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はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

五島から博多まで

五島から博多まで                 中村克博

 

 

 九州商船のフェリーは長崎港を朝八時すぎに出て五島の福江港に三時間ほどで着いた。フェリーを下りると車で福江港近くの石田城の跡に出かけた。五島氏一万二千石の本丸跡地は五島高校になっていた。海風が強い石段を女生徒が数人おりてきた。風が吹き上げて彼女たちはいっせいにスカートをおさえた。歴史資料館に行った。天気だったのににわか雨が激しく降った。笑顔のいい女性職員が傘を貸し出してくれた。

五島うどんを食べようと思ったら二時すぎていてどこも店が閉まっていた。五島うどんは特産の椿油を塗って伸ばした乾麺で博多のうどんの三分の二くらいに細い。鍋で茹であげ水洗いせず熱々のままアゴだしのつゆで食べるそうだ。

 

福江の港に面したホテルにチェックインした。昼抜きで夕食が待ち遠しい。地元に人気の食事どころをフロントで尋ねると居酒屋石松がイチ押しだった。歩いてすぐだった。個室も広間も賑やかで、カウンター席に案内された。目の前で忙しく包丁を使っている初老のおじさんはズングリムックリ、日焼けしたタコ坊主頭に指の太さのねじり鉢巻きで愛嬌がいい。なじみ客の話に笑顔でこたえている。ワサビのきいた刺身の盛り合わせ、きびなごのてんぷら、げそのてんぷら、量が多くて腹いっぱいになった。ビールがうまかった。

 

夜明けのずっと前、船のエンジンの音がして目がさめた。暗い窓のカーテンを開くと次々と小型の漁船が出て行く風景が月の明かりで見えた。右舷の緑のランプが右に移動して船が動き出したのが分かる。先に走る船の船尾燈と両舷の赤と緑の光が遠くなっていくのをしばらく見ていた。船が出て行って静かになったのでベットに横になって眠った。

部屋が明るくなっていた。青く光る水平線が輝いて朝日が昇ってくるのが窓越しに見えた。青かった空はオレンジ色にそまって鳥がたくさん飛んできた。カモメと思ったらカラスだった。

 

博多行きの野母汽船のフェリー太古は福江港を十時十分に出航する。ホテルをチェックアウトして、時間があるので鬼岳の展望台に行った。晴れた空を見上げると広大な山の斜面に草刈り作業をする人たちが見える。遠くの水平線は湾曲して、黑く光る海や幾つもの島影が見えた。

福江港に到着してフェリーの車寄せに行くと乗用車は見あたらない。大型トラックの間に混じって埋もれるように並んだ。博多港には午後五時四十五分ごろに到着する予定だ。営業距離は約二二六キロメートルになる。

フェリーボート太古は大正五年就業で野母商船の歴代に継がれてきた連絡船の船名だ。大正五年は西暦一九一六年、第一次世界大戦の最中でヨーロッパは大混乱の時代だ。福岡市にアメリカの南部パブテスト派の宣教師ドージャーが西南学院を創設した年でもある。

太古は福江を出て幾つもの島をぬうように北上した。天気がいい、デッキの風が気持ちよかった。部屋は左舷側と正面が大きな窓で、広くて設備がいい。机でノートパソコンを開くと妻がコーヒーを淹れてくれた。青方から小値賀と島のターミナルに接岸しながら太古は走った。複雑に入り組んだリアス式海岸の断崖や小さな無人島が次々といれかわりたちかわりすぎていった。疲れたので部屋のベットで横になっていたら次の停泊地の宇久は眠っていた。

 

むかし、博多から宇久までヨットで何度か来たことがある。もうあれから二十年ほどになる。小戸のハーバーから宇久の港までの航海距離は約一三〇キロメートル、ヨットの帆走平均速度を五ノットとして最短距離で二六時間だが風は変わるので実際の航海距離はもっと長くなる。風がよければ早くなるし、向かい風ならジグザグに走るので距離は倍ほどのびる。凪が続けばいつ着くかわからない。レースでなければ機帆走で走るので七ノットくらいで直進する。予定がたてやすい十八時間あまりで着く。

狭いヨットのコックピットでは日がな一日、見えるのは海と空だけ聞こえるのは波風の音だけ、クルーがいても長い付き合いで会話はない。数日つづく航海なら船内で料理をするが、一昼夜ならコンビニ弁当かオニギリだ。まぁ、それでも、うまいが・・・ トイレはあるが使わないでデッキから用をたすし、手は洗わない。雨風が出て時化て来たら宿帆したり、ストームジブに替えるたりするが、波をかぶって濡れて斜めになったデッキの上での作業は危険で考える暇などない、雨風の夜だと手元は見えない。落水防止のハーネスを付けているので動きは限られる。暗闇で勝手に手足が動かなければ大変なことになる。

 

平戸島生月島にかかる橋の下をフェリー太古は通った。波戸岬が見えてきた。呼子町加部島加唐島の間を通る。ヨットでは何度も通った景色なのに太古の三階デッキの高さからは違う風景に見える。唐津湾に浮かぶ姫島、志摩芥屋の西の端、西浦の岬、いよいよ玄界島が見えてきた。ヨットならこれから二時間ほどで帰港するが太古は二十分ほどだろう。

令和五年九月一日