ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

貝原益軒を書こう 七七

貝原益軒を書こう 七十七                中村克博

 

 

 久兵衛太秦広隆寺の山門から境内につづく石畳におりた。空は暗くはないが薄い雲がおおって寒かった。小さな雨粒が漂うように降って羽織を濡らした。佐那は頭巾をかぶってきれ地の傘をさしていた。

佐那がうしろから久兵衛の頭にそっと傘をさしかけた。久兵衛は頭を下げて礼をいった。年老いた門番がくぐり戸を閉じて小走りで近づいて自分の番傘を久兵衛にさしだした。佐那が笑顔でそれをことわった。

久兵衛が手拭いをだして月代をふきながら、

「尺五先生から広隆寺を訪ねるように言われたとき、私どもが・・・ 京都で一番古い寺で後水尾法皇から七大寺に加えられた名刹で、それを参詣できるなど思いもよりませんでした」

 佐那がほほえんで、

広隆寺賀茂社をつくった秦氏の氏寺ですね」

「佐那さんは賀茂社の巫女をしておったそうですが、秦氏とつながるのですか・・・」

 佐那はそれにはこたえず、

久兵衛さまは以前、南禅寺の金地院をおたずねでしたね」

「そうです。そのときは尺五先生の紹介状を持っていきました。金地院も普通にははいれません」

「このたび広隆寺を訪ねるように言われたのは、どのような意図がおありでしょうね」

 久兵衛は先を歩く案内の門番が番傘をたたむのを見て、

「さあ、何をどう拝観するか、見きれないほどの仏像を・・・ 雲が、晴れてきたようですね」

 佐那は傘をさしたままで久兵衛に寄り添って、

聖徳太子さま、薬師如来阿弥陀如来地蔵菩薩さま、それに弥勒菩薩半跏像、私はこの弥勒さまがとても好きです」

「そうですか、 私はまだ、どれも拝観したことがないので・・・ 佐那さんが好きな弥勒様は本殿にあるのですか」

「いえ、本殿のご本尊はたしか、聖徳太子さまか、薬師如来さまだったと・・・ 子供のころだったのでよく覚えていません」

「寺の本尊が取り換えられるのはおもしろいですね。きっと意味があるのでしょうね」

「そうですか、いずれにしても尊くてありがたいことです」

「あぁ、そう言えば、広隆寺弥勒菩薩半跏像は家康公が拝観するために江戸城まで運ばれたと聞いたことがありますが・・・」

「えっ、そうですか・・・ まさか東照大権現様がそのような」

 年老いた門番が本殿の階段には上らずに待っている。

久兵衛と傘に入っていた佐那は後に下がって傘を閉じた。

門番が頭をさげて、

「堂内で上座様がご案内いたします。私はここで失礼します」と言ってもどっていった。

 

 広隆寺の境内をいくつかの建物を案内されて奈良時代から平安、鎌倉の時代の仏像をゆっくり拝観してまわった。佐那はなんども佇んで感涙していたようだが、久兵衛は少々食傷ぎみだった。そもそも堂内が暗くて目を凝らしてもよく見えない。

静まり返った寺で暗い仏像に向き合ってほとんど説明はなかったが無言のながい時間をかけ親切に案内してくれるのはわかった。心眼で向き合うのだろうが、しかし寒かった。尿意が高まって、厠をと思ったが言い出せる雰囲気ではなかった。なぜあんなに緊張していたのかわからない。

 

 帰り道はよく晴れていた。昼はとっくにすぎていたが茶店にもよらずに歩いた。佐那も歩くのを楽しんでいるようだった。

 風がなく冬の日差しを暑く感じた。久兵衛は羽織を脱いで手に持っていたが腰の刀に掛けて手ぬぐいをだして首筋の汗をふいた。

 佐那がそれを見てとがめるように、

「貝原さま、黒田家のおさむらいがそのような格好をしてはいけませんよ」

「あ、ああ・・・ そうですね。かたじけない」

 そう言って羽織に手を通して羽織紐を結んで歩いた。背なの汗を感じていた。

「貝原さま、あそこに茶店がありますよ。喉がかわきましたね」

 久兵衛広隆寺にいるときから喉がかわいていた。茶も水の饗応もなかった。佐那が意外と世話を焼くのがうれしかった。

 

 茶店の中は日差しが明るい土間で暖かだった。畳一畳ほどの縁台が四つほどあって緋毛氈が敷いてある。先客が二組ほどいた。佐那が目の会った客にかるく頭をさげた。それぞれの縁台に炭火が赤い手あぶり火鉢が置いてある。縁台の端に腰をおろした。

 佐那が火鉢に手をあてながら、

「この火鉢は京焼と思いましたが、ちがいますね」

「そうですね。これは唐津かもしれませんね」と久兵衛が手をかざして言った。

「あちらのバンコのは楽焼のようですね。いろいろちがう焼き物を置いてありますね」

「あ、バンコ、京でも縁台をバンコといいますか、長崎の言葉と思っていました」

 茶の入った大ぶりの湯飲みと白い饅頭が運ばれてきた。

 

久兵衛は茶をふーふー息をかけて冷ましながら吞んでいた。

「佐那さんは秦氏の一族なのですか・・・」

 佐那は湯呑を両手で包み込んでいた。

「いえ、私は賀茂の姓です。が、秦氏の血統も入っています」

秦氏賀茂氏は親族なのですね。秦氏は秦の始皇帝の一族で徳川の御代から千数百年ほど前に百済を経由して京の太秦あたりに定住したのですね」

「どれくらい昔かしりませんが、秦氏の先祖は西域の弓月の国から・・・ いえ、もっともっと西の国からきたという出自を調べる神官がいました」

「そうですか、新撰姓氏録には秦氏始皇帝につながると、弓月の君の一族と人民を新羅の国から移住させたとの記録があるようです」

「えっ、新羅ですか、百済ではないのですか・・・」

「そうですね、千年も昔の話です、いろんな説があります。いずれにしても古代に我が国には遠くのいろんな地域からさまざまな民族が移ってきています」

 久兵衛が饅頭を二口で食べおえたのを見て、まだ手をつけていない自分の皿を久兵衛にすすめた。

「そうなのですか朝鮮半島や江南からだけでなく南の琉球をえてジャワや天竺あたりから船でいろんな国の人が大勢でおとずれているのですね」

「そうです。何百年にわたっていろんな人々が民族の単位で宗教と言葉や習慣をたずさえて移り住んでいます。それを受け入れ同化して何世代も幾重にも重ねて一つの民族のように溶け込んでいる。

「ふしぎですね。それで、京にはいろんな由緒の神社やお寺さんがあるのでしょうか・・・ それも、お寺にも鳥居がありますし、神社にも五重塔がありますし・・・」

日光東照宮は家康公を祀ってありますが立派な五重塔が建っておりますね。それに東照宮には秀吉公も一緒に合祀されている」

「ふしぎですね・・・ 由緒のちがう神社やお寺が百年も千年も代々受け継がれて・・・私の祖先は、賀茂氏はどこから来たのでしょうね」

「たしか佐那さんは翡翠でできたうつくしい十字架を身につけておいででしたね」

「はい、子供のころ祖母にいただいたもので賀茂家に代々伝わったものです。今はお返しして持っておりません。徳川さまの御禁制にふれますので」

「徳川家の禁教令はイエズス会などのローマのキリシタンを禁じたもので、千年も前にローマから追われた景教や、まして秦氏賀茂氏はそれ以前の・・・」

「尺五先生が広隆寺を訪ねるように言われたのは、なぜでしょうね。なにか感じられましたか」

「いや、まだわかりませんが、書物を読んだり文献を調べたり、講義を聞いたり意見を論じ合うだけでなく、言葉以外の何かにふれて感じることをさせようと・・・ 言葉ではあらわせない本質を少しでもわからせようと・・・」

 久兵衛は先ほどから壁の隅に掛かっている厠の案内の表示札に目をとめていた。

「佐那さん、ちょっと失礼して・・・」といって席を立った。

 

 そのころ根岸たちの乗る平戸の船は大坂城天守閣がみえる海の上にいた。風は陸に向かっておだやかに吹いていた。弁財船が近づいていた大坂奉行の検閲船だった。

 船長が不安そうに横にいる松下を見て、

「佳代さんを、やはり船底の床下に隠した方がいい。今なら間に合います」

 検閲船は帆の裾をすぼませて巧みに風を上っていた。

 佳代は根岸に寄り添って袖をしっかりつかんでいた。

                            令和五年二月十六日