いただいた掛け軸によく合いそうな壺があった。
掛け軸には古代文字で「壺中の天」と書いてある。
朝倉山椒壺の由来がくわしい記事がネットにあった。
朝倉山椒
古丹波にふしぎなものがある。それほ朝倉山椒壺である。高さ20センチから35センチ位、形は丸型、丸長胴、胴くぴれ、方角、肩衝等があって、釉薬はいづれも灰だち、土と仕上げは、丹波の陶工としては最高の吟味を払っている。しかも必ず壺の肩に大きく「朝倉山桝」と印刻していろ。制作の年代は慶長末期から寛永を過ぐる頃(1610年から1672年位の間)までの50年間に限られているが、何故短期間だけ造られたのかまだ解明されていない。土も釉薬も、手法も明らかに丹波の釜屋時代のものに間違いがない。朝倉山椒は、昔は丹波、現在の但馬に朝倉と云う地名があって質の良い山椒が産出された記録がある。この山椒を入れる容器である事は判明しているが、立派な壺に盛った山椒を献上したのか、販売したのか判らない。和田寺文書には、葉茶を代官に献上した礼状の中に山椒の礼状が一枚残っているし、「津田宗及茶湯日記」や「御湯殿の上の日記」等の茶会記に使用きれた朝倉山桝壺が何度も出てくる。数十年で忽然と消え去ったことは、朝倉山椒が珍らしくなくなったか、容器や竹や木のうるし塗りに替ったか、いづれにしても朝倉山桝壺は古丹波焼における「まぼろしの壺」である。
貝原益軒を書こう 三四 中村克博
翌朝、久兵衛と根岸は宗州の用意した屋形船に乗って鴨川を上り荒神橋をくぐり天満宮の近くで降りた。からりと晴れ清々しい朝だった。禁裏の塀を右に見て歩いた。蛤御門をすぎると正面に水戸徳川屋敷がみえる。この辺りは大名屋敷が集まっている。京都守護職邸も近くにある。柳川立花屋敷をすぎると四辻に因幡池田屋敷があり、その角を右に曲がると道を挟んで筑前黒田屋敷があった。
門番にはばまれたが根岸の顔見知りが検問役にいた。
「やぁ、根岸殿、まいられたか。お待ちしておりました」
根岸は丁寧に頭を下げてから、
「お役目ご苦労でございます。ほんとに、久しぶりで・・・」
検問役の武士が久兵衛を見て、
「そちらは、貝原様ですね、長い道中、疲れでございましょう」
根岸のうしろにいた久兵衛は一歩前に出て、
「予定より三日ほど遅れてしまい、ご心配かけました」
部屋に案内され長い時間待たされた。抹茶が出された。
久兵衛が待ちくたびれたようすで、
「いきなりの来訪で、ご家老は要件がおありなのでしょうね」
根岸は茶を一口飲んで、
「うまい、世間にはまだ珍しい茶を我が黒田家では家臣にまでふるまわれる。ありがたい」
久兵衛も抹茶椀を手に取って、
「煮だして飲む団茶は昔からありますが、抹茶はまだですね」
根岸が大きく息を吐くように、
「ああ~ 女人の問題がなければ、柳生の刺客の一件は話さずにおれたのだが・・・」
「根岸さん、あなたらしくない。なければなどと、未練ですよ」
「む、そうだな」
「あるがままに、ご報告するのが我らのつとめです」
「そ、そうだな・・・ しかし、柳生の剣さばきを見たかったので・・・」
「済んだことは、いまさら。つとめをはたすだけ、です」
根岸は茶を飲みほして、
「そうだな、考えることではないな。先のことなどわかりはせん」
久兵衛はニコニコして根岸を見ていた。
「おごるなかれ、あなどるなかれ、考えるなかれ、いつも根岸さんが私に行っておられることではありませんか」
「そのようなこと、言っておったかな、、 おのれ自身に言っておったのだろう。むかし、父上が子供のわしに言っておられた。この言葉だけが頭から離れない」
「いい言葉だと思います。朱子学の行動理念に通じるのかもしれません」
根岸は遠くを見る目になっていた。
久兵衛は根岸が父から伝えられた言葉を解釈するように、
「剣術使いの心構えだとおもいます。わかった気になって、おごるな。自分の技量をたのんで相手をあなどるな。この二つは命取りになる。さらに、考えるな、これは理屈でなく体で覚えよ。頭でなく、体の動きにゆだねよ。なのですね」
根岸は空の茶碗を下に置いて、
「それにしても、家老からのお呼び出しはない。いつまで待つのだろうな」
久兵衛は先ほどの話をつづけて、
「そうか、これも、命とりですね。考えるな、剣を抜き合い、死闘する時・・・」
久兵衛が根岸を見た。根岸がポツリと言った。
「日ごろの鍛錬しかないな。あとは、おてんとうさまが、おきめになる」
「そうなんですね。言葉ではない、心とか、たましい、の領域なのかもしれませんね。人事を尽くして天命を待つ、なのですね」
久兵衛が根岸を見たが、聞いていないふうで目をつむっていた。
呼び出しの若い武士が奥の部屋への案内に来た。大刀を預けて、障子の開いた部屋をいくつも過ぎて廊下を歩いた。案内の武士の後ろに久兵衛が、そのうしろに根岸が歩いた。年から言えば根岸が上だが家格は久兵衛が上だった。家老は疲れた顔を隠そうともしないで床を背にして坐っていた。久兵衛と根岸は開けられた障子の敷居を前にして手前の部屋から両手をついて挨拶した。家老が二人に部屋に入るように言った。障子は案内した若い武士が閉めた。久兵衛があらたまって上京した言上をのべ、少し後ろに根岸がいた。部屋は先ほどまでの先客の気配がのこっていた。
家老が顔をあげた久兵衛を見て嬉しそうに、
「久兵衛、しばらく見ぬうちに立派になられたな。父上も兄たちも変わりないか・・・ すまぬが障子を開けて庭からの空気を入れてくれぬか」
久兵衛が立って庭に面した障子を開いた。朝の明かりといっしょに、さわやかな風がはいってきた。家老は根岸を見て、
「その方は根岸兎角殿の御子息だな。貴殿の父上は微塵流を開いたお方、わしも若いころ道場で容赦なく、きたわれておったよ。京までの道中、貝原殿の警固をしてきたそうだな」
「は、はぁ、何事もなく・・・ お役目がとけますまで京でも警固いたします」
「何事もなくとな・・・ 鞆の浦で薩摩の武士と立ち合い、昨日は柳生の仕事の手伝いまでしたのではないのかな」
「は、はぁ~ 」
久兵衛も席にもどっていたが、根岸よりも頭を畳に擦り付けるようにかしこまった。
「そのように、かしこまらなくてもよい。それよりも、そんなことよりも、もっと大きな大問題がある。長旅のあとだが、さっそく力を貸してもらわねばならぬ」
久兵衛も根岸も、家老は二人のこれまでの出来事を正確に把握している。そのことへのおどろきと恐ろしさを実感していた。
令和二年三月四日