ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

貝原益軒を書こう32の原稿を書き換えた。

昨日のエッセイ教室で、前回、指摘されていた内容を改めた。

当時の時代背景や人口、兵力、銃の数など数字は作者の解説として

まとめたのがいいか、登場人物の会話で表したがいいのか、迷う。

 

 

貝原益軒を書こう 三十二              中村克博

 

 

 そのとき、宗州の話をうつむき加減に聞いていた女人が顔をあげた。みんなの視線がそちらにうつった。女人の顏には血の気がなくて大きく開けた切れ長の目が宙を見るようにうつろだった。目玉が上にむかい瞼がピクピクしている。

 佳代がよびかけた。

「いかがなされました。どこか具合でも・・・」

 女人に反応はなかった。佳代が席を立ち近づいて女人を横に寝せ座布団を枕にした。三人の男は声もなくその様子を見ていた。佳代は女人の帯をゆるくして胸元を少しひらいた。

「なんと、この血のりは・・・」驚いた佳代の声がした。

佳代は男たちの視線をさえぎるように体をうつし、女人の襟を開いて傷はないのかと確かめている。そして、十字架の首飾りに気づいた。

「お怪我はないようですね。それにしても、この血のあとは・・・」

 佳代はいぶかしそうに女人の襟元をもどして、しばらく女人の顏をのぞいていた。つむった瞼がゆるんで顔色も少し良くなった。まだ口をつけていない女人の茶碗をとって女人の口にはこんだ。体をささえて顔をおこすと静かに目を開けた。茶に口をつけると少し飲んであとはゆっくりだが飲み干した。

「この様子では、この場にいるのは無理かと思います。よろしければ、私がお供してお湯を使っていただければと・・・」

 宗州が、そう、そうだ、と相槌をうつように、

「そうですね。食事よりもそれがいい」と言った。

 佳代は女人を部屋から湯屋へつれて行った。

 

 食事が運ばれてきた。湯漬けだった。皿に香の物が一品と焼味噌がそえてある。飯の椀に鉄瓶の湯をたっぷり注いで蓋をした。しばらく間をおいて、

「どうぞ、召しあがってください。わたしも一緒させていただきます」

 久兵衛と根岸は一礼して椀の蓋をとって飯を箸ですくうようにして口にはこんだ。

 宗州が二人の箸の運びを見ながら、

「それにしても、あのお方はよく無事でしたね」

 久兵衛が箸を止めて根岸をみた。根岸は湯漬けの椀を座卓にゆっくりもどして、

「目当ての者が替え玉で、しかも女人であったからですが・・・ しかし、それと分かる前に刺客の一人が間合いもよく斬りつけたのです。それに間髪を入れず警固の武士が我が身を投じてその一撃を自分の胴で受けたのです」

「そうでしたか」

「鎖帷子を着こんでいましたが三人の柳生の刺客を一人で受けていました。一撃を自分の胴で受けると同時に刺客の肩に斬り込んでおりました」

「それは警固の武士もかなりの使い手でしたね」

宗州は話しをとめて二人に食事をすすめた。

 宗州のすすめに根岸は箸をとって湯漬けをかき込んだが久兵衛が箸を置いて、

「先ほどのお話ですが、このたびの出来事は由比正雪の事件と、どのようなつながりがあるのでしょうか、茶会は大徳寺龍光院でとのことですが、わが黒田家とどのようなかかわりがあるのでしょうか」

 宗州は少し目線を下げると箸を持った手を座卓の隅にのせて、考え込むようにぽつりと話しはじめた。

「この話は長い年月の出来事、信長公や太閤殿下の時代までを紐とかねばなりません。イエズス会とか、わが国のキリシタンイスパニアといいますかポルトガル、スペインのこと、そしてオランダとかイギリスの事情までかかわる話になります」

「なんですと、由比正雪の乱がそのような途轍もない話に広がるのですか」

「直接につながりはしませんが、背景と言うか、時の流れの行きつく先といいますか」

「背景とはどのような、時の流れとは、どうぞお教えください」

 根岸は湯漬けを食べおえ、椀の湯も飲み干して話を聞いている。二人に見つめられている宗州が箸を置いて座卓の上に指を組んで話しはじめた。

関ヶ原合戦とその後の大坂の陣がおわり豊臣方が壊滅して大量の浪人がでますが、その中には多くのキリシタンがおりました」

「太閤様がキリシタンを禁制されたのに皮肉なことですね」

 久兵衛が相鎚を打つように受けると、話はつづいた。

「スペイン、ポルトガルイエズス会が大坂方にくみしていたともいえます。オランダは船の大砲を陸に上げたりして徳川に協力します。このころのポルトガルとオランダは本国がスペインに支配されたり離れたりして分かりにくいですね」

「はい、私が長崎で勉学中にオランダの医師から聞いた話では、イギリスも国王が処刑されたり復古したり複雑です。いずれにしろ徳川家光公まで三代の時代に外様大名八十二家、親藩譜代大名四十九家が改易されております」

 宗州は頷きながら、

島原の乱イエズス会の最後のあがきでしょうか、数万のキリシタン教徒と数千人にのぼるキリシタン浪人が原城にこもって戦い全滅しますが討伐軍にも数千人の戦死者がでます。このときもオランダの船が海上から原城へ艦砲射撃を加え幕府方を応援します」

「はぁ、そうでしたね、オランダはスペインと戦争中ですね」

宗州はうなづいて話を続ける。

「オランダ船が原城キリシタンを砲撃するのはイエズス会カトリックであるスペインとの戦闘でもあるのです」

 そこで、久兵衛は誇らしげに、

「我が国には二百以上の大名がおり、そのすべての領民を合わせると人の数は二千五百万ほど、その一割近くが武士です。スペインは七百万人、イギリスは四百五十万人と聞いております。オランダは船の上が領土のような状態でして・・・ さらに火縄銃の数も日本は五十万丁以上を所持して世界最大の銃保有国で、その性能もイギリスやスペインに引けはとりません。わが国の陸戦の強さはけた違いです。しかし、船の戦力ではオランダやイギリスが圧倒しますね」

宗州が応ずるように、

 「それに、各国と交易の基軸通貨は銀ですが、わが国の銀の産出量は世界の三割以上で、町人の女、子供でさえ読み書きできる」

 久兵衛がもどかしそうに、

「そうですが、しかし、それが由比正雪の乱と、どのようにかかわるのですか」

「そうですね、話が思いがけない方にいったようで・・・」

宗州は茶を一口飲んで、

「今では食い扶持のない浪人が国内で五十万人を超えると言います。さらにルソンのマニラや安南、タイ、インドのゴアなど海外にはわが国からあぶれ出た十万人にのぼる浪人が傭兵として移り住んでおります」

 久兵衛は驚いたような顔をして膝をのりだした。宗州がつづける。

「スペイン領のマニラでは日本人が一万五千人以上住んでおり、インドのゴアではポルトガル人よりも日本人の方が多く、ポルトガルの要塞を日本の傭兵が守っておるほどです」

「へぇ、そ、そうなのですか」と久兵衛は頓狂な声を出した。

「戦慣れした日本武士は戦う技が巧みなだけでなく勇猛で武器の性能も数にもすぐれ、タイ王家の日本人傭兵はスペイン軍を打ち破り撃退しています」

「はい、山田長政の話は聞いておりますが、このたびの公家の暗殺未遂や大徳寺での黒田家とのつながりが分かりません。どうか、その辺りをお教えください」

 宗州は、はたと口を閉じてしばらく考えるようであったが、

「長い話になります。うまく話せますか、どうか・・・」

 久兵衛は身を乗り出すように姿勢をただして、お願いしますと頭を下げた。

松平忠輝公は徳川家康公、権現様の六男で天正二十年(1592年)、江戸城で誕生されました。正室伊達政宗の長女で五郎八姫(いろはひめ)です。文禄三年(1594年)の生まれでキリシタンだと言われています。元和二年(1616年)、忠輝公は兄・秀忠公からなぜか突然、改易を命じられます。伊勢国朝熊に流罪とされ、金剛證寺に入ります。寛永三年(1626年)には信濃国諏訪の諏訪頼水に預け替えとなり今に至ります」

 根岸が落ちつかないようすで、

「お話し中ですが、佳代殿と女人のことが気になります」

 宗州がさもありなんと顔をあげて、

「そうですね、だいじょうぶとは思いますが、かといって、湯屋を見にいくのも、どうしたものか」

 そのとき、都合よく食事のあとを片付けに仲居が障子を開けたので、湯屋のようすを見てくるようにたのんだ。

 久兵衛が話の先を催促するように、

松平忠輝公の義父になる伊達政宗公は支倉常長使節としてスペインからローマのバチカンに送りますね」

「そうです、仙台藩はスペインの指導で帆柱が三本のガレオン船を造ります。慶長十八年(1613)使節はスペイン人のフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを副使として、常長は正使となり、総勢一八〇人が太平洋を渡りメキシコのアカプルコに向かいました」

 久兵衛は少し考えて確かめるように、

「そのころは、すでに幕府のキリシタン禁教政策がはじまっていたのですが、家康公はスペインと直接の交易をのぞんでおられたようですね」

 宗州は何度もうなずきながら、

「家康公としてはキリシタンの布教は禁止するが、交易は推奨する、いや独占したかった。浦賀からメキシコへは潮の流れも風の都合もいいようです。そのころ琉球、薩摩、長崎、平戸、博多、堺など西国の交易相手はポルトガルです」

「はい、出島は幕府がポルトガル人を管理する目的で建設しますが、今は平戸からオランダの商館を出移しておりますね」

「支倉使節の目的は通商交渉とされていますが、伊達政宗公はスペインとの軍事同盟をむすび江戸幕府を乗っ取るお考えがあったと思われるふしがあります」

「はい、そのような噂があったようですね」

フランシスコ会宣教師ルイス・ソテロは日本で弾圧され始めていた三十万人以上のキリシタンを動員してスペインの軍事力を使い、家康公の死後、将軍職を秀忠公から政宗公の娘婿である松平忠輝公に譲らせるはかりごとを伊達政宗公にしたものと私は思います」

「なるほど、忠輝公なら権現様の直系、政権の正統性はあります。それに、ルソン、タイ、インドには十万人にのぼる流浪する武士の傭兵集団がいるわけで、おそろしいことです」

「それに、徳川政権下には棄教したとはいえ多くの有力なキリシタン大名がいます。なかでも黒田家は如水公から長政公と筋金入りのキリシタンではありませんか・・・」

 

 黙って聞いていた根岸が、

「お話はいよいよ佳境に入るようですが、どうも、佳代どのと女人のことが気になります」

「そうですね、佳代のことですから、心配はいりませんが、仲居の知らせが遅いですね。私がちょっと見てまいります」と言って、宗州が部屋を出た。

 

 宗州が部屋を離れると、根岸がうつむいて久兵衛に言った。

「公家の女人は殺されるかもしれんな」

 久兵衛がびっくりして根岸を見た。

「えっ、なんで、そのような、柳生の刺客でさえ手にかけなかったものを・・・」

「いや、これまでの話を聞いておって、そのような感じがしたしたのだが・・・」

久兵衛は考え込んでいたが、腑に落ちないようで、

「人違いだったのに、なぜ殺されねばならぬのです」

「なぜか、その訳は分からぬが、そのような感じがするのだ」

 久兵衛が遠くを見る目で、

「公家の暗殺指示は幕府が何かの人脈を断とうとするのか、口封じのためか・・・ あるいは、由比正雪をそそのかした、たくらみは分かっておるぞ、との示威行為かもしれませんね」

 根岸は久兵衛の話は耳に入らないようで、ほかのことを考えていた。柳生の武士は、その役目を我らに、女人の処分を・・・ 柳生に、はかられたかも知れない、何とか助ける手立てはないものか、宗州のもとに置いておけば消されるだろう・・・

 久兵衛が思いついたように、なにか言おうとしたが足音が聞こえてきた。

 宗州が襖を開いて入ってきた。

令和三年二月四日