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はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

確かな何かがここまで連れてきた

 

 

貝原益軒を書こう 四十二                中村克博

 

 

 久兵衛は松永尺五との面談を終え黒田屋敷に歩いた。家老に尺五との話を報告するためだったが家老は留守だった。京都所司代の板倉重宗に呼ばれて出かけているらしい。帰りを待っていると屋敷の中が慌ただしくなった。何事かを問うと家老が急用で京都所司代屋敷からそのまま伏見奉行所に向かうことになったらしい。そのため供回りの準備と御用船の手配で忙しいようだ。それでは家老を持っていても意味がない。どうしたものかと考えていたら、京都勤務の黒田家の重役がやってきた。

「貝原殿、講習堂での話はどうだった。それを聞くのを楽しみにしておったが、なにやら問題がおきたようだ。ご家老は伏見に出かける。根岸に同行せよとの御沙汰があった」

「えっ、そうですか。根岸殿はご家老から数日の休暇をいただいて半日の舟遊びを鴨川で楽しんでおります」

「なんと、あの根岸殿が舟遊びとは、愉快なことだ。それでは貝原殿、すぐさま根岸殿に御家老の下知を伝えて、鴨川を我らと一緒に御用船に乗って下るようにと」

「かしこまりました。まだ舟遊びからは戻っておらぬと思いますが、出会い次第すぐにつたえます」

「手違いが無いように、その方との伝言のやり取りに、ことづてを運ぶ者をつけよう」

 

 久兵衛は重役がつけてくれた伝令を二人従えて宗州の屋敷に急いだ。宗州に会うとこれまでの出来事を短く話した。宗州は事の重大さを察して、根岸殿は御用船の出航には間に合わない。戻りしだい早船を仕立てて伏見奉行所に向かうので御家老一行はすぐさま御用船で下られるようにとの判断をした。久兵衛は了解してその旨を伝令に言い含めて走らせた。

 伝令を受けた家老はすぐに御用船をだした。この船は途中で根岸の乗っていた屋形舟を追いこして伏見に急ぐあのときの早船であった。

 

 久兵衛は座敷で宗州と話をしながら黒田屋敷からの折り返しの伝令を待っていた。

「それにしても、いろんな事件が次々に起きて黒田のご家老はお忙しいですね。思えば、枚方からの船に柳生の武士たちが乗ってきたのが事の始まりのようです」

「そうですね、すべては由比正雪の事件にまつわる出来事・・・ と言うよりも、どの事件も根は同じところから出ていますね」

「同じ根ですか・・・ 大坂夏の陣で豊臣方が滅んで多くの浪人が世に出ますが、そのあとも大名の改易減封があいつぎ、数十万の浪人が巷にあふれ世情不安の根源になります」

 宗州は運ばれてきた抹茶を一口飲んで、

「多くの浪人が江戸や大坂それに京都に集まります。面倒なのはその中には多くのキリシタンがおることです。それらにポルトガルイエズス会、スペインのフランシスコ会が介入しようとします」

島原の乱ポルトガルキリシタンは壊滅したはずですが」

「スペインはルソンを侵略してフィリッピンと名を変えました。自国の皇太子フィリップ殿下の土地というのでしょう。家康公は、そのフィリッピンとスペイン領のメキシコとの中継地に浦賀をと望んでおられた。浦賀とメキシコは潮の流れも風の都合もいい」

 久兵衛は飲み干した茶碗を膝前に置いて、

「長崎はオランダが独占しております。スペインはメキシコとフィリッピンとの中継基地がほしいのですね」

「そうですね。浦賀あたりの良港はスペインが十分な測量をすましています」

「あわよくば、オランダを日本から追い出したいのでしょうね」

「それは難しいですね。オランダはもとスペイン領でしたが独立戦争を勝ち取りスペインよりも勢いがあります。バタビアを拠点にジョホールバル一帯を席巻しております」

「そうなのですか、バタビアはジャガトラとも言いますか」

「そうですね、バタビアはオランダ領東インドの城塞都市ですがそこの港をジャガトラ港と言います。じゃがたらお春のあのジャガトラです」

「お春の洗礼名はジェロニマでしたね。航海士のイタリア人を父に長崎町人の娘を母にして生まれましたが寛永十六年の第五次鎖国令でバタヴィアへ追放された。とても美しい悲運な少女の話ですね」

「いや、いや、そうでもないようですよ。じゃがたらお春は現地で平戸出身のオランダ人と結婚して裕福に暮らし何人かの奴隷も所有しているそうです」

「そうですか、奴隷を持っているのですか。そういえば、ジャガイモもジャガトラからオランダ船で長崎に、じゃがたら芋ですね」

 黒田屋敷から折り返しの伝令が帰ってきた。ご家老はひと足先に御用船で伏見に向かったことを伝えた。根岸殿が舟遊びから帰りしだいただちに伏見奉行所に出向くようにとのお達しがあった。

 

 そのころ、伏見にいる根岸たちに話をもどすと、

 佳代は見つけた翡翠の十字架を根岸の手にわたした。根岸は掌の上にある親指の爪ほどの十字架を見つめていた。深い緑の十字を金の覆輪が品よく縁どっている。 

 翡翠の十字架を返そうと左手を下に向けて佳代の前に出した。

「うつくしいものだな」

「根岸さま、その十字架は根岸さまがもっていてください。公家の女人にあったとき、そのとき根岸さまからかえしてあげてください」

 根岸はうなづいて翡翠の十字架を懐紙につつんで巾着の中に入れた。

 

 松の枝がのびている板塀に小さな勝手口があった。根岸が片開きの板戸に手をかけたが閉まっていた。軽く戸をたたいて声をかけても返事がない。正面にまわってみようと歩きだした。佳代がつづいた。舟方もついて来ている。

 表通りには古びているが板葺きの瀟洒な冠木門があった。門は大きく開いていた。表札はなかった。

 佳代が屋根を見て、

「鴨神社のご紋がみえます」と不思議そうに言った。

 根岸は佳代が見るほうへ顔をあげた。

「鬼瓦に二葉葵の紋章がみえるな」

 舟方が驚くようだが小さな声で、

「舟を襲った神人につながりましたな。なんという偶然でしょうかな」

 根岸がきっぱりと言った。

「偶然ではないよ。確かな何かがここまで連れてきたのだ」

 そういって根岸は屋敷に向かって歩いていった。二人があとに続いていそいだ。引き戸を大きく開けて中の土間に入った。すぐに男が一人出て来て縁台に片膝を突いてすわった。奥に数人の気配がした。

 根岸が口を開こうとしたら佳代が根岸の横にきて丁寧なお辞儀をした。

「おたずねしますが、お屋敷の前に翡翠の首飾りが落ちておりました。もしや、こちらのお方が落とされたものかと思いましてまいりました」

「それはどうも、ごていねいに、しかし当家のものではありません」

「それでも女性の方々にいちおう見ていただけませんか」

 根岸は巾着から翡翠の十字架を取り出して佳代に手渡した。佳代は受け取って縁台の男に手渡そうとしたが男は受け取らずに、

「かさねて申しますが、当方にそのような者はおりません、ただいま立て込んでおりますので、これで何とぞご容赦ください」

 そのとき、佳代のうしろから舟方が縁台の男を指さして、

「あ、あ~っ、そなたは、我らの舟を襲った、投網を投げた者ではないか」

 男は表情も変えずに、

「なんですと、滅相もない。いけぞんざいな言いよう、ひかえられよ」

 根岸が佳代を右手で制して後ろにさがらせた。

「ここに拉致された女人が連れ込まれたと推測いたす。屋敷内をあらためたい」

 縁台の男が立ちあがって、

「いきなりそのような無体な言いよう、できるものか」

 奥からどやどやと数人の男たちが出てきた。根岸は履物を脱がずに上がり框に足をかけると、縁台の勢いこんでいた男は二三歩引き下がった。

「上がらせてもらうぞ」と根岸が縁台に上がる。

根岸の動きに合わせるように前にいる男たちはとっさに二間ほど下がった。根岸は両手をさげたまま力をぬいて突っ立ち静かに腰を落とした。左手を刀の鍔元に右手は静かに柄に添えた。そのまま動かない。次の動作にうつるまでの頃合いの間だった。佳代にはその時間がすごく長く思えた。緊張で目の前が暗くなっていった。奥から音もなく手槍を持った男が二人出て来た。前にいる数人の男たちと入れ替わった。低くかまえ槍を二度しごいて根岸に向けて穂先をそろえた。

令和三年七月十五日