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はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

貝原益軒を書こう 七十八 

貝原益軒を書こう 七十八             中村克博

 

 

 検閲船は平戸の船との距離が一町ほどになると取舵で折り返した。折り返すと平戸の船の右舷に並んだがすぐに船足を速めて前に出た。

 船長が松下に、

「弁天船の大きな一枚帆は扱いがむつかしいが幕府の船乗りは巧みな帆さばきをしますな。碇を入れる場所まで先導するようです」

 検閲船は平戸の船を淀川の河口近くに停船させ、接舷して役人が三人乗り込んできた。ひょろりと背の高いのが上役だとわかる。三人は船頭と挨拶をかわして甲板にある船室に案内された。船室に船長、松下、根岸それに佳代も入っていった。応対は立ったままでなされた。

 

 船長はひょろりと背の高い役人に琉球で薩摩の在番奉行所が出してくれた積荷の証明と通行手形を提出した。積み荷の内訳のあらましを話した。松下は大坂奉行の署名のある通行手形と自分を証明する書状を提出した。根岸と佳代は通行手形もなにもなかった。自己紹介もしなかった。

窓の外が騒がしい、多くの役人がこちらの船に乗り込んで十人以上が甲板に整列した。全員帯刀し抜き身の手槍を持っている者もいる。

松下の書類に目を通した役人が、

「松下殿は柳生家のご家臣ですな。大坂奉行の通行手形をお持ちですが、あて先は長崎奉行になっております。これはどのようなことですか」

 松下が役人を見すえて、

「ご不審はもっとも、しかし、これについては内密な役目がありますので大坂奉行に直に申し開かねばなりません」 

ひょろりと背の高い役人は了解したように軽く頭をさげた。

「はい、では、そのようにはからいます」

 窓から室内のようすをうかがう武士がいた。初老で布のしころが付いた陣笠をかぶっていたので顔はよく見えないが高位の役職だとわかる。

 ひょろりと背の高い役人は根岸に頭を下げ佳代を見て、

「そちらの女人、失礼ですが通行手形はお持ちですか」

 佳代は不安そうに松下を見た。松下は笑顔で役人を見て、

「そちらの御仁はこのたびのお役目を仰せつかった拙者の同僚ですが、お隣の女人はその御新造であらせられる」

 佳代は緊張していたが、松下が発した御新造という言葉に嬉しそうだった。

 役人は困った顔をして聞いていたが、

「女手形を拝見するのが決まりになっております」と佳代に近づいた。

 根岸が佳代の前に一歩出た。左手の親指を腰に差す刀の鍔にかけていた。

「申し訳ない。そのようなもの持ちあわせておりません」

 ひょろりと背の高い役人と根岸はしばらく見つめ合った。根岸の目は涼しかった。役人のそれはまばたきしてそわそわと焦点が合わなくなったが、

「それはこまりましたな・・・ 琉球からの船に女人が乗って通行手形がない」

 松下が咄嗟、やりとりにはいって、

「この件も仔細あって拙者が大坂奉行にとくとご説明いたします」と言った。

 ひょろりと背の高い役人は顔だけ松下に向けて、

「そうですか、しかしこれは合点のいかぬお申しようです。松下殿のお役目がご公儀の密命を受けての情況であるとは察しますが、そこに女人がからむとは思えません。女人の移動に制限があるのはご承知のとおりです」

 根岸のうしろにいた佳代が根岸からはなれて、

「ご役人さまの言われるように、私にとががあるとすれば私ひとりの事態、根岸さまには関わりのないことでございます」

 松下があわてた声の調子になった。

「佳代殿、はやまるのはいけません。おまかせください」といらだった。

 佳代は泣き出した。へなへなと座り込んだ。松下は苛立ちから戸惑いのようすをしていた。根岸はどうしたものかと佳代を見ていた。

 松下がひょろりと背の高い役人を見て、

「お役目がらは重々承知しております。しかしこの際はご公儀の意向をお汲み取りください」

「しかし、公儀のお役目に女人がおるとは、どのように考えても・・・」

 佳代が袖口で目頭をおさえて、

「この仕事のはじめには数人の伊賀の女人がくわわっておりました。おなごは私だけではありませんでした」

「なんと、それでは佳代殿といわれるそなたは伊賀の隠し目付なのですか」

 佳代は顔の涙もぬぐわずに、

「い、いえ、ちがいます。わたしは大坂から大勢の人と船に乗って・・・ そのお世話に伊賀のかたがたが、肝煎のお役目の女人がおられました」

 松下が何か言おうとしたが、ひょろりと背の高い役人が佳代のそばに屈みこんで、

「そうですか、たいへんなお役目でしたね。大勢の女人の世話を・・・」

「女人だけではありません。老人も小さな子供たちも大勢・・・」声をつまらせ佳代は顔を袖でぬぐった。

 松下はけわしい顔をして考え込んでいた。

ひょろりと背の高い役人はひょうひょうとした話し方で、

「そうですか、小さな子どもたちまで、船でどこまでいったのですか」

「遠く台湾までです」

「そうですか、そんなに遠くに、たいへんでしたね」

 ひょろりと背の高い役人は立ちあがって松下を見た。

「お聞きのとおり、国外からとなれば職責として見逃すことができません」

 松下は、窓から中の情況を窺っている初老の武士を見てかるく頭を下げた。それから、向きを変えて、ひょろりと背の高い役人の部下二人に向かって、

「ご同輩の詮議は手慣れて感心いたした。しかし、これでは拙者の役目が内密には済みません。もはや切り結んで腹を切るしかない」

 松下はいい終わらぬうちに二人の正面に左手で刀を鞘ごと前に送り柄にかるく右手指をかけ左手で鞘を引き戻して低く抜いた。切っ先が床につくほど腰を落とし右脇に構え左手を柄頭にそえ顔は左に向けてひょろりと背の高い役人の顎の下に目付した。一連の動きが流れるようにうつくしかった。三人の役人は斬られる危うさも分からないように見とれ力が抜けたまま動けないでいた。

 佳代は何がおきたのか訳がわからず目を見開いていてかたまっていた。根岸は先ほどと同じ姿勢で左手は腰元の刀の鞘口を握り親指は鍔を押さえて右手はだらりと自然に下げていた。

 ひょろりと背の高い役人は目がさめた顔をして、

「ま、松下殿、なにをなさる。これでは柳生家にも迷惑がかかりますぞ」

 松下は無言で左足を開いてにじり寄る。背の高い役人は右手を大きく開き前に出した。じりじりとあとずさった。壁に刀の小尻が当たった。

 

「ばかもの~、やめんかぁ・・・」と窓から大声がした。

初老の武士が窓から部屋にはいろうとしていた。体の均衡をくずして戸板をつかんで戸板ごと頭から落ちてきた。二人の役人が駆け寄ってかかえ起こした。布のしころがついた陣笠がおちて転がっていた。

初老の武士は床に胡坐をかいて座ったまま、

「松下殿、その方、拙者に見覚えがあろう」と怒鳴った。

松下は顔だけ声の方に向けた。松下は「はっ」と気づいて体をまわして立膝になって刀を後ろにかくして頭を下げた。

「おおこれは、大久保様・・・ このような失態、お恥ずかしい限り」

「刀を収めなさい」

 松下は納刀してその場に正坐した。

 部屋の者もみんなその場に正坐した。佳代は根岸の横に並んで座った。

 大久保は胡坐で坐ったままおもむろに、

「何から話そうか・・・ いずれも長い話になるが、手短に言えば、松下殿がご公儀からの密命を城代の松平重次様から大坂奉行所で受けたおりに身共がただ一人陪席しておった。そうであったな」

 大久保は松下に同意を求めた。

「はい、おぼえております」とこたえた。

 大久保はみんなを見わたして、

「そういうことだ。検閲の役目も見ておったが申し分ない。松下殿の態度もさすがに柳生家の家臣、おそれいった。それに、根岸殿といわれるか、そなた、ご苦労でありましたな。黒田武士のほまれだ」

 根岸は「滅相もありません」と頭を下げたが、なぜほめられたかわからない。佳代はいまだに何がどうなったか分からないでいたが、とにかくうれしかった。

令和六年二月二十九日