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小説・貝原益軒を書こう完結の推敲 5

       貝原益軒を書こう                  中村克博

 

 

 先日、南禅寺の金地院をたずねてからひと月ほどたっていた。お盆もすぎていくつもの夏の行事も終わって蝉の声が秋をかんじるようになっていた。

 久兵衛は松永尺五と久しぶりに対面していた。受講場所が二条城の近くの講習堂から御所の南下の尺五堂にうつっていた。

尺五堂の茶室は母屋を離れ、ひなびた感じの茶庭をとおって藁ぶきの草庵があった。佐那が同席していた。

 

佐那は飲み干した茶碗を尺五に返して、

「お茶の味わいは、いただく場所でもかわるものですね」

 尺五は受けた茶碗の底を見ながら、

「そうですね、茶の味わいはいろいろあるようですね」

 部屋を夕方の風がとおりぬけて、蚊やりの煙の匂いがする。

 久兵衛は金寺院で見学してきた小堀遠州の八窓席の茶室について、どのような感想を報告すべきか、切り出せないでいた。

 久兵衛は不作法を承知で、床の花をみたり天井をながめ、窓の外をみて、

「この茶室は拝見しますに、金寺院の八窓席とは趣きが逆のように感じられます」

 尺五はうなづきながら、久兵衛をみて、

「そうですね。どのように違うとお考えですか」

 久兵衛はかるく頭を下げて、

「はい、こちらの造りは田舎の粗末な庵の心地です。柱は小さく不揃いで角に薄皮が残り、天井は竹皮、葦などで張り、土壁の塗り回し床など、利休様が望まれた領域かと思います」

「なるほど、それでは金寺院の八窓席はどのような造りですか」

 口頭試問にこたえる学生のように、

「はい小堀遠州公は、古田織部公の直弟子ですが流儀がちがいます。世情を先取りするのか、誘導するのか、独自の趣向があるように思います」

佐那が話にくわわって、

朱子学のいうところの父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。それに仁、義、智、信などがおもいだされ、家族とか国家を秩序づける狙いがあります」

 久兵衛が間をおいて尺五を見て、

「利休さまは、もとは宗易と名のっておられ、大きな屋敷を幾つも持っておられました。大坂城近くに大坂屋敷、聚楽第の中にも大名並みの屋敷が、さらに和泉の百舌鳥屋敷、京都大徳寺屋敷などがありました。

ところが、茶室はなぜか質素な作りの小間を好まれます。それも年月を重ね朽ちる変化を大切にされるようです。

使う道具も身近な茶碗や壺です。この取り組みは、禅につながる境地いや英知を求めるのか、

はたまた、極めた栄華との心の均衡を保つためなのか・・・ どうなのでしょうか」

尺五は応えず、おだやかな目をしていた。

 佐那が久兵衛を見て、

「利休さまの数寄屋の草庵は清貧と献身、イエスさまの教えのようです」

 久兵衛は困った顔をした。尺五を見て、

小堀遠州公は瀟洒、洗練、新鮮を感じますが、貴賤の分、自然の道理、変則と当意即妙を表明しておると・・・」

 尺五は黙って聞いていた。

待ちきれないように佐那が口をひらいた。

「利休さまと遠州公はもとめるものがちがうようです。方向が反対なのですね」

 久兵衛が尺五を見て、

「利休様は織田信長公の茶道指南役さらに太閤殿下とは政治の相談にも関わられたほどの栄華を極めた方です。それが貧のたたずみを求めたのは禅の修行と同じではないでしょうか」

 尺五が頭を上下したあと、問うように言った。

「たてよこ二尺あまりの躙り口をどう考えますか」

「はい、帯刀せず、被るものはなく頭をかがめ、亭主を仰ぐように見て、手をつかねばはいれません。おのずと、つつましく、へりくだり、無防備になります」

 尺五が考えるように、

「部屋も道具も粗末にして、人に権威も身分もなくして狭い部屋で相対すれば、どうなります」

 久兵衛が尺五をしかと見て、

「はい、狭い部屋にはいれば互いとの距離が息苦しいほど近くなります。互いに心を開かねば人格が低い方が圧倒されます。仮面を取ってさらけだすことを強要されます」

 佐那が思いついたような顔をして、

キリシタンの聖書に、狭い門よりはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広いとあります。それと・・・ 茶道にお金がかからねば、庶民にひろまります」

 久兵衛が佐那を見てなるほどという顔をした。

 尺五はさらに質問した。

小堀遠州公の茶の師である古田織部公が大坂の陣のあと徳川秀忠公に切腹させられます。豊臣方に内通していたとの嫌疑ですが、小堀遠州公はなぜ事前に助言できなかったのでしょうね」

 久兵衛は待っていたように

古田織部公は徳川秀忠公の茶頭でありました。有力大名との親交も多く型破りで人気者で影響力がある。それほどの人物が世の動きに疎いはずはなく先の先まで見ておられたと推察します」

「そうですか、ならば、なぜに嫌疑などを受けたのでしょうな」

 久兵衛はしばらく考えていたが、

古田織部公の四男、重行様が秀頼公に仕えていたことも一因ですが、織部様は海外との交易や商いを重視する考え、利休様も豊臣秀長公も太閤殿下が信頼していた商業を重要する側近です・・・ そのことと、なにか関連があるような気がするのですが、その先はまだ考えが及んでおりません」

そのとき、佐那がおそるおそる口をひらいた。

「大納言秀長様がお亡くなりになったあと、郡山のお城には金蔵いっぱいの金銀があったそうですね。秀頼さまの大坂城にはその何百倍もの金銀や財宝があって、それが天下騒乱のよりどころとなっていたと聞いております」

 考えるふうであった久兵衛が話しはじめた。

「徳川家は戦乱のない天下泰平の世を治める手立てを次々に実施しますが、戦さをしない武士の人倫として朱子学をひろめます」

 佐那が不思議そうに、

「武士の生きかたは庶民の見本になり、道徳の根底に朱子学があれば商いを卑しい行為だと世間は思うようになりはしませんか」

 久兵衛はなるほどと、

朱子学には商を蔑むような考えはありません。

織田信長公から太閤殿下に続く国家支配の基本は物流を握ること、その手段としての戦力です。

そして、その戦には、金が何よりも大切なことは身をもってわかっています。

そうですね、なのに、なぜ武士は金銭を蔑む嫌いがあるのでしょうね」

 尺五は嬉しそうに聞いていたが、

「貝原殿、いまの佐那殿の意見についてどのように考えますか」と言った。

 久兵衛は、はっ、とかしこまって、

「国家の経営は戦時も平時も理財の確保と使い方が根本で、徳川家がその主導を持ちます。

参勤交代は全国で二百以上の大名家が正妻と世継ぎを江戸に住まわせ、大名家の故郷はみな同じです。

その江戸住みの家臣団は五十万から百万人ほどになります。それに盆暮れに限らず大名家どうしの高価な贈答品が行き交います。

国元の特産品の発展にもなりますが、江戸は巨大な資金と物流が集まる消費の場所になります。

商いが、金銭が卑しいなどとは辻褄があいません」

佐那が話を閉めるように、

「徳川さまは各地の神社仏閣の修理や街道の整備などを大名に負担させ、それにオランダとの貿易を長崎の出島で独り占めされます。いけずですね」

 尺五が笑いながら、

「徳川家は日本中の金山や銀山を天領として、貨幣の鋳造と発行を独占しますね」

令和六年九月五日

原稿の校正もたのしみだ。

     原稿の校正もたのしみだ。             中村克博

 

 前回のエッセイ教室に「貝原益軒を書こう」の最終回を提出して僕の二冊目の小説を脱稿した。それからニ三日たって原稿の修正作業に取り掛かろうとしていた七月十三日、トランプ前大統領の暗殺未遂事件のニュースが飛び込んできた。

 とんでもないことが起きたと思った。それからユーチューブやテレビのニュースでこの事件の様相を知ろうとして時間をさいた。犯人はトランプが演説している場所から130メーター離れた建物の屋上から半自動式ライフルでトランプの右耳の上部を貫通した。他に一人の聴衆が死亡し、二人が重傷を負った。

 シークレットサービスの二人いた狙撃手は事前に屋上に腹這になっている犯人を把握して狙撃銃の照準を合わせていた様子が画像で見られた。トランプが右に顔を向けたとき右耳を撃たれた。なぜ右を向いたのか、銃声のした方向を見たのならトランプに当たった弾は二発目以降の弾になる。犯人が初弾を発射したときには、まだトランプは演台に隠れてはいなかった。

耳を撃たれてすぐにトランプは演台の陰に身をかがめた。シークレットサービスの狙撃手が犯人を射殺したのはその直後だったのか、犯人は射殺されるまでに八発の弾丸を射撃していたそうだが、その間にシークレットサービスの狙撃手は照準をつけたままで待っていたことになる。この間の情況は今後の調査で確認されるのだろう。

 銃を持った不審者が屋根にこっそり這い上がって、トランプを狙っているのがわかっているのに、なぜシークレットサービスは阻止しないのか・・・ 犯人が射殺されたあとで、数人の護衛が演壇に駆け上がってトランプを囲むように身を挺しても無駄な演技に見える。

 

アメリカでは訳の分からないことがおきる。メキシコの国境から不法移民がひと月で二〇万人をこえるそうだ。昨年は一年間で二百二十一万人がメキシコとの国境から不法入国したそうだ。メキシコ人、南米各地だけでなく中国からの不法難民も増えているそうだ。

内燃機関の自動車廃止の動きもそうだ。カルフォルニア州では二〇三五年までに規制する法案を選択している。ニューヨーク州など十二州が規制を検討しているらしい。これはCO2問題や地球温暖化問題に関連付けしているようだ。持続可能な再生エネルギーとして電気や水素を使うらしいから、SDGsとの連携、または関連ががあるようだ。似たものにLGBTqがあるが、これも僕には訳がわからんことだ。

コロナとコロナワクチンの接種もそうだ。これらの問題はどれをとっても、うかつに意見を言えない。親兄弟とでも家庭内でも話題にするのがむつかしい。家庭不和にもなりかねない。おかしいと思っても世間でみんながそうすることに同調しないといけないこともある。どうしたらいいか混乱する。

未だにマスクを装着するかしないかの判断もややこしい。三年以上もマスクをしていて、子供はどうやって友達の顔を認識しているのだろうか、きっとテレパシーの能力が発達しているのかも知れない。この夏の暑さでマスクとはこまったことだ。

 

手に負えない話はやめにして目の前の脱稿した小説の修正作業にもどろう。

 

貝原益軒を書きはじめよう」がこの小説を書きはじめたときの仮題だったが、物語が進行する途中で、益軒こと久兵衛からその護衛の剣士だった根岸の方が主人公になっていた。この題ではまずい。題の変更は後から考えることにして、まずは書き出しから修正後の文章を見てもらおうと思う。

エッセイ教室に提出した原稿は228,630文字もある。令和元年の今ごろに書きはじめているので五年にもなる。エッセイ教室で毎回、小説原稿の修正分を提出する訳にはいかないので、今回だけは報告です。

 

 

晴れてはいたが紫川に吹いている昼すぎの海風は冷たかった。常盤橋の人通りは多い。大きな船はこの橋から上流には上れない。川口の両岸には帆を降ろした弁財船がいくつも舳先を並べていた。どの船にも人の動きはあるが積荷の上げ下ろしはない。川辺に沿った通りに町屋が軒を連ね、ぽつぽつと茶屋がみえる。

茶屋の縁台に腰をおろしている久兵衛は皿の饅頭を手に取った。貝原益軒、字は子誠,通称は久兵衛。号は損軒,晩年に益軒と改めたとあるが、この物語では久兵衛を用いようと思う。

 

船溜まりを見ていた久兵衛は連れの武士に言った。

「船荷の積み下ろしは朝のうちに済ますようですね」

「そのようだ、どの船も赤間関の汐まちをしているようだな」

日差しがおだやかで暖かだった。桜の枝に蕾がふくらんで見える。

久兵衛は饅頭を食べながら、

「それにしても、お城の天守は立派ですね。南蛮造とかで空に届きそうだ」

「小笠原家は譜代大名だからな。権現様の血筋でもある」

そのとき、お茶をはこんでいた茶屋の老女が口をはさんだ。

「このお城は、前の殿様が、細川さまがお創りになったのでございますよ」

言いぐさが何やら誇らしげに聞こえた。

久兵衛が、

「ああ、そうでしたね。忠興公がバテレンの技術を取り入れたのですね」

それを聞いて茶屋の老女は、うろたえたか左手にした茶盆が傾いた。茶碗が滑って熱い茶が久兵衛の袴の膝にこぼれた。久兵衛の足元に茶碗が転がった。

「ああ、申し訳ありません。すぐに取り替えます」

老女は茶碗を拾って店の奥に小走りで入っていった。

 

「うかつでした、バテレンと言う言葉がさわったようですね」

「なんと、そうであったか」

細川忠興公が領国入りされた当時の小倉は、住民が七千たらずにキリシタンは二千人、この年だけで約四百人が洗礼を受けたと言います。ドン・ルイス・セルケイラ師が小倉を通過したときも厚遇されて、この年、もう一つ教会を建てたそうです」

「忠興公の奥方が明智光秀様の娘ガラシャ夫人だからな」

先ほどの老女がやってきた。お盆に茶碗と干菓子がのっている。先ほどの粗相を詫びて、そそくさと戻っていった。

 老女が店の奥へ去ったのを見とどけて連れの武士が言った。

「しかし、寛永九年(一六三二年)、細川氏に代わって小笠原氏が小倉に入部すると翌年の寛永十年には中浦ジュリアン神父が小倉城下で捕まり長崎送りになるな」

「そうです。中浦ジュリアンは長崎で穴吊りの拷問を受けますが改宗しないために殉教します。この拷問は深さ六尺ほどの穴に足を縛って逆さにされますが、耳に血抜き用の穴が開けられ、それで簡単に死ぬことはできません。棄教するか死ぬかです」

連れの武士は茶を一口飲んで、

「詳しいな。貴公はまだ生まれてもおらんだろうに・・・」

久兵衛は少し考えるように目をふせて、

「今年は承応元年(一六五二年)、私は二十二歳ですから、今より二十年ほど前の出来事です。江戸幕府キリシタン禁教令は何度も出ますが長政公は一早くご領内のキリシタン弾圧に乗り出だされます」

「おかしなことだ、長政公もお父上の如水公もキリシタンであったのに・・・」

久兵衛は入れかえてきた茶碗を手にして、

「そうです。如水公は慶長九年三月二十日、京都伏見藩邸でお亡くなりですが、死の間際、ご自分の「神の小羊」の祈祷文とロザリオを持ってこさせ、それを胸の上にして、 ご自分のなきがらは博多の神父の所へ運ぶように命じられたそうです」

神の子羊とは何だ」

キリシタンイエス・キリストのことをそう言うようです。神に捧げる生贄なのでしょう」

「生贄か。しかし、わからんな、如水公が亡くなられて十年もせずに、なぜ長政公は心変わりされたのか、先駆けてまで領内のキリシタンを弾圧されたのだろうな」

久兵衛は思いついたように、

岡本大八事件というのがあります。慶長十七年幕閣本多正純の与力でキリシタン岡本大八が、肥前キリシタン大名有馬晴信を偽って収賄し、大八は火刑、晴信も死罪に処された事件ですがこれが江戸幕府の禁教政策のきっかけになったと・・・」

「いや、いや、そのようなことで江戸幕府の政策大転換はあるまい。キリシタン禁教の徹底、長崎の出島の造成、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスの勢力争い、これらの国との交易による膨大な利潤、それらが何を意味するのかが鍵だな」

「私もそう思います。平戸オランダ商館は、慶長十四年(一六〇九年)に松浦隆信公によって平戸に設置さたのですが、五年後には慶長十八年に伴天連追放が将軍秀忠公から発令されます」

「それでも平戸オランダ商館は長崎の出島に移るまで三十年間も活動しておった」

「弘治元年(一五五五年)平戸にはキリシタンは五百人を超えていたそうです。百年も前のことです。平戸松浦の当主、松浦隆信公もインドの管区長へ宛てた手紙にご自分がキリシタンになるのも近いと言いっておられます。豊後からヴィレラ神父一行が平戸に到着するすると、十字架に向かう行列の前で四十人の銃手が並んで幾度か銃を撃ち、港ではポルトガル船が祝砲を発しと記録があります。江戸幕府が海外交易を独占するより百年も早いです」

久兵衛の足元で黒猫がニャーとないた。連れの武士が干菓子をつまんで投げた。鼻を近づけただけで、またニャーとないた。

「この茶屋の飼い猫かな」

「いや、ノラ猫が勝手に住み着いたようで、他にまだ二匹いますよ」

猫は連れの武士を見上げている。

「貴公は小倉に来て三日になるが忠真公にまだお目通りできぬのか」

「はい、まだですが明日はようやく、近習の人たちとご一緒のところで進講することになっております。」

「長老、重鎮方への進講はどうだったのだ」

「はい、二日のあいだ朝から夕方まで、長崎と平戸で二年あまりの探査報告ですが、オランダ人から直々に見聞きしたことに関心がおありでした」

老女がやってきた。

「冷えてきましたよ。夕餉には間がありますが、座敷にお上がりください」

「そうですね、根岸殿、いかがされます」

「いや、貴公は明日が大事、身共は体ならしに、お城をひと回りして帰ろう」

天守の白壁が夕日に染まっていた。黒猫がニャーとないた。

 

令和六年七月十八日

貝原益軒を書こう 八十五 

貝原益軒を書こう 八十五             中村克博

 

 根岸は京の黒田屋敷にいた。奥まった座敷に家老の立花重種と向き合って半時ほど話をしていた。先日、藩籍をはなれる趣旨の願書を差し出していた。その件についての話しだが今はほぼ雑談になっていた。廊下に人の気配がして障子の外から小姓の声がした。柳生の松下殿が参っておられます。との取次ぎだった。

 松下が部屋に入って、対座している根岸と立花に挨拶をした。根岸も松下に向かって両手をついて頭をさげた。根岸はいざって座を開け二人は並んで床の間を背にしている立花に対面した。

 

 家老の立花が根岸を見て、

「先ほどの話しだが、柳生の松下殿にご足労願った。御仁から直接に事態を聞かれるのがよかろうと思ってな・・・」

 松下が家老を見て両手をかるく畳につけて、

「根岸殿とは厦門に行くまで、それから大坂に帰るまでの数か月のあいだにいろんな話を交わしておりますので、ことさらに話すこともありませんが・・・」

 と、前置きをして話しはじめた。

「文禄三年五月、柳生石舟斎宗厳様が黒田長政公の仲介で家康公にまねかれます。その御前で宗厳様が無刀取りの技を披露された話は世間に伝わる通りです。これ以降、柳生宗矩様が徳川に出仕することになります。活人剣、剣禅一致など江戸幕府の兵法を確立します。考えをまとめた兵法家伝書は将軍家流儀のもとになります」

 家老の立花は胡坐をかいていた足を立膝にして、

徳川将軍家剣術指南役である柳生宗矩公は大和柳生の初代藩主であるが、さらに大目付として老中ならびに諸大名の監察をまかされておる。将軍家流儀となる柳生新陰流をひろめるため有力大名家には剣術師範を派遣しておる。わが黒田家には有地元勝殿が毛利家を経由して柳生の道場を開いておる」

 根岸がうつろな顔で聞いていたが、

「治まれる時乱を忘れざる、是兵法也。兵法は人をきるにはあらず悪をころす也」

 と、思い出すように口にした。

 松下がそれを受けて、

「宗矩公のお言葉ですね。ほかにも名言がいくつも残っています」

 根岸が松下を見て、

「治まれるとき・・・ 世が太平なとき戦の備えをしておけ、これは分かりますが兵法は人を斬るにあらず・・・ とはおかしな話です」

 松下は笑って、

「は、はは、ごもっともです。戦は敵味方が互いに正義をとなえるもの、互いの善が互いの悪をころすのですね」

 家老の立花が立膝を胡坐すわりにもどして、

「太平な世をつづけるには不穏な動きを見つけ、芽のうちに摘まねばならぬ。そのために諜報の仕組みと運用がある。そして芽を摘むために暗殺が大きな役割になる。正義とか善悪とかどうでもよい。芽が大きくなれば一人二人ころしても間に合わぬ。戦になる。そうすれば双方に大勢の死人がでる」

 根岸が家老を見て、

「では、由比正雪の乱を事前に察知して、それと関わりのある秋月黒田家の重臣を暗殺したのは・・・」

 家老は根岸に応えるように、

「江戸柳生には諜報を集める役目と運用する仕組みがある。それを集積し状況を分析すれば変化や大きさ、方向性がみえてくる。黒田家、剣術師範の有地勝元は江戸の指示を受けて我が藩に芽を摘むよう伝えたことになるな」

 根岸ははたとうなずいて、

「あのとき、ご家老は拙者に殺害の手筈を示されただけで理由はお教えになりませんでした。事をなしたあと二十両もの褒美をいただきましたので、それほど大層なことをしたことがわかりました」

 家老は申し訳なさそうに、

「暗殺の理由はあのとき言えなかった。いまでも極秘だ。しかし二十両は安上がりだな。黒田の高禄の家臣が関与していたとなれば江戸幕府からどのような処罰がなされたか、思えば背筋が凍りそうだ。それ以前にも黒田家は栗山大膳のお家騒動のおりに取り潰しの瀬戸に立たされた。

 そうだ、まだまだあるぞ、大坂の陣では黒田の重鎮であった後藤又兵衛基次殿が豊臣方にお味方して大阪城にはいり前線軍の指揮を任された。当然に徳川家からは黒田は豊臣方と内通しているのではとの疑いがかけられた」

 松下がうなずくように頭を上下して、

「そうですね。もし、このとき江戸柳生が機能しておれば、問題を芽の内に摘むことができたかも知れません」

 家老の立花が根岸を見て、

「家康公から秀忠公、家光公までに取り潰された大名家は一九八家、千六百十二万石になる。江戸幕府はまだ取り潰したいだろうが浪人問題もおきる」

 松下が根岸を見て、

「根岸殿、どうだろうな。我らを助けてはいただけないだろうか、貴殿のような打って付けの人材はいない」

「過分な評価でありがたいのですが、拙者は黒田家にいとま願いをだして、許されればいいなずけと一緒になって町人暮らしをしようと思っております」

 松下はおどろいて、

「なんと、では佳代さんのお父上の宗州殿から許しが出たのか、で・・・ それでは婿養子に・・・」

「いや、そうではありません。養子になる考えはありません。宗州殿には佳代殿をいただく話しはしましたが、まだご返答はありません」

「以前、厦門琉球かで貴公は、海外交易をすれば、おもしろそうだと、言われておったな。その話はどうなる」

「そうですが、海外交易は天下のご禁制、堺も博多も干上がっております」

松下は根岸と立花を交互に見て、

「しかし、ご家老もご存じのとおり博多でも松浦家の平戸でも宇久五島の福江藩、五島家でも対馬の宗家でもご禁制の交易を密かに続けております」

「そのようだな。大賀、島井、神屋など歴代の博多商人も直接ではないにしても中国、朝鮮、ルソンや安南、オランダ、インドと今でも往年のようにはいかぬが、それでも交易はしておる」

 松下は家老を見て、

「伊藤小左衛門をどのように見ておられますか、おそらく歴代の博多商人とは比較にならぬほどの商いぶりです。出雲や広島の鉄や武器の生産にかかわるだけでなく中国・朝鮮との密貿易、また、鄭成功とも何度も貿易をしております。それには刀や槍のほか鉄砲もふくまれます」

 家老は苦い顔になった。

「そのようだな。先代の忠之公が伊藤小左衛門に目をかけておられた。ご禁制の大型外洋船、鳳凰丸を建造して幕府にとがめられたこともあった」

江戸幕府は伊藤小左衛門のことは十分な諜報を得ております。いつでも摘発し詮議することができます。いつ表に出すかの状態ですが黒田家に累が及ばない手筈を考慮しなくてはなりません」

 根岸が動揺したようすで、

「拙者は伊藤小左衛門とは福岡におりましたおり何度か話したことがあります。それで武士をやめてあきんどになったら、いろいろ相談しようと思っておりました」

「それは、事前に分ってよかったですね。見せしめで大掛かりな事件になります」

 

 家老が廊下の障子に向かって、

「茶をもて」と声をかけた。

廊下には小姓が控えていたようだ。

「はい」と声がした。

隠密の話しを聞いてもいいような小姓らしい。すぐに煎茶が大きな湯呑にいれられてはこばれた。

家老が、

「話すぎたな。喉がかわいて・・・」といって音をたてて茶をすすった。

 根岸は茶を飲む気にもなれないようで、

「国外との交易は長崎の出島のほかはできないが、薩摩の琉球ではこれまでどおり、いや、いずれこれもどうなるかは・・・」

琉球から仕入れる物資は長崎を通すようになります」と松下が言った。

 家老の立花が根岸をみて、

「根岸、これまで通りに、黒田藩士として町人の身分で商いをしてはどうだ。博多の商品を大坂に運び、宗州を通して国中に流通させる。その過程で耳にし、見た世の中の諜報を江戸の柳生にわたす。柳生はこのようにして集まった諜報を精査し行政の方向性や長期の対策をたてる。どうだ」

 根岸は頭が混乱しているようだ。

「はっ、はい。商いについては女房の佳代さんに相談しなければ・・・」

「そうか、数年前の春の初めだったな。まだ寒いころ貝原久兵衛の護衛として京都につかわされて、今までにいろんな出来事があったな。それも今日で終わるか・・・ いや、新しい幕開けになるのだな」

 家老の立花は湯呑の茶をゆっくり飲んだ。

 

 三人の話合いは終わった。部屋を出る前に家老の立花が腰にしていた脇差を鞘ごと抜いて根岸に手渡した。

「この脇差はな、筑州左文字だ。本物かどうかはわからぬ。わしは気に入っておる。重ねがあつく、のたれで、馬の歯乱を焼き、焼幅に広狭がある作風だ。相州伝の沸の働きに覇気がある。小杢目肌がなんともいい。左文字には珍しい菖蒲造りで一尺五寸ほどもある」

 根岸はわたされた刀を両手で持って、たじろいだ。

 家老が「今日の記念だ」といって立ちあがり部屋を出た。

                        貝原益軒を書こう 完

 

 

貝原益軒を書こう 八十四  

貝原益軒を書こう 八十四              中村克博

 

 

 承応三年、黒田の二代藩主の忠之公が逝去した。黒田光之公が三代藩主を継いでニ年がすぎたある日、久兵衛は京都の黒田藩邸に呼び出された。七年間の浪人生活をすごしたが、許され藩医の処遇で再仕官する通知を受けた。

思えば長い浪人生活であったが長崎ではオランダの医師から医学を、京では松永尺五の塾に在籍して本草学や朱子学等を学んだ。この期間に木下順庵、山崎闇斎、向井元升、黒川道祐らと交友を深め徳川幕府の統治政策を研究した。七年の留学の費用はすべて藩からの官費でまかなわれていた。

 

 久兵衛は御所の南下の尺五堂に松永尺五を訪ねていた。黒田に再仕官することになった報告のためだった。六月の中旬をすぎていたが空は晴れ風が冷たかった。涼しくてすがすがしい朝だった。母屋の座敷でしばらく待っていた。行儀見習いの娘がきて奥の部屋に案内した。

 四畳半の茶室には風炉先屏風があるだけで茶道具はなかった。尺五は床を背に座って小さな文机に向かっていた。机の上に読みかけの書籍と呑みかけの湯呑があった。坪庭に障子が開いていて朝の木洩れ日がさしていた。

 久兵衛は部屋にはいるとあらためて深々とお辞儀をして、

「朝早くからお伺いしまして申し訳ありません。昨日黒田の藩邸から呼出しがありまして・・・」と子細な状況を話した。

 尺五は初めのうちは神妙に聞いていたが、久兵衛の話がおわると、うちとけたように笑顔になって飲みかけの茶を飲んだ。待ちかねていたようにして行儀見習いの女中さんたちが抹茶を点ててはこんだ。

 

 尺五が薄茶を飲み干した。茶碗の底を見て、

「茶玉がこんなに、貝原殿、申し訳ありませんな・・・」

 久兵衛は、いいえ、いいえと言いながら茶を飲んで、

茶筅の使いがたりなかったのですか、しかし、おいしいあじわいです」

「娘たちへの教え方がよくない。作法も実践の量、それと質ですね」

 久兵衛は茶を飲み干して遠い目で、

「そうですか、茶をあじわうとは、ほんとに奥深いことですね」

 

「ところで、貝原殿は福岡には戻らずに京から江戸に向かわれるのですね」

 久兵衛は意外だった。尺五は自分が黒田家に再仕官することも、医者の身分になってこのまま江戸に行くことも尺五すでに知っているではないか・・・

「はい、藩命で江戸に参りますが、家族や知人にも口外無用との沙汰があります」

 尺五はなんどもうなずいて、

「京で長年、見聞きし学ばれたことを江戸幕府の御膝元で、実際の世相にどのように表れているのかを肌で感じるのですね」

「詳しいことはまだ聞かされておりませんが。藩医として法衣で頭を丸めて江戸藩邸に、中屋敷に出頭するように命じられております」

「ほう、僧侶の格好で、それはまた念入りな、似合いそうですよ」

「帯刀しないので腰が軽くて、陸路を錫杖を携えて、よさそうです」

「道中の警護には根岸殿が同行されるのですか」

「いいえ、それが、根岸殿は藩籍をはなれるようで、願いを届けたようです」

「ほう、それはまた、どのような料簡をされたのかな」

 久兵衛脇差の柄に目を落として、

「世の中に戦がなくなり、刀を使うことはなくなります。根岸殿は武術で奉公する武道家ですから」

 尺五は笑って久兵衛を見て、

「これからの世、武士の武術は、武士の刀はどのようになると考えられますか」

「戦闘は山や川原、市街地や屋内、昼夜を問わず善悪もありません。これからの武士は殺し合いはしません。治安や行政に専念します。身を慎み質素倹約、心身を鍛錬して朱子学を実践するのでしょうか」

 尺五はさらに、同じ問いを、

「剣術はどうなるのでしょうね。腰の刀はどうします」

「そうですね。剣術はより精神性の高さを求めるようになるのでは、茶道やいけ花、能や狂言のような魂とか心の、とても遠くて深いものになるのでは・・・ そして、刀は得物ではなく勇気と奉仕精神のあかしで芸術性の高い武士の魂になります」

 尺五は笑顔がなくなっていた。困惑しているように、

「世の平和が永遠に続くのなら武術も武器も、伝統芸能になるのはいいが・・・ 世の平和を守るのは軍事力の進化発展と新しい情報の収集能力だと思いませんか、それも実践の質と量が成否、勝敗を決めると考えませんか」

 久兵衛は飲み干した京焼の茶碗を見つめて、

「今の我が国は・・・ 軍事でも金銀の産出でも保有でも、オランダやスペインを凌駕していますが・・・」

 久兵衛は話をとめて考え、またポツリと話しはじめた。

「彼らの征服欲には際限がないようです。スペインにポルトガル、それにイギリスもフランスもロシアもくわわり、互いに戦争します。西洋の白人は世界にはびこり、いずれ我が国と衝突するのでしょうか」

 襖の外に声がして濃茶が運ばれてきた。黒楽の茶碗だった。

 尺五が濃い茶を飲んで満足そうな顔をした。

「それはそうと、貝原殿はいつ江戸に立たれますか」

「は、今月中にはと思っています。他言を禁じられていますが、世話になった人に挨拶をどうしようかと・・・」

「じつは、佐那殿も江戸に行くことになってますのや。できれば貝原殿と同行できればと思っているのですか、お考えいただけませんか」

「なんと、そうですか、それは奇遇ですね。ありがたいお申し出です」

令和六年六月二十一日

貝原益軒を書こう 八十三 

貝原益軒を書こう 八十三              中村克博

 

 根岸は風呂から上がって奥の静かな座敷で布団に入っていた。朝日が上がって間もない。小鳥のさえずりが聞こえる。部屋は西向きで陽の光は遠いのだが障子を閉めても部屋は明るかった。竿縁天井の板目をしばらく眺めていた。意識して呼吸をゆっくり、吐く息を長くした。吐きながら数を十まで数えた。十二まで、十五まで、細く長く鼻から息をだした。次は十八 ・・・ そのうちに眠っていた。

 

 目がさめると枕元に飲み水がおかれていた。すでに陽はほぼ真上にあった。額をさわると汗ばんでいた。障子を開け広げた。縁側に出て手水鉢の水を柄杓にすくい顔を洗って口をすすいだ。枕元にもどって湯冷ましの水を湯呑に注いでふたたび縁側に出た。寝ている間に、いろんな思いが駆け巡っていた。断片を思いだしていると、頭の中でその欠けらがしだいにつながってきた。

 まず自分の身の振り方だが、脱藩して武士をやめることは問題なくできるだろう。長政公に仕えた根岸兎角の家禄の継承はしていない。父の兎角はいまだに行方知れずだ。黒田藩から合力金の支給は受けているが俸禄を食む正式な藩士ではない。

 次は世の動きだが・・・ 関ヶ原合戦のあと徳川家が代々征夷代将軍を拝命して全国の大名が主従を誓うことになった。三代将軍の家光公になって参勤交代が定着した。すべての大名の家族は郷里を同じくする江戸育ちになる。これでは国元はただの勤め先になる。

 二代将軍秀忠公の姫が後水尾天皇の皇后様になり徳川家は天皇家との姻戚関係を深める。武家諸法度で武士は無断結婚が禁じられた。大名の婚姻は幕府の許可がなければできない。公家との縁戚は厳禁とされた。

 武士は分をわきまえ、文武忠孝に励み、礼儀を正し、無欲で質素に民の見本となる生き方をするのが務めになる。文武の文とは朱子学を元に人倫を極めるのだろう。武とは仁、智、勇の基本精神で体力と戦闘技術の錬磨に励むのが務めだ。

 

 なるほど、簡単にいえばそういうことか、寝ているうちに徳川幕府の考えが理解できた。これなら戦のない平和な世の中が実現しそうだ。何百年も殺し合いの戦が続いて、やっと国がまとまった。戦のない平穏な国になるため国中の知恵を絞って学者や偉い先生たちが考えたのだろう。

 

 それにしても先ほどの朝風呂は気持ちよかった。久しぶりに湯船に浸かった。体がぬくもって、身も心もほぐれていった。顔の半分まで湯に入れた。人の気配がして湯殿の板戸を重そうに開いた。見覚えのない娘だった。背中を流しますと声をかけた。かわいいい顔をしてる。手拭いで髪をおおっていた。

 女将のおよねが来るかもしれないと、思っていたのだが・・・ 意外なことだった。

何と応えたものか、と思ううちに娘は湯殿にはいっていた。床に小さな木の盥を置いた。中にぬか袋と手拭いが見えた。娘は着物の裾をたくし上げ帯に挟んだ。白い脛が膝まででていた。

 根岸の背中を洗う娘に、

「女将は、いまどうしている」と聞いた。

 娘は湯舟の湯を汲んで背中を流しながら、

「女将さんは魚屋さんに出かけています」といった。

「ほう、魚を買いに行ったのか」

「はい、いつもは賄い方の女中さんが行くのですが・・・」

「魚屋は近いのか」

「 行って帰って半刻ほどです」

「一人で行ったのか」

 娘は左手を根岸の肩において、右手のぬか袋をゆっくり上下して、

「いえ、下男が二人で、一人が車を押しています。もうお帰りかと・・・」

 湯船の湯を背中にかけて、

「こちらを向いてください。前を洗います」

「なんと、前を向くのか・・・」

「ほほ、ほッ、お恥ずかしいのですか・・・」

 根岸は、いや。といって向きなおった。娘はチラッと目を落として、何事もないように顎から首、肩から胸を丁寧に洗っていった。

 

 夢うつつから縁側に座っている今にもどって、湯のみの水を飲み干した。昼の光がまぶしかった。

およねが顔を出した。茶菓子のおいしいのがあるらしい。お茶を点てるそうだ。廊下を案内されておよねについて行った。通されたのは三畳の台目の初めて見る茶室だった。うながされるまま床の前に胡坐で坐った。

大刀は置いてきたが、二尺近い脇差のコジリが畳についた。父譲りの備前長船康光だ。茶室に刀は持ち込めないが、およねは咎めない。それに・・・ そもそも茶を点てるのは武士のたしなみで三畳台目で女が点前座に座るのは聞いたことがないが近ごろは町人のあいだでは女子供も茶道の作法をまなんでいるようだ。

 鉄製の風炉に窯が湯音をたてていた。脇柱の奥に正坐したおよねが流れるような手つきでゆっくり茶を点てた。根岸は菓子鉢の重菓子をつまんで口にいれた。

 およねが茶杓で抹茶をすくいながら、

「根岸さまは武士をおやめになると言っておられましたが・・・」

 根岸は口の中の物を飲み込んで、

「そうだ。合戦はないのに刀は使うこともない。尋常に勝負する決闘も私闘で禁止される。刀は飾り物になるよ」

「武士をおやめになって、藩からいただく俸禄がなくていいのですか」

「このたび、台湾から厦門、そして琉球に行って考えたよ。日本でもう戦はない。これからは交易の時代だ。あの地で求めるものをかの地から運ぶ、小さな船を買う金子は藩からいただいた報奨金をためてある」

「外国との交易は幕府が長崎で行うほかはご法度なのではありませんか」

 根岸はおよねの言葉を聞き流すように、

「博多に行こうと思う。黒田の領地で知り合いの商人もいる。壱岐対馬、それに平戸では朝鮮や清や厦門と、オランダとも交易しとるよ」

「しかし、幕府が禁制したものを、いずれ断罪されますよ。それに、佳代さんと夫婦になる話も、どうされるのですか・・・」 

 根岸は茶をごくりと飲んで、

「それが、一番困っておる。身共は佳代殿の護衛をしておったおりに藩命でそのまま船に乗って厦門に行くことになった。それに佳代殿が忍んで付いて来てこうなった。指一本触れてはおらん。武士として節度はまもっておる」

「ほほ、それは、ご立派ですね」

 根岸は茶を飲み干して、

「身共は、およねさんが一緒になってくれれば、と思っているよ」

 およねは自分の茶を点てる手をしばらくとめて、

「私は佳代さんの母代わりですよ。それこそ節度が、人としての節度があります」

令和六年六月六日

貝原益軒を書こう八十二  

貝原益軒を書こう八十二              中村克博

 

 

 根岸は淀川を下っていた。船頭が一人の屋形船を雇っていた。根岸は褥の上に横になって夜着をかけていた。開けた障子窓から波間がちらちら光っていた。三日月は屋形の屋根で見えないが薄雲が流れていくのは月明りでわかった。

 二人の辻斬りを成敗して、黒田屋敷に結果を報告したあと鴨川で小舟を雇い伏見から淀川にはいっていた。

根岸は目が冴えていた。あの辻斬りの若者二人は譜代大名の家臣で高禄の子弟で勉学のために京に留学させられた者らしい。何の不自由もない恵まれた身分なのになぜ辻斬りなどしたのか・・・

 生け捕りにもできただろうが、斬れとの藩命だった。京の町での事件だから町奉行の仕事だし、大名の家臣が関係するなら京都所司代の役目かもと思うが・・・

 生け捕りは大勢の役人が目立つし、いずれにしても死罪だろう。

 元和偃武の平和な時代、事を大きくせず隠密に済ませたかったのだろう。それにしても黒田藩にばかり、いつも自分にこんな役目がくるのだろう・・・ いや、たぶん他の藩にも隠密な役目があるのかもしれない。世間に知れては困る事件は多いのだろう。   

役目を果たし、藩からはねぎらわれ存分の報奨金もいただいたが、なんともヤリキレナイ気分がしていた。障子窓に大きな影ができて舟がゆれた。三十石船が横を通りすぎていった。

 

 舟が岸についた。船頭が岸壁におりて舟を舫っている。枚方に着いたが月はまだ東の空にかたむいている。根岸は横になったままで夜明けをまった。

 

 枚方の宗州屋敷に歩いた。日の出前だが空は透き通るように明るかった。門を入ると玄関までの石畳に水がうってあった。松の新芽をつんでいた顔見知りの下男が脚立から下りて挨拶した。奥に駆けて行った。

 根岸が玄関に入いると、驚いたおよねが廊下をいそいで向かって来た。ぺたりと根岸の前に坐り込んだ。みるみる涙をうかべた。

根岸は頭をさげて、

「おそくなって、申し訳ない」といった。

 およねは立ちあがって、

「よかった、よかった。お食事の用意をすぐします」といった

 

 根岸は奥の座敷で食事をしていた。膳の上には味噌汁、たくあん漬け、板蒲鉾がのっていた。横に女将のおよねが座って大ぶりの湯呑にお茶をついでいる。

 根岸は厦門から帰国して初めておよねを訪ねていた。気が抜けたようにくつろいでいた。およねの側で炊き立ての白い飯をあじわって食った。こんな満ち足りた気持ちは初めてだった。まだ二人は話らしい話はしていなかった。

厦門に着くまでいろいろあった。五百人ほどの浪人武士とその家族を合わせると千人を超えていた。それを厦門鄭成功のもとに移動させるのが仕事だった。幕府の密命を黒田藩がうけて、それを藩命として根岸が一人で担うことになった。由比正雪の事件に関与した浪人たちで多くはキリシタンだった。

ところが、なんと佳代が移住浪人の家族にまぎれて乗り込んでいた。オランダの戦艦に襲われ台湾に連れていかれた。オランダが占有する台湾のゼーランディア城での出来事。厦門についてから鄭成功に移住浪人の武士たちを引き渡した。それからは帰国するまでの時期を厦門の町ですごした。それほど長い期間ではなかったのだが、日本を何年も離れていたような体験だった。 

その詳細はまだ、およねに話していない。

 

 根岸がご飯のおかわりをした。

 およねがうれしそうに木の椀を手にしてかるくよそった。

 根岸はご飯に湯吞のお茶をかけた。蒲鉾を箸でとって食べた。

「板蒲鉾をなぜガマの穂などと言うのだろうな」

 およねが少し考えて、

「はじめ、魚のすり身を竹に巻き付けて焼いたもので、形がガマ(蒲)の穂ににていたのでしょう。蒲の鉾、蒲鉾(かまぼこ)になったそうですよ」

根岸が、そうかと納得した顔をした。

およねが湯呑にお茶をつぎたしながら、

「お風呂に入りますか湯が沸いています」といった。

 食事をおえた根岸は、

「それは、ありがたい。いろいろ洗い流してすっきりできるようだ」

「そうですね。朝ぶろにゆっくり入って、疲れがとれるといいですね」

「そのあと、少し床にはいって眠りたいのだが・・・」

「かしこまりました。静かな部屋を用意しておきます」

 根岸は立ちあがって、およねを見た。

「じつは・・・ 身共は武士をやめて町人に転身することに決めたよ」といった。

 およねは姿勢をただして、

「なんと、それはまたとっさのお話で、どのようにお応えしたものか・・・」

「ここ枚方に来る途中の舟の中で決めたよ」

 およねは根岸が飲み残していた湯呑の茶をふたくちで飲んで、

「佳代さんは京におられますが、お会いになりましたか、そのことはまだ、ご存じないのですね」

「そうだ。決めたばかりだが、心の奥では以前から考慮しておったようだ」

「それでは佳代さんと夫婦になって宗州様の家督をお継ぎになるのですね」

「いいや、その考えはない」

「そうですか、いずれにしても大切な話です。お風呂に入って少し眠ってそれからゆっくり聞かせてください」

令和六年二十九日

貝原益軒を書こう 八十一

貝原益軒を書こう 八十一            中村克博

 久兵衛は尺五堂の奥まった座敷にいた。松永尺五を前に久兵衛と佐那それともう一人の若い武士がいた。座敷の障子は開かれて少し傾いた西の日差しが廊下を照らしていた。庭の木々の枝先に新しい若葉が風にゆれていた。

 久兵衛が若い武士の話を聞きながら畳の上に置かれた茶托から湯呑をとったが空になっているのに気づいてそっともどした。

 若い武士はうちとけた話しぶりで、

「ですから、われら旗本五千家で役目のない子弟は暇を持て余しておるものが多いのです。私のように京に留学できるのはまれです」

 両手の湯呑を膝の上においている佐那が、

「お役目のないことはつらいのでしょうね。戦のない世はありがたいのですが・・・」

 若い武士が頭をかるく上下して、

「そうです。数百年、代々、戦をするために武術を鍛錬して兵略を学んで実戦に備ておるのが使命だったものが、突然に生きていくための支えがなくなったのです」

 久兵衛が話題をそらすように、

「幕府がすすめる朱子学の奨励は、戦士としての武士の生きかたを戦のない時世にあうように、考えの基本を示し、ひろめるのでしょうか・・・」

 若い武士が頭をひねって、

「しかし、生きる道理をいくら言葉で学んでも実際にやることがなくては・・・」

 佐那がみんなに問うように、

「徳川家がすべての大名家を従えるのは朝廷の将軍としてです。太閤様は朝廷の関白太政大臣として日本の国を治めました。その前の源氏も平氏も朝廷に直属する軍です。朝廷は幾世代も戦やまつりごとにも関与しませんが、いまだに隠然とした力があるのはどうしてですか・・・」

 若い武士が困った顔をして、

「朝廷の五摂家など代々どのようにされているか私はわかりませんが、閑人の武士が歌舞伎や能の囃子の稽古をしたり茶道や歌にうつつを抜かしておっては・・・」

 久兵衛が同意するように、

「私のように親の代から黒田家の祐筆の役職をついで藩の経世につとめるものは戦がない世にも役割は多い。ありがたいことです」

 若い武士が尺五にうったえるように、

「武士が戦の心構えがなくなり幾世代も時代が過ぎれば国の戦力は衰えるのではありませんか・・・ 元寇のおり鎌倉武士は強かった。信長公や太閤様のころスペインやポルトガルは我が国の圧倒する戦力と豊かさを知って手出しできなかった。平和に浸り戦に備えなければ武術も戦術も兵器の進展もありません」

尺五が少し間をおいて、

「そうですね。言われることはもっともです。それで、久松様、貴殿はどのように考えておられる。大身の武家の役目のない若者にどのような生きがいを、戦をすれば兵は鍛えられ兵器も運用も進化するが、そのためにはどうするのですか」

 久松様と呼ばれた若い武士は、

「世相の問題はいろいろと指摘できますが、解決策は思い当たりません。その手立てを考えるために京に参ったのだと存じます」

 尺五は苦笑いをこらえて、

「そうですね、いま久松様は熊沢蕃山の所論を調べておられますね。幕府の施策とは正反対の考えもあり、幕府は困っておるようです」

 夕日が部屋の中に差し込んでいた。風が強くなったようだ。商家の行儀見習いの娘が二人で茶のおかわりを運んできた。

 若い武士は新しい湯呑を手に取って、

「そうです。なかでも蕃山先生の武士土着の考えは参勤交代や大名家の江戸定住に反対することになります。そもそも朱子学を批判する陽明学の信奉者です」

 

 そのころ根岸は京都所司代から派遣された役人の案内で、とある民家の納屋にいた。長らく誰も住んでいない古びた建物だがゴミなどはなく閑静としていた。陽が傾くと寒くなってきた。辻斬りを待って同じ場所で張り込み数日になる。

 根岸が案内の役人に声をかけた。

「今日で三日目だが、なぜここが次の現場になると思うのだ」

 役人の一人が小さな声でこたえた。

「私はこのお役目をいただいて半年です。いろんな調査をしましたが、ただ、感です」

 もう一人の役人が、

「出たようです。囮の老人が立ち止まりました」

 根岸はすでに襷をかけていた。素早く外に飛び出した。三人いる役人は納屋にとどまっていた。

根岸はゆっくり老人の前に出た。老人は姿をけした。根岸の前に武士がいる。その後ろにもう一人いた。二人とも大柄で端正な容姿で身拵えもよかった。

 目の前の武士が立ち止まった。根岸はゆっくり歩をすすめる。目の前の武士が抜刀して脇構えになった。柄頭を正面に切っ先を後に刀身は少し下がって見えない。根岸は刀を差したまま左の親指を鍔にあてていた。間合いが二間を切るころ脇構えの刀を頭上に引き上げ踏み出した。根岸の首筋に一撃がはしった。それを根岸は半身でかわし刀を横に抜きはらった。手首を返して柄頭を頭上に引き上げ体を沈めるように斬った。脳天から二つに割られた武士はその場に崩れ落ちた。

 次の武士が正眼に構えていた。根岸の剣の技量をまのあたりにして自分では到底かなわないと観念していた。根岸は右足を前に正眼から下段にゆっくりと切っ先を下した。相手の武士は正眼から八双に変えて構えた。根岸は半眼にして動かない。

根岸の左手が柄から離れ左足を前に右足と並んだ。両手は肩から自然に下がって切先は右手の地面をさしている。隙を作る誘いだが、相手の武士がその意図を見抜いてるのが根岸にわかった。覚悟の上だろう、八双から上段に振りかぶり根岸の頭上に斬りこんだ。同時に根岸は刃を上向きにして喉に突き出した。剣先が後頭から出ていた。丹精な顔がそのままおだやかな目を開いていた。古びた納屋から役人が出てきた。冷たい風が吹いていた。夕日はいつまでも西の空から沈まなかった。

令和六年五月十六日