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はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

貝原益軒を書こう 七十  

貝原益軒を書こう 七十                   中村克博

 

 

 先日、南禅寺の金地院をたずねてからひと月ほどたっていた。お盆もすぎて、いくつもの夏の行事も終わって、セミの声がすずしくかんじるようになっていた。

 久兵衛は松永尺五と久しぶりに対面していた。受講場所が二条城の近くの講習堂から御所の南下の尺五堂にうつっていた。尺五堂の茶室は母屋を離れ、ひなびた感じの茶庭をとおって藁ぶきの草庵がしつらえてあった。佐那が同席していた。

佐那は飲み干した茶碗を尺五に返して、

「お茶の味わいは、いただく場所でもかわるものですね」

 尺五は受けた茶碗の底を見ながら、

「そうですか、茶の味わいはいろいろあるようですね」

 部屋を夕方の風がとおりぬけていた。蚊やりの煙の匂いが漂っている。

 久兵衛は金寺院で見学してきた小堀遠州の八窓席の茶室について、どのような感想を報告すべきかの論考はできていたが切り出せないでいた。

 久兵衛は床の花をみたり、天井をながめ、窓の外をみたりしていた。

「この茶室は金寺院の八窓席とは求める趣きが逆のようにおもいます」

 尺五はうなづきながら、久兵衛をみて、

「そうですね。どのように違うとお考えですか」

 久兵衛はかるく頭を下げてつつしんだ姿勢になって、

「はい、こちらの造りは数寄屋で柱は面皮付、天井も飾り床も利休様が望まれた冷凍寂枯、侘びとか寂びの領域かと思います」

「なるほど、それでは金寺院の八窓席はどのような成り行きで造られますか」

 口頭試問にこたえる学生のように、

小堀遠州公は新奇の茶風をおこされたのは古田織部公のようでもありますが、直弟子でも流儀はちがいます。綺麗寂びなどともいわれますが、それは表層のこと、実情に即して世情を先取りするか世上を誘導する独自の趣旨があるようです」

 尺五は満足そうな顔をして、さらに質問した。

古田織部公は大坂の陣のあと切腹をさせられますが、遠州公は茶の師匠をなぜ事前に助言できなかったのでしょうね」

 久兵衛は待っていたように

徳川秀忠公の茶頭であり、古田織部公ほどの大名が世の動きに疎いはずはありません。先の先まで読んで東軍に属したのだと思います」

「そうですか、ならば、なぜに豊臣家に内通するなどの嫌疑を受けたのでしょうな」

 久兵衛はしばらく考えていたが、

織部様は利休七哲のひとりで交易や商いを重視する考えです。内々の儀は宗易(利休)に公儀のことは宰相(秀長)が存じ候と言われたほど、利休様も豊臣秀長公も太閤殿下が信頼していた商業を重要する側近です」

 尺五は久兵衛のそのあとの説明をしばらくまっていた。

久兵衛は姿勢をただすように背を伸ばしたが沈黙がつづいた。

そのとき、佐那がおそるおそる口をひらいた。

「大納言秀長様がお亡くなりになったあと、郡山のお城には金蔵いっぱいの金銀があったそうですね。秀頼さまの大坂城にはその何百倍もの金銀や財宝があって、それが天下騒乱のよりどころとなっていたと聞いております」

 その話のあとをつなぐように久兵衛が話しはじめた。

「徳川家は戦乱のない天下泰平の世を治める手立てを次々に講じますが、戦さをしない武士の人倫として朱子学をひろめます」

 佐那が不思議そうに、

「武士の生きかたは庶民の見本になり、道徳の根底に朱子学があれば商いを卑しい行為だと世間は思うようになりはしませんか」

 尺五はなるほどと、

朱子学南宋期にでた儒教の一派ですが、孔子はもともと商業を否定してはいません。それに徳川家は交易や商いを重要だと思っています。これは織田信長公から太閤殿下から続く国家支配の基本です。物流の支配を第一に、そのもとになる資本、つまり金が何よりも大切なことは身をもってわかっています」

 佐那はなおも理解できそうになく、

朱子学はむつかしい学問で、範囲がひろくて・・・ そのなかで、父子の親・君臣の義・夫婦の別・長幼の序・朋友の信。それに仁・義・礼・智・信などがおもいだされ、家族とか国家を秩序づける狙いですが、それが、なぜ商いが卑しいと独り歩きしておるのですか」

 尺五は嬉しそうに聞いていたが、

「貝原殿、いまの佐那殿の意見についてどのように考えますか」と言った。

 久兵衛は、はっ、とかしこまって、

「ほんとに、朱子学は難解で朱子学者の林羅山先生は家康公から家綱公の四代の将軍家に侍講としてお仕えしておられます。国家の経営は戦時も平時も理財の確保と使い方が根本で、幕府がその主導を持ちます。参勤交代は全国で二百以上の大名家が正妻と世継ぎを江戸に住まわせ、大名家の故郷はみな同じです。その江戸住みの家臣団は五十万から百万人ほどになります。それに盆暮れに限らず大名家どうしの高価な贈答品が行き交います。国元の特産品の発展にもなりますが、江戸は巨大な資金が集まる物流と消費の場所になります」

 久兵衛は話を中断してひと息いれた。それを佐那が話をせかすように、

「徳川さまは各地の神社仏閣の修理や街道の整備などを大名に負担させ、それにオランダとの貿易を長崎の出島で独り占めされます。いけずですね」

 尺五が笑いながら、

「徳川家は日本中の金山や銀山を天領として、貨幣の鋳造と発行を独占しますね」

 佐那は久兵衛を見て、

「利休様の数寄屋の草庵は清貧と献身、自由と平等、救いと愛を秘めています。古代に西域から伝わったイエスさまの教えとおなじです」

 久兵衛は困った顔をして尺五を見て、

小堀遠州公は利休様がもとめた侘び寂びの茶室を書院風な時代にもどしました。瀟洒、洗練、新鮮を感じますが、貴賤の分、自然の道理、変則と当意即妙を表明しておると・・・」

 尺五は黙って聞いていた。待ちきれないように佐那が口をひらいた。

「利休さまと遠州公は根本がことなっておるのですか、もとめるものが反対なのですね」

 尺五は黙って聞いていた。日が落ちてすずしい風がふいていた。

                                 令和五年八月十七日