先週の金曜日、午前中はエッセイ教室だった。
提出した原稿は、
貝原益軒を書こう 二十四 中村克博
ふくよかな中年の女が言った言葉に久兵衛は驚いて根岸を見た。根岸は無表情に頭を下げた。宗州を見るとほほえましく笑っている。女が部屋を下がると宗州が話した。
「かの女は名をよねと申しまして、この家を取り仕切っております。私の娘、佳代が母親のように慕っております」
久兵衛が落ちつかない声で、
「よね殿は、あ、いや、およねさんは、体が大きく・・・いや、背丈があり、色白でお美しい、目鼻立ちが西洋人のようですね」
宗州がうなずきながら酒を久兵衛にすすめて、
「さようでございます。よねにはポルトガルの血がはいっております」
久兵衛は興味深げに、
「え、と言うことは、父親がイエズス会の宣教師ですか」
「いえいえ、ロドリゲスというポルトガル商人の孫娘になります。ロドリゲスの娘、よねの母親を先代の私の父が養女にしたのです」
「そうですか、ロドリゲスの娘を産んだのは日本の女ですね」
「いえ、太閤様の朝鮮出兵のおり朝鮮から連れてこられました。文禄・慶長の役で日本に連れてこられた朝鮮人の数は数万といいます」
「えっ、そんなにも沢山の人をですか、多くの大名たちが技量のある陶工たちを日本各地に連れてきたことは存じておりますが」
「堺でも大勢の朝鮮の捕虜が売られ、買われておりました。見目の良い娘は高価で、ポルトガルやスペインとの交易にも・・・」
「そうですか、太閤殿下は奴隷の売買は禁じておられたのに・・・ それで、およねさんの話ですが・・・」
「それで、ロドリゲスと朝鮮の女のあいだに生まれた女は、私の父が養女にしたのですが、それは評判の器量よしで、堺の商人の妻になりました。それがですね、大坂夏の陣で堺が焼き打ちされ、家々二万軒が焼かれたおり、その騒乱で両親ともに亡くなったのです」
「なんと、そうですか、当時、堺は徳川方の兵站の地になっていた。それを手勢二千で焼き討ちしたのが大野治胤ですね。のちに京都で徳川方に捕らえられた。 それを知った堺衆は、かつて、南都を焼き討ちした平重衡は南都衆に引き渡されたと京都所司代の板倉勝重公に訴えます。それで大野治胤は堺で火あぶりにされてしまいますね」
聞いていた宗州はなんとも気まずい表情をした。そのとき根岸が、
「先ほど、厠に行くのを忘れていたので、失礼します」と部屋を出た。
根岸が厠を出て庭先の手水鉢で手を洗っていると、くだんの、およねが手拭いを持って横に立っていた。
「久兵衛さまと、うちの主人はお話がはずみますね」
「そうですね、たのしそうだ」
およねがふくよかな身を寄せて
「お座敷では、お二人のお話はまだまだ続きそうですよ、よろしければ根岸さま、このまま寝所にご案内しましょうか」と声を落とす気遣いもなく言った。
根岸は手拭いを返しながら、
「いや、もうすこし酒が飲みたいし、宗州殿にお尋ねしたいこともあるので」
「そうですか、お部屋は久兵衛様とは別々にしております。この廊下の先、部屋の前に花生けがしてありますのが久兵衛さまのお部屋、その奥隣が根岸さまのお部屋です」
「そうですか、それはかたじけない」
「部屋をお間違えないように」
「はは、間違えると久兵衛殿はどうしますかな」
根岸が座敷にもどってすぐに、およねが盆に徳利を二つのせてやってきた。
「そろそろ、お休みになりませんか、夜も更けて気持ちいい風がでています」
宗州がこたえて、
「そうですね、その新しい徳利を空けたらお茶にしますかな」
「たくさんいただいた、あとは茶を、いいですね」と久兵衛がいった。
およねは根岸に寄り添うように徳利を傾けている。はばかる様子もない。
久兵衛が宗州から酒を差されながら、
「栄西禅師が南宋から禅の修行とともに茶の慣習を持ち帰られましたが、鎌倉の時代が終わり、茶の湯は信長公いらい武家や公家のたしなみとしてひろまります」
宗州が自分の杯に差しながら、うなずいた。
「そうです。書院造の茶室、道具は舶来の唐物、そのような茶の湯とはちがう茶の道を村田珠光、武野紹鷗、千宗易様が堺の街で工夫をされるのです」
久兵衛は杯を飲み干した。宗州はつづけて、
「書院式の喫茶からわび茶の求道へと変化していく時期とキリスト教が都や堺の地域に広がっていった時期がおなじでした。それは、何か運命のような神の摂理であったのかもしれません。茶を点てること、布教すること、互いに深く響き合いながら広まっていったのでしょう」
およねが、「では、うす茶の用意をしてまいります」といって部屋を出た。
宗州が根岸に酒をすすめながら、
「およねの申し出、どうぞ受けてやってください。私とは義理の従兄妹になります、まだ三十路をすぎたばかりですが、しっかり者で、この枚方の屋敷だけでなく大坂での商いの手助けもしております」
根岸は続けて酌をうけながら、
「冥加に余るお情けか、おもてなしか、なぜ私にこのような、ありがたいことですが」
「これも、神のおぼしめし、お気遣いはいりませんよ」
「この、おぼしめし、久兵衛殿に譲ることはできませんか」と根岸が言った。
久兵衛は、「えっ、なんと、と」口ごもった。
令和二年八月二十日