妻が知人に渋柿を送ったら干し柿になって戻ってきた。
自宅で渋柿をむいて軒先に干すのが夢だがまだできていない。
柿の葉もすっかり落ちて、赤い実がたくさん見える。
先日のエッセイ教室に提出した小説の原稿・・・
貝原益軒を書こう四十六 中村克博
鴨川からすでに桂川に入って帆走する早船の屋形の中で佳代が根岸に話しかける。
「鳥羽のお屋敷でお別れしたお公家の姫様は鴨神社にゆかりのある方だったのですね。由井正雪の事件とどのようにつながるのでしょうね」
「それは、分かりません」
佳代は考え込むように思い出すように、
「鳥羽のお屋敷で鴨神社の老女が、事態にはご公儀と雄藩が複雑に絡んでおり、浪人問題とイエズス会の影がある。と言われておりましたが・・・」
根岸はほほえんで、
「しかし、我らには関わりようもない雲の上のできごととも言われておった」
佳代はなげくような声で、
「黒田のご家老様から大坂に行くように、どのようなお達しがあったのですか」
根岸は返答にこまった。黒田の京都勤番家老から命じられたのは由井正雪の事件にかかわった五百人もの浪人を密かに鄭成功が支配する厦門近くまで送り届けることだが、そのようなことは口外できない。
「それは行ってみなければわかりません」
佳代は不安げな表情で屋形の障子窓を閉めはじめた。根岸も手伝いながら、
「屋形には夜具の用意がしてあるようだ。佳代殿は横になって暖かくされるがよい」
「体が冷えたようです。根岸さまも一緒に夜具にはいってくださりますのか」
根岸はからかわれたとは思わないが無視して、
「大坂まではまだまだ暇をつぶさねばなりません。体をおやすめください」
佳代は横になって夜具を顏の半分まで引き上げながら、
「すこし頭が痛みます。熱が出たようで寒気がします。すみません」
根岸は夜具をおさえて体との隙間がないようにした。額に手の甲をあてた。
「すこし熱があるようだが心配はないだろう。今日一日大変なことがいろいろあって疲れが出たのだと思う」と言って屋形から出て舵をとる船頭のところに行った。
冷たい風がふいていた。月は薄雲に隠れて見えないが川面は暗くはなかった。舟方たちは綿入れ袢纏を着て行きかう船と風の動きに気くばりしながら無言で手綱を出したり引いたりしていた。根岸は連れの女人に少し熱があるので屋形の中にいるが用事があればいつでも声をかけるように伝えた。
根岸は佳代のそばにもどった。頬に手をかざすと先ほどより熱を感じた。湯冷ましを飲むようにすすめるが欲しくないという。根岸は横に正坐して声をかけた。
「佳代どの・・・ 佳代殿、疲れを除いて元気を取り戻す方法があります。まず真っ直ぐ上向きに寝てください」
横臥していた佳代は夜具から顔を出して言われたように仰向きになった。部屋に灯りはなく顔の表情はわからなかった。
根岸は首のあたりの夜具をととのえながら、
「両足を伸ばして、両手は下腹にかるくあててください」
根岸は夜具の上から佳代の手の位置を確かめて、
「これからが大切です。ゆっくり息を吸います。はじめは三つ数えるほどに、慣れれば五つ数えるほど、むりなく、おだやかに息をします」
「鼻からですか、口からですか」と佳代の声がした。
「鼻からです。呼吸の仕方にはいく通りもありますが、今は鼻からです」
根岸は夜具を佳代の鼻を覆うように少し引き上げ、
「吐く息はできる限りゆっくりと、十数えるほど長く吐きます。無理はいけません。楽にゆっくりと、十が無理なら七つでも八つでのいいのです」
根岸は佳代の足元に移動して足袋の上から両足の指を一本一本丹念に揉み始めた。佳代が痛いと言って足を引こうとしたが、少々痛くても我慢するように言った。両足の足指の次に土踏まずを親指でもみほぐした。踵も手のひらで包み込むように強く握りしめるようにほぐした。佳代が息を吐きながら気持ちがいいと言った。
「根岸さま、ありがとうございます。体が温まるようです」
根岸は佳代の左右の足首から足の甲をさすり筋をなぞるように、腱をつかむようにしてほぐしていった。
「足先の血の巡りがよくなります。その血液は心の臓から送られています。足先の血の巡りがよくなれば身体中の隅々まで血が届くようになります。その様子を頭の中で思い描くことが肝要です」
佳代は先ほどより声の様子が元気になって、
「思うことは念じること、つうじるのですね」
根岸は佳代の意味を一瞬かんがえていたが、
「そうしておれば、いつか体で血の流れを感じるようになります」
根岸は佳代の左足先をゆっくり自分の方に伸ばして、同時に右足先は佳代の方に押し曲げた。この動きを左右いれかえて何度もくりかえした。
「この動きを佳代殿が一人でおこないます。動きに合わせて呼吸をしてください」
「何回ほどやるのですか」
「疲れるほどやってはいけません。休んでまた始めます」
「数はいかほどやるのですか」
「おもむくまま、感ずるままに、ゆっくりと、このときも呼吸が大切です」
佳代は言われるまま、規則正しく動作と呼吸を根気よく続けていた。
「ふしぎです。体の芯が温まるようです。おなかが熱いほどです」
「それはよかった。両手から気がでて丹田を温めます。ふくらはぎの筋肉が伸び縮みして心の臓のように血を押し出しています。それに深い呼吸で良い気が吸い込まれています」
佳代は続けていた動きを止めて体を起こして、
「もう元気になりました。寝ていると、体がむずむずするほどです」
根岸はあきれたように、佳代を夜具の中に押し込んで、
「まだ、まだ、今が肝要ですぞ。いま気を抜くと、元の木阿弥です。辛抱してください」
佳代は理解したのか、夜具の中で体を丸くして根岸に背を向けた。
「そうですね。朝まで眠れば大坂ですね。それからどうなるのですか、佳代はついていきますからね。どんなことをしても・・・」眠そうな声がした。
根岸は思いついたように、
「大坂の前に枚方で船をおりましょう。佳代殿のお父上のお屋敷にいきましょう。その方が安心だ」
佳代が夜具の中からくぐもった声をだして、
「根岸さまもごいっしょくださいますなら、そうします」
「まだ日にちに余裕はある。むろん一緒にお供します」
「なら、そうします」くつろいだ眠そうな声だった。
根岸は障子を開けて船頭に事の次第を告げて枚方で下船する旨の了解をえた。
佳代のそばにもどって胡坐をかいてすわった。大刀を膝の上にのせてその上で両手をくんだ。左の手のひらに右手を乗せて、左の親指を右の親指と人差し指で包んだ。目をかるくとじて半眼にした。鼻で息を吸い唇をかるく閉じて口から細長くはいた。いつものように瞑想するためではなかった。枚方まで少し気を休めようと思った。
枚方の宗州の屋敷が思い浮かんだ。およねさんがいた。屋敷を取り仕切るふくよかな中年の女将のことだ。佳代さんとは父の血筋でつながっている。いや、そうではない。たしかロドリゲスとかいうポルトガルの商人と朝鮮の女との間に生まれた娘を養女にしたと言っておった。その養女の娘がおよねさんだ。おおらかで体も大柄な西洋人と東洋人の混じった美人だ。
意識している訳ではないが思いが勝手に駆け巡っていた。そういえば、およねさんは、なんとなく佳代さんと似ている。ということは佳代さんの父親、宗州にも、どこかにていることになるが・・・ 無意識から意識に変わってきた。いやいや、そんなことはあるまいと思う。などと頭の中に勝手な妄想と考えが入りまじって駆け巡っていた。そろそろ枚方に着くころだ。佳代の寝息が聞こえていた。
令和三年十一月十八日