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はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

 貝原益軒を書こう 五十七 

貝原益軒を書こう 五十七                  中村克博

 

 

佳代は一人で船長室となりの小部屋にいた。衝撃的な恥辱をくわえられ心身が消衰しきっていた。今から明の大型ジャンク船に行向かうことは告げられていた。そこに行けば根岸と会える。どのような顔をして根岸に会うのか、まして、このオランダ船の船長の望むような話を根岸にできるはずもない。どうしていいのか、考える気力がなかった。

ぼんやりと扉を見ていると船長が少年水夫のジャンと部屋に入ってきた。

横座りしている佳代が姿勢をただそうとすると、

「佳代さん、起きなくていい。そのまま、そのまま」

 そう言って、ジャンが持っていたガラスのコップを受取って佳代に手渡した。佳代は不審そうに琥珀色のそれを見ていたが、船長がうながすので言われるままに口にした。複雑な甘さが口に広がり刺激が鼻にぬけたが飲みくだした。

「なんですか、これは」と喉が塞がるような声をだした。

「リキュールです。ベネディクティンと言う種類、イギリスとフランスの酒、いろんな薬草とかします。蜂蜜入れます。弱った心、とても元気です」

「そうですか、ありがとうございます」と言って少しずつ飲んだ。

 船長は腰を落としていたわるように佳代の肩にふれ、

「まえに、お願いした、根岸殿との話、もう、しなくていい。心配ない。だいじょうぶ」

 佳代は頭を下げや。大粒の涙がおちた。

「おねがいがあります」と、うつむいたまま言った。

「なんでも、いってください」と船長は肩の手を動かした。

「お預けしている二十両を根岸様にお返しください」

「わかりました。根岸殿に、二十両の金貨、渡す。だいじょうぶ」

「それと、私の懐剣を私に返してください」と言った。

 船長はしばらく黙っていたが、

「わかりました。返します。佳代さんが元気、なったとき、返します」と言った。

「いえ、いま返してください。返してください」と泣きながら言った。

 副官が激しくドアを叩いて、船がジャンク船に近づくと言って部屋をのぞいた。

 

 部屋を出た船長はすべての帆を降ろして、主帆だけを半分あげるように指示した。大型のジャンク船が少しずつ近くなって接舷するための緩衝材が船べりに多数さげられた。帆がおろされ、帆桁が接舷の障害にならないように引き込まれた。

 そのとき船長は考えを変えたようで新たな指示をだした。接舷するのではなく小型の手漕ぎ舟を下しように指示しなおした。

 船長は副官を一人ともなって、手漕ぎの小型舟に移った。四人の水夫がそれぞれにオールを漕いで士官の一人が舵を持っていた。

 昇降用の竹籠が大型ジャンク船から降ろされてきた。

 オランダの船長と副官は大勢の追放武士たちや明の船員が注視する中を通って船尾楼に上がり、船長室の隣の部屋に案内された。

 部屋には大型ジャンク船の船長とその副官、根岸、それに鄭成功の傭兵の頭目が円卓を囲んで座っていた。訪問者二人も椅子にすわった。円卓のまわりに六人が顔を見合わして、それぞれの国の言葉で挨拶した。これからの交渉は日本語で話し合うと、オランダの船長が提案して全員が了解した。

 まず、オランダの船長が発言した。

「オランダも鄭成功も、徳川様に、御恩ある。争う、よくない」

 それに応えて大型ジャンク船の船長が、

「そうです。明国に攻め込んだ清を追い出す我らにオランダも味方すべきです」

 オランダの船長が、

「日本のオランダ商館も、台湾のゼーランディア城も、東インド会社の本拠ある、バタヴィア本庁の指示下あります」

 それからはしばらく二人の船長同士の会話がつづいた。

 大型ジャンク船の船長が、

「そうです。それは理解しています」

「わたし、ゼーランディア城の長官、フレデリック・コイエの副官、です」

「えっ、あなたは台湾のゼーランジャ城の人で、二隻の大型戦艦はジャワから・・・」

「そう、二隻の戦艦、ジャワのバタヴィアから・・・ 戦艦、バタヴィア本庁の命令でうごく。日本の侍五百人、全部、連れてくる命令、あります」

「それでは、あなたといくら話しても埒が明かぬではないか」

「なに、それ、ラチガアカヌ・・・ どんな意味、日本語わからない」

「埒とは馬場の柵のこと、話しても仕方ない。との意味ですぞ」

「それは、ちがいます。私とあなた話す、私、バタヴィアの柵、あけます」

「どうやって、開けるのですか・・・」

「台湾、土地広い、山から水たくさん、寒くない、米たくさん、魚たくさん」

「そうですね。明は清に攻められ土地がない」

「台湾行けば、日本の侍、土地いくらでもあげます。オランダと力あわせ、台湾まもる」

「しかしそれでは、日本の武士を厦門に運ぶ、我らのつとめが果たせません」

「このジャンク船の五百人台湾に、もう一隻のジャンク船、厦門に行く、です」

「なんだと、もう一隻には年取った武士と女子供が二百人、それでは戦力にはならん」

 

 そのとき部屋の扉から声がした。大型ジャンク船の副官が席を離れて部屋から出て、すぐに戻ってきた。僚船のジャンクが接舷して武士が二人この船に移ってくる。今からこの部屋の会合にくわわる。との説明があった。一人は柳生の武士、松下で、もう一人は老齢で移住する武士団の一人だった。

 間もなく柳生の松下と老齢の武士が部屋にやって来た。立ったままの挨拶のあと、新たに用意された椅子に収まった。円卓を八人が取り巻いて少し窮屈な状態になった。

 根岸は松下が来てくれたことで安堵感を感じていた。敵と向かい合う斬りあいの稽古ばかりしてきたが、このような会合でのやり取りはどうしていいのかわからないのだ。相手の喉から出る声としての言語は分かるが、奥の意味や持って回った言い回しにはいら立ちをおぼえる。だいいち自分が話す言葉が思いつかない。

 

 松下は大型ジャンク船の船長からオランダ船長との話合いのいきさつを聞いて、

「それは、いい話ですね」といった。

 大型ジャンクの船長が怪訝な顔で、

「若い武士がみんな台湾で、女と子供、それに老武士ばかりが厦門では・・・」

 松下はほのぼのとした笑顔で、

「ゼーランジャ城の長官はフレデリック・コイエ殿ですね。まえの長崎オランダ商館の館長、キャピタンですね。私は長崎でお会いしたことがあります」

 オランダの船長が松下のことを味方だと思って嬉しそうな声をだした。

松下がつづける。

「あの方は商館長よりも城塞の司令官が適任でしょう。戦は人の数ではないことを知っておるはず。若い侍は戦えません。銃を撃ったことも、人と斬りあったこともない。ところが老武士は関ヶ原大坂の陣島原の乱を戦った一騎当千の生き残りが多い。さらに軍略に長け人望ある人材もいる」

 オランダの船長が困った表情になった。

 松下がオランダの船長をさとすように、

「銃や刀は訓練すれば使えるが、技だけでは強兵にはできません。命を捨てる覚悟は代を重ねた教育がいる。何十年もかかります」

「では、どうすれば・・・ ゼーランジャ城には、兵力ない」

「命をかけて守るものがあれば兵は強い」

 オランダの船長ははっと気づいたように、

「老武士とその家族、孫や嫁、それと妻、みんな台湾に移住する」

 大型ジャンク船の船長が複雑な顔をして、

「では、若い武士、五百人は厦門の国姓爺様のところに、いけるのですね」

 

 先ほどから部屋の外が騒がしかった。騒ぎの音がさらに大きくなって、数発の銃声が聞こえてきた。驚いた船長が席を立って扉を開けた。みんなも続いて外に出た。船尾楼の甲板から騒ぎの起きている舷側を見たときに何事が起きたのかわかった。

 オランダの快速船が大型ジャンク船から投げられた鈎の付いた綱でからめ捕るように引き寄せられていた。オランダ船の帆柱や索具に数十本の鉤の付いた綱がからまって、まるで蜘蛛の巣に引っかかった得物のようだった。

 オランダ船は上に向けて、大型ジャンクは下に向けて銃を撃ち合っていた。

令和四年八月十八日