貝原益軒を書こう 六十五 中村克博
母屋で朝餉をいただいて離れの自室に戻って講習堂に出かける準備をしていた。
下宿の娘がお盆に湯呑を乗せてやってきた。
縁側に膝をついてお盆のまま畳に置いた。
「ご飯を食べて、お茶も飲まずに・・・ 今日はお急ぎですか」
久兵衛は置かれた盆の前に座って、
「これは、どうも、ありがとうございます。
受講の前に尺五先生の部屋に顔を出すように言われておりましたので」
「そうですか、では、これを飲んで、おでかけください」
久兵衛は湯のみのお茶を一口飲んで、
「庭の梅が満開ですね。メジロが来ていますね」
娘は梅のメジロをちらりと見て、
「もうすぐ東寺で弘法さんの御影供があります。境内にはたくさん出店や屋台がならんでにぎわいます。たのしいですよ。一緒に行きましょう」
「それはたのしみだ。いつですか」
「今月の二十一日です。お昼は屋台で、蕎麦でも団子でも、京だし巻き玉子も」
「それは、いいですね。出店も見てみたいですね」
娘はニコニコはしゃぐように、
「いろんなお店がありますよ。しば漬け、すぐき漬け、千枚漬け、漬物もいろいろです。お野菜も、みずな、九条ネギ、伏見トウガラシ、加茂ナス、酸茎菜(すぐき)など・・・」
講習堂に着くと、そのまま尺五のいる離れの茶室にむかった。縁側から庭下駄に履き代え路地の飛び石を歩いて躙り口の引き戸に手をかけた。目の前に先客がいた。女人だった。久兵衛へ左肩こしに顔を向け浅く両手をついてお辞儀をした。口元がほほえんでいるように感じた。以前どこかで会ったような気がした。
尺五は点前畳に座っていた。久兵衛を見てかるくお辞儀をして替茶碗を取って茶筅通しをした。女人を見て、久兵衛は咄嗟のことで作法をどうしていいかわからず戸惑った。扇子を前ににじりはいって左手に少し向きなおって尺五に挨拶した。右に向きなおって先客に何と言っていいかわからず、お辞儀をした。床の花入れに菜の花がいけてあった。
花の上に短冊がかけてあった。
両手をついたままながめていた久兵衛に尺五が声をかけた。
「私の父が書いた俳句ですが今の季節にあいそうで、いかがですか」
久兵衛は声をだして詠んだ。
「つまんとや人くる人くるうぐいす菜・・・」
そう言って、手をついたままで、
「はい、床にある花、油菜も、小松菜も蕪や白菜、大根も似たような花が咲きます」
女の横顔がほほえんで、くっすと笑ったような気がした。
久兵衛が床の花入れを見ながら、
「花入れは伊賀のようですが、黄色い花によくにあう」
「はい、これも父からものです」
「丸く膨らんだ柑子口、耳つき。荒々しいようで深みがあり、そんざいなようで繊細を感じます。まさしく伊賀の国、藤堂家の初代高虎公のようです」
尺五はうんうんとうなずいて、
「佐那殿は短冊をどのように」と、女の方を見た。
女人の名はサナというようだ。
「この句は古今集の 梅の花見にこそ来つれ鶯のひとくひとくといとひしもをる を踏まえているようにうかがいました。 鶯が梅の花を見に来たら、人が来るので、ひとく、ひとくと鳴いていやがっている、とい意味かと・・・」
尺五は笑顔で佐那を見て、茶筅をふり終えて茶碗を久兵衛の前に出した。
「貝原殿はちかごろ裏山で竹を切って燃やしておいでですが、そこで働いておる下人は伊賀者です。伊賀の藤堂家からまいっております」
「そうでしたか、そんな気配はまったくうかがえませんでした」
「そうですね。何日か一緒に竹切をしていて伊賀者と見透かされるようでは・・・」
「やさしい、人のいいおじいさんですが、伊賀の忍び、ですか」
「その、人のいい下人を通じて・・・ 貝原殿に早くお知らせしたい根岸殿にかかわる話が藤堂家から届いておるのです」
茶碗を取りに膝をすすめていた久兵衛は話を聞いて動きが止まった。
尺五は話をつづけた。
「藤堂家は伊予、今治にも飛び地の所領を持ち、伊賀、伊勢の津も所領があり三十万石をこえる大身です」
久兵衛が口をはさんだ。
「存じております。 家康公は晩年「もしも天下を揺るがすような兵乱が起きた場合には、先ず藤堂を、次に井伊を以て将軍家の先陣とするべし」と遺言されたといいます」
「伊予の今治や伊勢の津を領して海賊衆を配下に、内外の諜報の質もずば抜けて」
「はあ、高虎公の徳川家からの信頼は武勇だけでないのですね」
佐那が飲み干した茶碗を尺五の前に返して、
「それで、根岸さまは今、どこでどうしておいでですか、佳代さまもご一緒だと・・・」
久兵衛はその言葉を聞いて、はたと、思い出したように佐那の顔を見た。
「あ、あなたは、大徳寺での・・・ あの公家のお姫様、鴨川下りで根岸殿と佳代さんと一緒だった。舟が襲われて連れ去られたと、 なんと、あのときの、佐那さまといわれるのですか、それが、どうして、ここに・・・」
尺五が申し訳なさそうに笑いながら、
「私にも急なことで、とりあえず、知り得たことをお話ししようと思いましてな」
令和五年三月二日