ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

金曜日、午前中エッセイ教室、夕方から居合の稽古。

 コロナで稽古時間が早くなった。6時から7時半まで、8時までに武道館を出る。

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マスクをして小学生が稽古していた。

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寒い日だった。八木山はマイナス、福岡でも夕方は3度だった。

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宗家が初心者に教授するのを見ていると、

僕はいまだに基本ができていない箇所に気づくときがある。

もう十年以上も居合の稽古をしているのに、居合の技は奥が深い。

居合道場、柳心会のホームページが新しくなった。

愛洲影流継承 福岡黒田藩傳 柳生新影流兵法 柳心会 | 福岡市を拠点に活動する 柳生新影流、柳心会 (shinkage.net)

 

 

きょう提出した小説原稿はいろいろな問題点を指摘された。

歴史的な事実かも知れないが、当時の人では、このように詳しく

数字まではいった世界情勢は語れないだろう。という意見をいただいた。

 

貝原益軒を書こう 三十二              中村克博

 

 そのとき、宗州の話をうつむき加減に聞いていた女人が顔をあげた。みんなの視線がそちらにうつった。女人の顏には血の気がなくて大きく開けた切れ長の目が宙を見るようにうつろだった。目玉が上にむかい瞼がピクピクしている。

 佳代がよびかけた。

「いかがなされました。どこか具合でも・・・」

 女人に反応はなかった。佳代が席を立ち近づいて女人を横に寝せ座布団を枕にした。三人の男は声もなくその様子を見ていた。佳代は女人の帯をゆるくして胸元を少しひらいた。

「なんと、この血のりは・・・」驚いた佳代の声がした。

佳代は男たちの視線をさえぎるように体をうつし、女人の襟を開いて傷はないのかと確かめている。そして、十字架の首飾りに気づいた。

「お怪我はないようですね。それにしても、この血のあとは・・・」

 佳代はいぶかしそうに女人の襟元をもどして、しばらく女人の顏をのぞいていた。つむった瞼がゆるんで顔色も少し良くなった。まだ口をつけていない女人の茶碗をとって女人の口にはこんだ。体をささえて顔をおこすと静かに目を開けた。茶に口をつけると少し飲んであとはゆっくりだが飲み干した。

「この様子では、この場にいるのは無理かと思います。よろしければ、私がお供してお湯を使っていただければと・・・」

 宗州が、そう、そうだ、と相槌をうつように、

「そうですね。食事よりもそれがいいですね」と言った。

 佳代は女人を部屋から湯屋へつれて行った。

 

 食事が運ばれてきた。湯漬けだった。皿に香の物が一品と焼味噌がそえてある。飯の椀に鉄瓶の湯をたっぷり注いで蓋をした。しばらく間をおいて、

「どうぞ、召しあがってください。わたしも一緒にご相伴させていただきます」

 久兵衛と根岸は一礼して椀の蓋をとって飯を箸ですくうようにして口にはこんだ。

 宗州が二人の箸の運びを見ながら、

「それにしても、あのお方はよく無事でしたね」

 久兵衛が箸を止めて根岸をみた。根岸は湯漬けの椀を座卓にゆっくりもどした。

「目当ての者が替え玉で、しかも女人であったからですが・・・ しかし、それと分かる前に刺客の一人が間合いもよく斬りつけたのです。それに間髪を入れず警固の武士が我が身を投じてその一撃を受けたのです」

「そうでしたか、自分の胴で、ですか」

「鎖帷子を着こんでいましたが三人の柳生の刺客を一人で受けていました。一撃を自分の胴で受けて、同時に刺客の肩に斬り込んでおりました」

「それは、警固の武士もかなりの使い手でしたね」

宗州は話しをとめて二人に食事をすすめた。

 宗州のすすめに根岸は箸をとって湯漬けをかき込んだが久兵衛が箸を置いて、

「先ほどのお話ですが、このたびの出来事は由比正雪の事件と、どのようなつながりがあるのでしょうか、茶会は大徳寺龍光院で、とのことですが、わが黒田家とどのようなかかわりがあるのでしょうか」

 宗州は少し目線を下げるようにうつむき、箸を持った手を座卓の隅にのせて、考え込むようにぽつりと話しはじめた。

「この話は、長い年月の出来事、信長公や太閤殿下の時代までを紐とかねばなりませんし、イエズス会とか、わ国のキリシタンや、イスパニアといいますかポルトガル、スペインのこと、そしてオランダとかイギリスの事情までもかかわる話になります」

「なんですと、由比正雪の乱がそのような、途轍もない話に広がるのですか」

「直接につながりはしませんが、背景と言うか、時の流れの行きつく先といいますか」

「背景とはどのような、時の流れとは、どうぞお教えください」

 根岸は湯漬けを食べおえ、椀の湯も飲み干して話を聞いている。二人に見つめられている宗州が箸を置いて座卓の上に指を組んで話しはじめた。

関ヶ原合戦とその後の大坂の陣がおわり豊臣方が壊滅して大量の浪人がでますが、その中には多くのイエズス会キリシタンがおりました」

「太閤様がキリシタンを禁制されたのに皮肉なことですね」

 久兵衛が相鎚を打つように受けると、話はつづいた。

「スペイン、ポルトガルイエズス会が大阪方にくみしていたともいえます。オランダは船の大砲を陸に上げたりして徳川に協力します。このころのポルトガルとオランダは、本国がスペインに支配されたり離れたりして分かりにくいですね」

「はい、イギリスも国王が処刑されたり復古したり複雑です。いずれにしろ徳川家光公まで三代の時代に外様大名八十二家、親藩譜代大名四十九家が改易されております」

 宗州はうなづきながら、

島原の乱イエズス会の最後のあがきでしょうか、数万のキリシタン教徒と数千人にのぼる浪人のキリシタン武士が原城にこもって戦い全滅しますが討伐軍にも数千人の戦死者がでます。このときもオランダの船が海上から艦砲射撃で応援します」

「わが国の陸戦の強さはけた違いですが船の戦力ではオランダが圧倒しますね」

宗州はうなづいて話を続ける。

「オランダ本国はスペインとで戦争中です。オランダが原城キリシタンを攻撃するのはイエズス会を、カトリックのスペインを砲撃する戦闘でもあるのです」 

「はぁ、そうなのですか、オランダはスペインと戦争を・・・」

「我が国の人口は二千五百万ほどですが、スペインは七百万人、イギリスは四百五十万人と聞いております。オランダは船の上が領土のような状態で・・・ それに、各国と交易の基軸通貨は銀ですが、わが国の銀の産出量は世界の三割以上です。火縄銃の数も日本は五十万丁以上を所持して世界最大の銃保有国で、その性能や飛ぶ鳥も撃ち落とす精密さで鳥銃と言われるほどです」

 久兵衛がもどかしそうに、

「そうですか・・・ しかし、それが由比正雪の乱と、どのようにかかわるのですか」

「話が長くなりましたが、もうしばらくお聞きください」

宗州は茶を一口飲んで、

「今では食い扶持のない浪人が国内で五十万人を超えると言います。さらにルソンのマニラや安南、タイ、インドのゴアなど海外にはわが国からあぶれ出た十万人にのぼる浪人が傭兵として移り住んでおります」

 久兵衛は驚いたような顔をして膝をのりだした。宗州がつづける。

「スペイン領のマニラでは日本人が一万五千人以上住んでおり、インドのゴアではポルトガル人よりも日本人の方が多く、ポルトガルの要塞を日本の傭兵が守っておるようです」

「へぇ、そ、そうなのですか」と久兵衛は頓狂な声を出した。

「戦慣れした日本武士は戦う技が巧みなだけでなく勇猛で武器の性能も数にもすぐれ、タイ王家の日本人傭兵はスペイン軍を打ち破り撃退しています」

「はい、山田長政の話は聞いておりますが、このたびの公家の暗殺未遂や大徳寺での黒田家とのつながりが分かりません。どうか、その辺りをお教えください」

 宗州は、はたと口を閉じてしばらく考えるようであったが、

「長い話になります。うまく話せますか、どうか・・・」

 久兵衛は身を乗り出すように姿勢をただして、お願いしますと頭を下げた。

松平忠輝公は徳川家康公、権現様の六男で天正二十年(1592年)、江戸城で誕生されました。正室伊達政宗の長女で五郎八姫(いろはひめ)です。文禄三年(1594年)の生まれでキリシタンだと言われています。元和二年(1616年)、忠輝公は兄・秀忠公からなぜか突然、改易を命じられます。伊勢国朝熊に流罪とされ、金剛證寺に入ります。寛永三年(1626年)には信濃国諏訪の諏訪頼水に預け替えとなり今に至ります」

 根岸が落ちつかないようすで、

「お話し中ですが、佳代殿と女人のことが気になります」

 宗州がさもありなんと顔をあげて、

「そうですね、だいじょうぶとは思いますが、かといって、湯屋を見にいくのも、どうしたものか」

 そのとき、都合よく食事のあとを片付けに仲居さんが障子を開けたので、湯屋のようすを見てくるようにたのんだ。

 久兵衛が話の催促をするように、

松平忠輝公の義父になる伊達政宗公は支倉常長使節としてスペインからローマのバチカンに送りますね」

「そうです、仙台藩はスペインの指導で帆柱が三本のガレオン船を造ります。慶長十八年(1613)使節はスペイン人のフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを副使として、常長は正使となり、総勢一八〇人が太平洋を渡りメキシコのアカプルコに向かいました」

 久兵衛は少し考えて確かめるように、

「そのころは、すでに幕府のキリシタン禁教政策がはじまっていたのですが、家康公はスペインと直接の交易をのぞんでおられたようですね」

 宗州は何度もうなずきながら、

「家康公としてはキリシタンの布教は禁止するが、交易は推奨する、いや独占したかった。浦賀からメキシコへは潮の流れも風の都合もいいようです。琉球、薩摩、長崎、平戸、博多、堺、など西国はポルトガルです」

「はい、出島は幕府がポルトガル人を管理する目的で建設しますが、今は平戸からオランダの商館を移しておりますね」

「支倉使節の目的は通商交渉とされていますが、伊達政宗公はスペインとの軍事同盟をむすび江戸幕府を乗っ取るお考えがあったと思われるふしがあります」

「そのような噂はあるようですね」

フランシスコ会宣教師ルイス・ソテロは日本で弾圧され始めていた三十万人以上のキリシタンを動員してスペインの軍事力の使い、家康公の死後、将軍職を秀忠公から政宗公の娘婿である松平忠輝公に譲らせるはかりごとを伊達政宗公にしたものと思います」

「なんと、忠輝公なら権現様の直系、政権の正統性はあります。それに、ルソン、タイ、インドには十万人にのぼる流浪する武士の傭兵集団がいるわけで、おそろしいことです」

「それに、徳川政権下には棄教したとはいえ多くの有力なキリシタン大名がいます」

 黙って聞いていた根岸が、

「お話はいよいよ佳境に入るようですが、どうも、佳代どのと女人のことが気になります」

「そうですね、佳代のことですから、心配はいりませんが、仲居の知らせが遅いですね。私がちょっと見てまいります」と言って、宗州が部屋を出た。

 

 宗州が部屋を離れると、根岸がうつむいて久兵衛に言った。

「公家の女人は殺されるかもしれんな」

 久兵衛がびっくりして根岸を見た。

「えっ、なんで、そのような、柳生の刺客でさえ手にかけなかったものを・・・」

「いや、これまでの話を聞いておって、そのような感じがしたしたのだが」

久兵衛は考え込んでいたが、腑に落ちないようで、

「人違いだったのに、なぜ殺されねばならぬのです」

「なぜか、その訳は分からぬが、そのような感じがするのだ」

 久兵衛が遠くを見る目で、

「公家の暗殺指示は幕府が何かの人脈を断とうとするのか、口封じのためか・・・ あるいは、由比正雪をそそのかした、たくらみは分かっておるぞ、との示威行為かもしれませんね」

 根岸は久兵衛の話は耳に入らないようで、ほかのことを考えていた。柳生の武士は、その役目を我らに、女人の処分を・・・ 柳生に、はかられたかも知れない、何とか助ける手立てはないものか、宗州のもとに置いておけば消されるだろう・・・

 久兵衛が思いついたように、なにか言おうとしたが足音が聞こえてきた。

 宗州が襖を開いて入ってきた。

令和三年一月二十八日