)とも呼ばれるようですね」

「今の岡山城の主は池田光政公だが・・・」

儒教を信奉し陽明学者・熊沢蕃山様を招いて寛永十八年(一六四一年)には日の本初の藩校・花畠教場を開校しておられます。寛文十年(一六七〇年)にはこれまた日本初めて庶民の学校として閑谷学校も開くなど、教育と質素倹約を旨とする備前風といわれる風土をつくられておるようです」

池田光政公は水戸の徳川光圀公、会津保科正之公と並んで、三名君と称されているが・・・」

 

 二人は甲板を下りて船室に向かった。船では賄い方が夕餉の支度をしている。廊下には干物の魚を焼くにおいが漂っていた。歩きながら話は続いていたが根岸には気になっていることがあった。

 根岸が思い出したように、

鞆の浦で手合わせをした薩摩の武士は、どうなったのだろうな」

久兵衛は声を落として、

「今朝がた薩摩の船によばれた方々はいきさつを聞いたかもしれませんね」

「そうだろうが、拙者からたずねる事もできぬし、気になる」

「卑怯な振る舞いはなくとも切腹でしょうか、それと奄美の助かった一人はどうなるのかが心配です」

切腹は本人の判断でするものだ。奄美の者は薩摩が捕まえて、すべて露見するだろうが表には出せぬだろう」

久兵衛はうなずいて、魚を焼く匂いの方に鼻を向けながら、

「光政公は幕府が推奨し国学としていた朱子学を嫌われ、陽明学・心学を藩学として実践しておられます」

陽明学は自分の行動こそが大切であるとの教えだそうだな」

 久兵衛はうなずきながら、

「光政公は宗教面でも、神儒一致思想から神道を中心とする政策を取り、神仏分離を行なわれます」

「神儒一致思想とはなんだ」

儒家神道ともいいますが、神儒一致思想は林羅山によって唱えられ多くの儒学者に影響をあたえています。儒教の立場から神道を説く者は古くから存在しおります。北畠親房の『神皇正統記』や度会家行の『類聚神祇本源』などがそれで、清原宣賢神道説には宋学の理論が取り入れられています」

「う~む、むつかしいな、歩きながらでは意味が分からん」

「光政公はまた寺請制度を廃止し神道請制度を導入し、淫祠・邪教を嫌って神社合祀・寺院整理を行い、日蓮宗不受不施派を弾圧します。そのため備前法華宗は壊滅してしまう。しかし、こうした光政公の施政は幕府に疎んじられ、江戸では岡山藩謀反の噂が広まっておるようです」

「そうらしいな、この探査も貴殿に託された役目ではないのか」

武断政治は初代将軍徳川家康公から三代将軍徳川家光までの政道ですが家光公の時代には取り潰される藩が多く浪人が増え世間が騒然としております」

「まったく、そうだ、由井正雪の乱は昨年のことだ」

慶安の変とも言いますね。関ヶ原大坂の陣のあと多くの外様大名が取り潰されますが、その後、島原の乱を鎮圧した幕府はキリシタンの弾圧をさらに強化します。キリシタンと思わる大名や外様大名を徹底的に取り潰して、ますます浪人は増えます」

 根岸は合点したように、

「巷には多くの浪人があふれたのは、幕府から鎖国の方針が出され山田長政のように日本国外に出る道も断たれたことにもよるな。浪人の中には武士をあきらめ、百姓や町人になる者もいるだろうが、しかし、浪人の多くは御政道に不満を持つ者も多い、また盗賊や追剥に身を落とす者も存在しておる。まったく身につまされる思いだ。由井正雪はそうした浪人の支持を集めた、と言うよりは浪人救済を訴えることで御政道に自制を促そうとしたのかもしれぬな」

「そうかもしれませんね。幕府は増え続ける浪人に手を焼いております。いまも、いつ不満が暴発するか分からない状態です」

「その有様を、幕府の今後の動きを調べるのが貴公の仕事なのだろう」

 二人は部屋に着いた。賄い方が慌ただしく夕餉の膳を配置している。

令和元年九楽十九日

彼岸花が咲いた。

赤い花ならマンジュシャゲ曼珠沙華)、と言ういい方がある。f:id:glucklich:20190914183512g:plain

ヒガンバナ彼岸花)と言うと、同じ花なのにやはり彼岸花だ。

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白いのもある。のを近年知った。

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この白い花もたくさん咲いている。匂いがいい。

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今日も暑い、ノイバラが今年は沢山な実をつけている。

秋が深まると赤い色になる。赤くなるのが待ちどおしい。