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貝原益軒を書こう 五十八

貝原益軒を書こう 五十八               中村克博

 

 部屋から出て右舷側で起きている騒乱を見た大型ジャンク船の船長とその副官、根岸、それに鄭成功の傭兵の頭目は中央の甲板に駆け下りた。硝煙が立ちこめて射撃音が耳をつんざく。銃を撃つ者と火薬を入れ弾を込める者との役割が決まっていた。船長がやめるようにいくら怒鳴ってもやめない。日本語がたどたどしくて、銃撃のはじける音で聞こえない。射撃をしているのは鄭成功の傭兵だけではなかった。意外と銃に手慣れた移住武士団の若者たちが多数いた。

なすすべもない根岸の横で傭兵の頭目がにんまりと笑った。意味が解らず笑いも返せず少し頭を上下した。傭兵の頭目は射撃音の合間をみて大声で撃ち方やめの声をだした。射撃はすぐにやんだ。そのあと、オランダの船長は下に向かってその副官も一緒になって撃つな撃ち方やめをオランダの言葉で大声で叫んだ。

 撃ち合いは止まった。硝煙は風に流れて火薬の匂いがしばらく残っていた。殺気だった若い武士たちが渡された大小の刀を腰に差していた。槍を持った者もいる。それに火縄銃を持っている者が多数いた。死傷者はいないようだ。

 オランダ船の船長が根岸の横にきて、

「根岸様、これ、佳代さんから、あなた、に・・・」

と言って二十両が入った包みを手渡そうとした。

根岸は何のことやら理解できずに、

「いま、佳代さんと言われたか・・・」と問い返した。

 根岸が包みを受取ろうとしないので、オランダの船長は包みから懐剣だけを取り出して根岸に手渡した。根岸はそれを見てすぐに納得したが、

「この懐剣は確かに佳代殿のものだが、なぜ・・・」

 オランダの船長は日本語での説明ができず困っていた。

それを見て柳生の松下が二人に近づいて、

「根岸殿と御懇意な佳代殿が、いま、そこのオランダ船に乗っておられる。大坂からの弁財船に乗って、我らとは別の小さな方にな、根岸殿を追って、鬼界ヶ島でオランダ船に乗りかえて、ここまでこられたのよ。たいそうなことだ・・・ わしは鬼界ヶ島で小型のジャンクに移動した折に柳生の女に詳しいことを知らされておったが船が別々では貴殿に知らせる機会がなかった」

 根岸は頭を整理しているようだった。さらに松下が言った。

「移住する武士団はこの船で鄭成功の傭兵の頭目に引き渡す。根岸殿の役目は済んだことになる。根岸殿はオランダ船長の船で台湾に行く、みどもと台湾で会おう」

とっさなことで、根岸は状況を理解できないでいた。

 

 晴れていた空にいつの間にか雲がでていた。南からの湿った重たい風が吹いて、動きの早い雲が重なり辺りは急に暗くなった。遠くにいるオランダの戦艦に動きがでていた。二隻のうち若干小さい方が南風を小さく斬り上げながらゆっくり近づいてくる。ジャンク船の船長が単眼鏡でそのようすを見ている。戦艦から光がチカチカと見えた。ジャンク船の船長が日本語で大声に叫んだ。大砲の弾が飛んで来る、床に伏せるように叫んだ。まわりの武士たちは何事かと船長を見ている。床に伏せたのはジャンク船の船長だけだった。いや、鄭成功の傭兵たちは船長より早く床に沈んでいた。

 遠くから大砲の一斉射撃音が届くとジャンク船の舳先前方に水柱が立て続けに噴きあがった。武士たちが騒ぎ出した。腰を低くする者や帆柱や物陰にしゃがみ込む者がいた。またして戦艦が横一列の光を放った。音が轟いて水柱があがった。こんどは先ほどより近くに落ちてきた。

 オランダの船長がジャンク船の船長に言った。

「この射撃、警告、話合い、はやく。ホントに、撃つ、大勢死ぬ」

 ジャンク船の船長が怒ったように、

「そのような脅しでは、できる話もできませんぞ。この船をホントに撃てばあなたが一番に死ぬ。目当ての日本の武士も手に入らぬ。何のために撃つのだ」

 オランダの船長が諭すように、

「戦艦二隻、台湾のちがう。バタヴィアの、オランダ東インドの戦艦。大砲撃つだけ、それだけ仕事、インドから、台湾まで、ポルトガル、スペイン、イギリスと戦う仕事。わたし、台湾ゼーランジャ城の副官、仕事、ちがう」

ジャンク船の船長が確かめるように、

「では、日本の武士五百が厦門にいくなら、みな沈める、バタヴィアのオランダ戦艦は、五百の武士を沈める、必要なら台湾のオランダ船も沈めると・・・」

「そう、たぶん、ほんと。二隻の戦艦、このあと、ポルトガルマカオ、砲撃してバタヴィア、帰る、それ仕事。もう時間ない。ほんと、大砲、たくさん撃ってくる。これ仕事、ほんと・・・ 私死ぬ、それ関係ない」 

「わけがわからん。話にならん」とジャンク船の船長が言った。

 そのとき、柳生の松下が話に入ってオランダの船長に言った。

「では、この話は船長、あなたの判断で決まる。であれば、こうしよう。小型のジャンクにいる老武士と女子供はオランダの台湾に、さらに、この船の若い武士たちから二百人を台湾行きにくわえる。残る三百の若い武士たちを厦門鄭成功のもとに届ける。しかし積荷の大小の刀が千振り、火縄銃二千丁と大量の鉛玉が積まれておるが、これはそのまま鄭成功に送られる。これで了解してもらいたい」

 ジャンク船の船長が不満げに言った。

「若い武士を二百人もオランダに取られては鄭成功様に申し開きができない。それでは厦門でわしは斬首される」

 遠くにいた大きい方の戦艦が近づいている。こちらの大型ジャンク船は右舷に小型のオランダの高速船を絡みつけ、左舷には僚船のジャンクを舫っている。身動きがとれないのだ。雨が降ってきた。

 ジャンクの船長がゆっくり、言った。

「若い武士四百人、すべての武器と共に厦門に行く。オランダには年老いた武士と女子供、それに百人の若い武士が小型のジャンク船で台湾に行く。積んである鬼界ヶ島の硫黄はオランダに渡す。これが最後の話だ」

オランダの船長は了解した。柳生の松下は根岸に目で応諾をつたえて、鄭成功の傭兵の頭目の承知を確認した。話は決まった。

 そこで、オランダの船長が言った。

「その話、それで、いい。しかし、心配ある、小型ジャンク、明の船、台湾いく、ホント台湾、行くか、それ心配、明の人、嘘おおい」

 そのとき松下が同伴していた老齢の武士が進み出て首から十字架を出した。

「私は追放バテレンの武士家族二百人を代表するものです。私は神に生涯を捧げる誓いを立てたイエズス会の司祭です。神と家族に誓って約束を守ります」と言った。

 松下がオランダの船長に言った。

バテレンの宗派は違っても同じ神でしょう。その神に誓うと言っておる。それに、私も同じ船で台湾に向かうが武士の面目にかけて、この取決めを果たします」

 オランダの船長は笑顔で松下の手をとった。

「松下殿、あなた徳川幕府の秘密の使い、わたし知ってる。長崎の商館、日本との貿易大切、台湾ゼーランジャ城、約束守る。それ私の仕事。日本の武士無事に四百人厦門、行く、これ、解りますか」

 松下は黙って、オランダの船長の手を握りかえした。

 ジャンク船の船長が副官に、鄭成功頭目に、移住武士団の代表者に、話合いの決着を伝え、すぐさま、それぞれの行動に移るように号令した。

 

 根岸はもう会うことはないジャンク船の船長に別れを告げた。鄭成功の傭兵の頭目が見あたらなかった。松下に挨拶して佳代のいるオランダ船に太い綱を使って乗り移ろうとした。オランダの船長がそれに気づいて、自分と一緒に竹駕籠で下りるように言った。その前に船長は二十両の包みを根岸に手渡した。根岸は礼を言って受け取った。根岸はごった返す人混みに傭兵の頭目を探した。頭目は部下の報告を受け、指示をだして忙しそうにしていた。根岸はそこにいそいだ。頭目が気づいた。根岸は二十両の包みを押しつけた。お別れだ、これを受取ってくれと言った。小判だとわかると、これはもらえないという。我らは金のために戦うが施しは受けぬという。頭目に部下が二人指示を求めてきた。何やら手短に言って怒鳴りつけていた。

根岸は懐からポルトガル製の短筒を取り出した。頭目がそれを見てぎょっとした顔になった。根岸は笑って小さな短筒の柄の方を向けて頭目に渡した。ここでお別れだ。もう会うことはない、自分の気持ちだといった。短筒を手にした頭目は珍しそうに眺めて二十両の包みも受とり懐に押し込んだ。部下が二人慌ただしく報告に来た。頭目は短筒を手に持って時おり筒先を小さく揺らして満足そうに聞いていた。引き返す根岸を見て嬉しそうな笑顔を送った。

 

オランダの船長は少しいら立って竹の吊り篭の前で根岸を待っていた。根岸はオランダの船長のあとから窮屈そうに吊り篭に乗り込んだ。大男が二人では重すぎるのか竹篭がギシギシと音をたてた。篭がゆっくり下がりだした。横をオランダの船長の副官が太い綱を伝ってスルスルと下りてきた。片手を振って身軽に先に下りて行った。

佳代はオランダ船の船長室の隣の小部屋にいた。少年水夫のジャンといっしょだった。もうすぐ根岸が来ることはわかっていた。

令和四年九月一日