貝原益軒を書こう 六十九 中村克博
南禅寺の金地院には拝観する建物はいくつもあるが本堂だけを見学して外に出た。石畳のゆるやかな坂道を下りていった。人の通りが多くなっていた。木立の葉陰をとおして日差しがまぶしかった。旅籠や湯豆腐を食べさせる店や茶店が並んでいる。
久兵衛のすぐ後ろを歩く下宿屋の娘が、
「久兵衛さま、湯豆腐を食べてまいりましょう」と声をかけた。
久兵衛はふりかえって、
「そうですね。少し疲れたし、腹も減った。のども乾きました」
「気楽なお寺さん参りかと思っていましたら、そうではなかったのですね」
久兵衛は額の汗をふきながら、
「お付き合いいただいて、申しわけありません」
「いえ、いえ、いいのですよ。ふだん誰でも入れない金寺院さまですし」
「尺五先生のお勧めで、前々から手筈を取っていただいたのです」
「そうなのですか、それで、どんなことを感じられたのですか」
久兵衛は小さな湯豆腐屋の店の前で足をとめていた。紺地に湯豆腐と白く染めぬいた暖簾をくぐって二人は中に入った。風がとおって涼しかった。
店の入り口は小さかったが中に入ると奥が深くて手入れのいい庭が広がっていた。衝立で仕切られた座卓がいくつも並んだ長い座敷に通された。二人は向かい合って座った。
久兵衛は出された茶をごくりと飲んで、
「金寺院では書院の奥につながっていた茶室の八窓席を見てくるのが目的でした」
「へぇ、あのお茶室ですか」
「はい、金寺院崇伝様の依頼で小堀遠州公が差配して作った三畳台目の遠州好みだそうです」
娘は小首をかしげて、
「ふつうのお茶室とどのようにちがうのですか」
「私も茶室のことは知識が不十分ですが、世の中の規律を変えようとしておった金地院様の意をくんでの遠州公の作事でしょうから・・・」
「松永尺五先生からの言付でおいでになったのですね。どんな意味があるのでしょうね」
「小堀遠州公が手掛けられた茶室は大徳寺にある黒田家の塔頭龍光院にもあります」
「へぇ、そうどすか、龍光院さまにも遠州さまのお茶室があるのですか」
「そうです。蜜庵席といいますが、いぜん私も訪れたことがあります」
娘は少し考えていたが、
「私はお茶のお稽古をまだ初めていませんけど、座敷の隅に風炉先屏風を立てたり、数寄屋の四畳半などを見たことはあっても、八窓席のお茶室は・・・」
その先を久兵衛が言葉をつないだ。
「あんな、せまい部屋に床柱の脇にもうひとつ柱を立て、そのあいだの上半分が塗り壁で、そこに小舞の竹組が見える下地窓が付けてある」
湯豆腐の料理が運ばれてきた。娘は箸をとる前に手を合わせて頭を下げた。久兵衛は箸をとる前に田楽豆腐の串をつまんで口に入れた。
娘は久兵衛を笑いながら、
「まぁ、こんなにたくさん。どれもおいしそう」といった。
久兵衛は豆乳の器をとって一口飲んだ。
「おう、これは冷えて、おいしいもんですね」
娘は湯豆腐をすくって、久兵衛のだし汁の器に入れた。
「先ほどのお茶室、お点前の座と正客さまの間に土壁があって、そこに竹格子の窓が開いていましたね」
「そういえば、主人と客は、じかには向き合わず下地窓をとおして座りますね」
「なにか意味があるのでしょうか」
久兵衛は箸をとって湯豆腐をつかもうとしていたが動きをとめた。
「なんと、それは、あたかもキリシタンの」と言って言葉を飲み込んだ。
「えっ、なんですか、キリシタンの・・・」
「いや、何でもありません。いや、思い過ごしです」
「えっ、金地院崇伝さまはキリシタンをご法度とされたのでしょう」
「そ、そうです。金地院様は伴天連追放令を秀忠公の名で出されました」
娘は納得いかない顔を久兵衛に向けて、
「久兵衛さま、言いかけたキリシタンが、どうしたのですか、私はまえまえから不思議だったのですが、お濃茶の回し飲み、一つのお茶碗で次々と口をつける・・・」
久兵衛が娘の話の後をつづけた。
「キリシタンの洗礼では葡萄酒を信者が回し飲みする。似ていますね。しかし日本では昔から酒杯のやり取りや回し飲みはやっていますよ」
「でも、織部灯篭はキリシタンの十字架をかたどっているとかいいますよ」
「はは、そんな話に根拠はありませんよ。古田織部公が大坂の陣で豊臣方に通じていて切腹させられた。そのことがこの風聞がおきた理由かもしれません」
「でも、利休さまのお弟子にはキリシタンの大名が多いのでしょう」
久兵衛はやれやれと言った顔を隠さず。
「黒田如水公もそうですが、利休様から茶の湯を伝授された中に多くのキリシタンの大名がいます。かと言って茶の湯とキリシタンは全く別の分野ですよ。それは影響もあったでしょうが、風評は真実とは限らずおもしろければ広がります」
娘は素直にうなづいて、
「そうですね。気を付けねば・・・ はしたないことです」
久兵衛は湯豆腐を食べた。娘がだし汁の器につぎ足した。
「先ほどの三畳台目の茶室で下地窓をとおして主客と主人が相対する場面ですが・・・」
娘は話の転回におどろいた。久兵衛は慎重に話しはじめた。
「ふと頭をよぎったのは、以前キリシタンの教会で見た告解の部屋です」
「こっかい、それは、どのようなことですか」
「信者が自らの罪をバテレンに告白して神様のゆるしを得ることです」
娘は神妙な顔をして聞いている。久兵衛はつづけた。
「告解部屋は司祭と信者の間が壁で仕切られ、そこには格子が付いた小さな窓があります」
「先ほどのお茶室のようすと、なんだかよくにていますね」
「利休様は侘び寂を求められたようですが、数寄屋の小間は要人が腹を割って打ち解け、あるいは密談や謀議の場所だったと言われます」
娘はみつだん、とくちずさんだ。九兵衛はつづけた。
「しかし、金寺院の八窓席はそれとは違うようで、はっきり別の意図があるようです」
令和五年七月二十日