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貝原益軒を書こう 七十二

貝原益軒を書こう 七十二                 中村克博

 

 

 厦門の秋は涼しかった。天気のいい日が続いているが朝など日陰にいると肌寒い。根岸と佳代それに柳生の松下が行きつけの茶屋にいた。店の床は石張りで水を流して洗ったあとがまだ乾かず湿っていた。

長身の娘がいつものように注文をとりに来た。しばらくして髪の毛が白く太った老女が熱いウーロン茶の入った土瓶を机に置いて行った。土瓶からいい香りがしてきた。先ほどの娘が梨をむいて食べやすく切ったものと湯呑を持ってきた。

 

マカオの視察に出かけていた柳生の松下はひと月ほど前に厦門にもどっていた。

松下は佳代がついでくれたウーロン茶の湯呑を手にとって、

「この店に来ると、なんだか落ち着いてほっとしますな」と言った。

佳代がひと盛になっていた梨を小皿に分けながら、

「そうですね。こちらに来てからは朝の食事のあと散歩に出たときにはいつもこの茶店に立ち寄っていますね」

 松下は根岸を見た。根岸は熱いウーロン茶の湯呑をふーふぅと吹いていた。

「根岸殿、急な話だが、ご公儀の方針が急変したようで、できるだけ早く日本に戻るのがいいと思うのですが・・・」

 根岸は湯呑から顔をあげて、

「う、では、松下殿が先に言っておられた、いちど厦門にもどって、それからジャワのバタビアからマラッカ、インドのゴアまで調査に出かける話は・・・」

 松下は湯のみに口をつけたが熱かったのか飲まずに、

「その話は、考えが変わりましてな。日本では、いよいよキリシタンの禁教令が厳しく、海外の日本人の帰国も禁止になって密入国者は死罪のようです」

 佳代がうつむいて、

「私がいなければ、お二人ならすぐ長崎に帰れるのでしょうね。申し訳ありません」

 松下があわてて、

「いや、それは違います。オランダ船はバタビアから来年の六月まで待たねば長崎行きの船はやってきません。それにオランダが清と友好的になり、鄭成功は台湾のオランダとの緊張が高まっています。いろんな情勢の変化が早くて先が分からないのです」

 佳代が元気のない笑顔を見せて、

「冬になる前に日本に帰れるなら、お正月は大坂か京都ですね」

 茶店には客が多くなってきた。通り人の往来が多くなって騒がしい。店の外から人が言い争う乱暴な口論が聞こえていた。

 茶も飲んだし、梨も食べおえ話の区切りもいい、三人は席を立った。佳代は支払いを済ませて外で待つ二人のそばに行った。

 

 外の道には人だかりができていた。男三人に向かって中年の女が叫びをあげている。そばに大きな荷車が止まっている。積荷はなく荷台に古く汚れた麻の菰が敷いてある。横に手押し車が転倒している。大きな荷車にぶつかったのだろう。手押し車の荷物は陶器の皿や器のようで徳利がいくつも転がって皿が数枚割れていた。

 中年の女は右肩のめりになって一人の男を指さして叫んだ。男も大声で言いかえした。それを取り囲む人だかりの中から女に味方する人たちが叫びにくわわってきた。荷車の男たちに味方する者もでてきて騒ぎは大きくなった。通りは人混みで塞がれ、人だかりは群衆になりそうだった。

 三人がその場を離れようとしていたとき、目の前に日焼けした屈強な数人の兵士たちが現れた。根岸と松下は佳代をかばって建物を背にした。三人を護衛する二人の兵士は手槍の鞘を払って穂先を前に向け構えた。

日焼けした兵士たちの頭目らしい若い男は日本の甲冑を身につけていた。

親しみのある声をかけてきた。

「根岸殿、お久しぶりです」

 根岸はとっさに相手がわかったようだった。

「おお、あのときの・・・」

 根岸が由比正雪の反乱にかかわった武士団を日本から運んだおり、鄭成功の代理としてジャンク船の上で差配を引き継いだ相手だった。鄭成功軍にやとわれた日本人傭兵の頭目だった。根岸とは同年輩で海外生まれの二世の武士だ。船上で別れるときに根岸は、これを受取ってくれと二十両の包みを押しつけた。それが小判だとわかると、我らは金のために戦うが施しは受けぬと言った。根岸は懐からポルトガル製の短筒を取り出して、もう会うことはない、ここでお別れだ。自分の気持ちだといって渡した。あのときの武士だった。

 傭兵の頭目は笑いながら、

「もう会うことはない人と、また逢いましたな」と言って頭を下げた。

 

 外は人だかりで騒がしい、根岸たちは傭兵の頭目をくわえて四人で出たばかりの茶屋にもう一度はいった。

 傭兵の頭目は熱い茶を一口飲んで梨をつまんで食べた。外で待つ仲間や護衛の兵士にも届けるように店の娘にたのんでいた。

 松下が傭兵の頭目の湯呑に茶を注ぎ足しながら、

「清国の勢力と対峙する前線は膠着しておるようですが、これからの展開はどう見ておられるか、聞かせてくださらぬか」

 頭目は梨をモグモグ食べて、

「敵は伸びた前線を充実させるようです。兵団をいれかえ物資をたくわえ、地域民の宣撫には専従する部隊がおるようで大きな城郭都市では治安がよく商業も盛んなようです」

 松下は佳代の湯呑にも茶を注ぎながら、

「ほう、それは意外ですね。異民族の軍隊に占領された城郭内で住民が豊かに明るく生活しておるようですが、軍の規律が厳しいのでしょうな」

 傭兵の頭目は一瞬考え込んで、

「いや、きびしいと言うより軍規が正しく統制された清軍のようで、手ごわい相手です」

 

 外の騒ぎが急におさまったようだ。先ほどまでの雑踏がうそのようになって、むしろいつもより静かな通りになっていた。鄭成功の巡察部隊が出て群衆を散開させたようだ。大きな荷車も、ひっくり返っていた手押し車もすでになかった。

 松下が外の様子から目を戻して、

鄭成功の支配地も治安がよく、兵の略奪、暴行はなく、殺人、強姦はもちろん農耕牛を殺しただけでも死刑、更に上官まで連座すると聞いていますが・・・」

 頭目は茶をうまそうに飲んで、

「は、はは、それだけ軍律を厳しくしないと統制がとれないのですよ。なにせ明の正規軍はいないも同然ですし、食い詰めた流浪民や日和見軍閥が多く、明再興にこころざしのある兵が鄭成功には少ないのです」

「そうですか、オランダも清との協力を表しておりますな」

「そうです、オランダも清が正統になるとみておるのでしょう。しかし、鄭成功にとってはその方がありがたいのかもしれませんよ」

「えっ、それは、どういうことですか」

 根岸もそれを聞いて頭目の顔をみた。松下は知りたかった諜報にたどり着いたようだが、うかつにも心の内を出してしまった。

 頭目は腕組みをして目を閉じた。松下は言葉を待った。

 頭目は思いが浮かんだように、目を開いて口元をゆるめた。

「根岸殿と船の上で別れるときに頂いたこれに何度か助けられましたよ」と言って懐から短銃を取り出して机の上にゴトンと丁寧に置いた。

「おお、それは確かにみどもが差し上げた短筒だ」と根岸が言った。

 佳代はそれに見覚えがあった。たしか父がもっていた物で枚方の屋敷の庭で試し撃ちをするのを一度見たことがあった。それがどうして、ここにあるのだろうと思った。

 頭目は机の短筒を手に取って、

「先年、鎮江の街を攻めたおりに清軍の部隊を城壁の角に追い詰めたら降伏を申し込んできましてな。民家の部屋で降伏交渉しておると、いきなり敵将が短剣を逆手で飛びかかりましてな。私はそれを予想しておったので机の下でこの短筒を手にしておりました。銃口を鼻の前に突き出すと目玉が飛び出しそうな顔になった。撃鉄をガチャッと起こすと短剣を机に落として目をつむった顔が憐れで撃つのをやめました」

「それで、どうなさったのですか」と佳代がその先をせがんだ。

「顔を机の上に押しつけて後ろ頭の長く編んだ髪の毛を敵将の短剣で根元から切り取りました。一緒に来ていた二人の副官たちも、私の部下が同じように根元から切り取りました」

 佳代はよかったと顔がほころんだ。根岸と松下は辮髪を切られた三人がそのあと自分たちの陣営にもどってどんな処分をされるか知っていた。

 松下は先ほどのオランダの動きを知りたかったが話に直接はいらずに、

「江戸の御公儀はキリシタン禁制を一段と強めておられます。オランダの交易船以外は一切の国の出入りが禁止されます。我らも早く国に帰った方がいいようです。ところがオランダと清が友好になれば台湾と厦門の行き来もなくなりますな」

 佳代が不安そうに、

「オランダの船に乗れなければ、どうするのですか」

 松下は頭目を見て、

鄭成功が出す密貿易船が五島の男女群島のあたりに出かけておるようだが、それにあたりをつける手立てはないものかなぁ」

 頭目が案を思いついたように、

「それなら、ちょうどよかった。平戸から密航船が軍需品を積んで数日中に厦門にはいるようです。平戸藩士の田川次郎左衛門は父の鄭芝龍から引き継いだ財をさらに大きくして兄の鄭成功を支援しています。が実は平戸の松浦家がうしろにいるようです」

 柳生の松下は隠密の諜報集めとしては話が意外なことになり緊張を隠した。

「それは、ありがたい話だ。しかし我らに手ヅルはないが」

 頭目は、自信ありげにおちついて、

「なぁに、船頭は顔なじみ、密貿易は金しだい、二十両もふところに入れれば」

「そんな金は持ちあわせがないが」と松下は困った顔をした。

「そこの根岸殿から預かっておる二十両の使い道ができたようです」

「えっ、あのお金ですか」と佳代が元気な笑顔をみせた。

 根岸が首をかしげ眉間をよせて、

「しかし、平戸の松浦の船が大量の武器を積んで厦門に行くなど、公儀の禁制に背く重罪です。柳生の松下殿がそれを知ってその船で日本に帰るとは徳川家の信頼あつい柳生家として松下殿は腹切りを覚悟するのですか」

 頭目が声をだして笑った。

「ははは、根岸殿が人の作った法度に命をかけるとは、これは恐れ入った。ははは」

 松下が頭を上下して、真顔で、

「根岸殿のご配慮ありがたい。確かに公儀の考えに背くものですが、この地で拙者が知り得た出来事や見通しを持ち帰って公儀の情報に加えることこそが何よりも先決です。世の中が大きく動くとき、しかも急です。公儀の判断を誤らせないため、清軍のそして鄭成功軍の、そして何よりもオランダの動きが鍵になります」

 頭目が松下を見て、

「明軍は落日、清軍は日の出、いずれ鄭成功軍は大陸から追われる。海に追い出される。清と結んだ台湾のオランダは敵です。そうなったとき台湾進攻の名分が立ちませんか」

 根岸は分かったような分からない顔をして、

「戦は刀ではない。銃や大筒の時代になった。そのまえに、情報が何よりも大切、大きな諜報は御禁制をも無視する判断が与えられるのですね」

令和五年十月十九日