いろんな棚がある。
いろいろあって、こんがらがって、たいへんだ。
今の季節は庭に花が少ない。
昨日は、エッセイ皇室だった。
貝原益軒を書こう 二十七 中村克博
根岸は表情をくずさずに笑顔をかえしただけだった。風が変わって船がゆれた。宗州が体をささえながら話を転じた。
「根岸さまはこのたび、藩命で貝原様の身辺警護のお務めで京に上られております」
佳代が宗州を見て、
「船旅はこれから長く続きます。船箪笥に灘の澄み酒がありますが、おひやでよろしければ、みなさん召しあがりませんか」
「そうですね、どうでしょう」と宗州はみんなを見渡した。
柳生の一人がうなずいた。三人のうち最年長のようで白髪が混じって見えた。
「お見それいたしました。貝原殿は藩命で京へまいられるのですか」
久兵衛が背筋をのばして、
「はい、徳川家の文教方針を知るための遊学です」
べつの柳生の侍が、
「朱子学は林羅山先生の学問所が江戸上野忍岡にあるようですが」
「はい、存じております。羅山先生は権現様から秀忠公、家光公そして今の家綱公と将軍家四代に仕えておられますね」
もう一人、一番若い柳生の侍が、
「林家の役目は、寛永諸家系図伝、本朝通鑑などの編纂、それに武家諸法度や御定書百箇条などの撰定、朝鮮通信使の応接など多岐にわたります」
佳代がみんなに徳利から透き通った酒を大きめの盃に注いでまわった。
「これは、うまい酒ですね」と根岸は左手の二杯目を飲み干した。
白髪の目立つ柳生の武士が、
「貝原殿は黒田家の林羅山先生をめざされるようですね」
「そ、そんな、滅相もないことです」
「いや、藩命で根岸殿のような剣術使いが護衛に付き添うのですから」
「いやいや、とんでもないことで・・・」
さらに、べつの柳生武士が、
「京で木下順庵先生の門下に入られるのでは、会津の保科正之公も入門されております」
「いえ、順庵先生のところではありません」
一番若い柳生武士が、
「ひょっとして貝原殿、京で朝廷やご公儀の動静を探訪するお役目ではありませんか」
「いやいや、そのような・・・」
柳生の侍は代わる代わる久兵衛に斬り込むような問いに久兵衛はたじろいだ。
宗州が久兵衛の身の証しをするように、過書船での騒動のいきさつを話したあと、枚方の番所で取り調べの際、京都所司代から派遣された役人に、久兵衛が黒田家、小笠原家両方の通行手形を持っておった事などを説明した。
「そのように、ことの次第は、とっぴなできごとで、これは何かのご縁と貝原様と根岸様お二人には失礼かと思いましたが枚方のわが屋敷にお泊まりいただいた次第で・・・」
白髪の目立つ柳生の武士が、
「そうでありましたか、不躾に立ち入ったことをおたずねし、失礼いたしました」
久兵衛がほっとしたように、
「いえいえ、そちら様こそお役目からのご用心と・・・ むしろ私の気遣い不足です」
そのとき、根岸が口を開いた。
「ご公儀は各地の大名家に柳生新影流の師範を派遣しておられるようですね」
白髪の目立つ柳生の武士が、
「そのようです。筑前の黒田家には宗厳様から柳生姓をいただいた大野松右衛門様を通じて新陰流を広めます」
宗州がそれをうけて、
「長州の毛利家もそのようですね。それに、たしか、柳生石舟斎様を権現様に引き合わせたのは黒田長政公でしたね」
久兵衛が落ちついた笑顔にもどって、
「そうです。文禄三年、まだ豊臣政権の五大老であられた徳川家康公に黒田長政公がお取りなして、京の鷹が峰の地でお二人は会われます。」
柳生の侍たちがうなずいた。久兵衛はさらに、
「このおり家康公が宗厳様に出仕するよう求められますが、固辞して五男の柳生宗矩様を推挙したと伝わっていますね」
佳代が窓を開けた。
「雨が上がって青い空がでていますよ」
宗州が座ったままで背伸びして、
「ほんとに、いい天気になるようですね。外に出ていい風にあたりましょう」
出入り口に近い柳生の侍たちが立ち上がり表に出た。久兵衛も根岸も宗州親子も後に続いた。気持ちのいい風がふいていた。
まもなく船は八幡で停泊した。昼はとっくに過ぎていた。八幡は木津川と宇治川、桂川の河川が合流するところで皇室や武家、庶民までが信仰する石清水八幡宮がある。湊には船がたくさん入っており、通りには行き交う人が多かった。柳生の侍と共に近くの宿屋に入った。日のあるうちに京に着きたいので部屋には上がらずに店先の縁台で茶をたのんだ。調理場から旨そうな匂いがしている。雲間から昼下がりの陽がのぞいていた。宿にたのんだ折り詰め弁当ができたようで、船に運ばれている。
みんなは船の部屋にもどった。船は舫いをといた。それぞれが折り詰めに一礼して薄板をあけた。佳代が「おいしそう」と嬉しそうな声を出した。魚の煮つけに香の物、白い飯からは湯気が立っていた。
食べる顔は皆ほころんでいたがほとんど会話もなくほどなく食べおえた。佳代が温かいお茶を薬缶からみんなに注いでまわった。
根岸が一口飲んで柳生の侍に、
「お三方は急ぎの用で、主命で仕置きをされるようですが、お手ぎわを拝見したいものですな」
宗州は固まったようになり根岸を見た。久兵衛はキョトンとした顔をしていた。
白髪の目立つ柳生の武士が、少し間をおいて、
「お察しのとおりですが、しかし、無体なことを言われますな」
「そうですか、しかし、まだ柳生の剣さばきを見たことがありませんので」
「私も根岸殿の太刀筋を拝見したいものですが、介入はできませんしな」
「ならば偶然にも、その現場に通りかかったのなら、致し方ないでしょう」
令和二年十月一日