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貝原益軒を書こう五十六

貝原益軒を書こう五十六              中村克博

 航海は順調で何事もなく夜がすぎて朝をむかえた。船はさらに南下して蒸し暑く根岸はよく眠れなかった。船室を出て船尾甲板から遠くの海をみた。北を向いても南を見てもどこを向いても海しか見えなかった。西からの風が汗で湿った衣服を撫でて心地よかった。北東のかなた後ろに僚船のジャンクがいた。二本の網代帆が朝日に照らされている。

波は静かで風がいい、船が大きいので揺れは感じない。波の音も風の音もほとんど聞こえなかった。中央の甲板には大勢の日本人がいた。由比正雪の乱に加担した容疑で国外追放になる武士たちだ。鄭成功の支配する拠点、厦門に向かう。ほとんどがキリシタンだ。根岸が見ていると日本の武士の中に鄭成功の傭兵部隊の武士が十人ほどいる。追放になる武士たちは丸腰だが傭兵隊の武士は刀を大小差しているのでそれと分かる。ニ三人が組になって大勢の武士の間を歩いて見回っている。船尾甲板にいる根岸に気づくとお辞儀をして遠くから挨拶を送ってきた。

 

 朝餉を明の水夫が運んできた。甲板の武士たちにも次々と運ばれていく。人のざわめきがどやどやと広がっていった。

船尾楼の下から声がした。傭兵の武士が二人、根岸に声をかけている。下に降りてこないかと言う。一緒に朝飯をしようとの誘いらしい。船尾楼に上がる人は限られ船長や幹部と衛兵以外は立ち入りが厳禁されている。根岸は握り飯を抱えて下りて行った。

 二人の日本人傭兵は根岸と同年輩だった。根岸は大坂から乗ってきた弁財船を徳島の浅川で彼らの大きなジャンク船に乗りかえた。それから外洋をいく日か航海して鬼界ヶ島に立ち寄った。さらに南下して琉球をすぎて今日まで、まだ彼らと話をしたことはなかった。三人は適当な場所を探して青銅の大砲の横に腰をおろした。ここは帆影で日差しを防げる。

 傭兵の一人が笑顔で、

「お役目ご苦労でございます。ここまでくれば一安心ですね」

 根岸は竹の皮を開いて握り飯を一つ取りだしながら、

「そうですか、私は初めてのことなので・・・」

 もう一人の傭兵が、手の甲で額の汗をぬぐって、

「根岸様はどちらの生まれですか、こんなに暑い土地は初めてでしょうな」

 もう一人が笑いながら、

「まだ土地には着いておらんよ。陸はもっと暑いですぞ。ハハハ」

「根岸様は徳川の御家臣ですか、それとも柳生の御家中ですか」

 根岸は握り飯をゆっくり味わいながら、

「みどもは徳川でも柳生でもありません。貴殿たちと同じ役割です」

「なんと、それでは雇い主とは銭金の関係ですな」

 根岸は困ったようすで、

「あ、いや、銭など、そうではござらぬ。主命で・・・」

「異なことを言われる。仕える主家がないのであれば何のために命を懸けるのだ」

 もう一人が寂しげな眼差しを空に向けて、

「我ら傭兵は日本を離れて家族を養うために戦をする。それで銭のためなら明国にもオランダにもスペインとでも銭のためには、どこにでも味方して戦う」

 根岸は自分は銭などに執着はないと思っている。しかし銭と言えば、京都の黒田屋敷で受け取っていた二十両の小判が頭に浮かんだ。そして佳代のことが思い出されていた。

傭兵の一人が握り飯を頬ばって何か喋ろうとして咳き込んだ。根岸が自分の腰から竹筒を外して水をすすめた。上を向いて大口を開けて竹筒から水を流しこんだ。竹筒に口をつけない配慮だったが、余計に咳き込んで口から飯粒を水と一緒にふきだした。鼻からも飛び出して鼻水がたれている。根岸は笑わなかったが傭兵の相棒は大笑いしていた。

顔を木綿の布で拭いて竹筒を根岸に戻しながら、

「根岸殿、それではこの役目がすんだら我らの仲間に入られてはいかがかな。日本の侍は明の国だけではない。ルソンにも安南にもカンボジアそれにオランダのアブダビにもタイにもインド天竺のゴアにもおって、領主や貴族、王族になっておる者もおりますぞ」

 根岸が何と応えようかとしているとき、船尾楼からの伝言を副官が伝えに来た。急いで船長室に来るようにとのことだった。

 

 船尾楼に上がると船長が待っていた。船長が指さす進路方向の右舷寄り、水平線近くに三隻の帆船がかすかに見えた。船長は手にしていた単眼の望遠鏡を根岸に渡した。根岸は初めて単眼鏡なるものをのぞいた。見えない。海や空が飛び跳ねて見えない。船長が肩を貸して単眼鏡を固定してくれた。オランダの国旗がはためく大型の戦艦二隻が見える。十列以上の大砲が上下三段に並んでいる。上げ蓋が閉まっていて砲身は見えない。もう一隻の小ぶりな船は、数日前、我がジャンク船の偵察に接近したので警告射撃をした三角帆の高速船のようだった。

 根岸は単眼鏡を返しながら、

「オランダの船ですね」と言った。

 船長が言うには、敵の目的は日本の追放武士団、五百人の引き渡し要求だろうが、船長としては応じることはできない。戦になるが、丸腰の傭兵武士団に刀や火縄銃などの武器を手渡していいだろうかとの相談で、根岸の判断を求めていた。

根岸は先ほど下の甲板で握り飯を三人で食べながらの会話を思いだしていた。

忠義を尽くす主家がいない傭兵は、家族や自分が生きるため銭のために戦う。彼らが生きる場所は明国の鄭成功でもオランダの城塞でもいいことになる。国外追放になる追放武士団は徳川家や会ったこともない鄭成功につくす義理はない。オランダと戦う意味もない。そのようなことを船長に話した。

船長は言った。

「そうでしょう。よくわかります。国外追放になった人たちはそうでしょう。しかし根岸殿あなたはどうなんです。あなたの役目は国外追放の人たちを鄭成功のもとに送り届けることではないのですか、そのための判断が今いるのです」

 根岸は了解して、ためらわずに応えた。

「火縄銃の実戦配備をします。すべての武士に日本刀の支給をおこなってください」

「おお、そうですか、すぐに指示をだします」

 根岸はさらに船長にお願いした。

鄭成功の傭兵武士の年長の二人と国外追放の浪人武士の中から用人を数人えらんでください。すぐに戦闘準備の打ち合わせをします」

 船長は大変満足したように喜んで副官に指示をだした。

 

 後部甲板の上にある広い部屋に追放武士団から五人の武士と鄭成功の傭兵武士二人それにジャンク船の衛兵の指揮三人と船長の副官ふたりが招集された。この十二人に根岸と船長がくわわって評定が始まった。机も椅子もない全員が立ったままだった。

 船長が状況の説明をした。

 敵は目視できる洋上、針路方向の風上、優位な位置にいる。大型の戦艦二隻と高速遊撃艦が一隻が待ち伏せしており、敵は十分な戦闘体制ができている。

 こちらのジャンク船は片舷に大砲が九門だがオランダの船は片舷に大砲が三十門以上ある。砲撃戦では勝ち目はない。

 船の大きさだが、オランダの船よりこちらのジャンク船は長さも幅も高さも、はるかに大きいし、部材も構造も頑丈だ。

 接舷して乗り込み攻撃できれば戦闘員は日本の武士が五百人もいる。戦闘技量も数でも圧倒するので勝利は明らかだ。

 操船では、風が強ければ強いほどこちらが有利だ。しかし今のような風ではオランダの船の方が小まめに動ける。

こちらには戦闘開始までの時間がない。はやく戦術を決めてほしい。と締め括った。

 

鄭成功の傭兵の一人が、

「五百人もの日本の武士に武装を許して、もし反乱したら船ごと乗っ取ることができるが、そのようなことが起きない根拠があるのか」と五人の追放武士に言った。

 五人のうちの一人が発言した。

「我らはいくつもの取り潰しになった家中の家来です。互いのつながりはなく、連携もありません。ただ、多くの者がクリスチャンであり同じ信心があります」

 先ほどの鄭成功の傭兵が、

「では、そなた、同じクリスチャンなら、オランダにつくのか」

「いや、いや、おなじクリスチャンでも我らはカトリック、オランダのプロテスタントでは宗派が違い、互いに敵対し戦争状態です」

「そうか、ではオランダと戦うのだな」と鄭成功の傭兵は満足そうな顔をした。

「いえ、そのようなことは言っておりません」

「えっ、なんだと・・・分のわからんことを言う」

「いえ、いえ、そうではなく、我々は徳川家に謀反した者です。徳川家は将軍、朝廷の家臣です。徳川に謀反したのは朝廷に弓を引くこと、極刑は免れません。それなのに、こたび、国外への退去の温情ある御沙汰、徳川家のご配慮を感じております」

 鄭成功の傭兵は怪訝な顔をして、

「む・・・ で、それは、どう言うことだ」

「はい、それは我ら国外追放の者たちは根岸殿の御指図に従うということです」

 

 一連の話を聞いていた船長が全員に向かって話した。

「ありがたいお話で、お聞きの通り五百人の日本武士団の考えはよくわかりました。日本の武士は根岸さまの指図で戦うのですね」

根岸が何か言おうとすると、鄭成功の傭兵が大声で話しだした。

「わしは鄭成功様の直々のご指示を受けておる。日本の援軍武士団は鬼界ヶ島を離れたときからわしの指揮下に入ることになっておる」

 船長は根岸を見たが、根岸が黙っているので船長が話した。

「私はこの船を明朝の永暦帝からお預かりしておる船長です。この航海の目的は国姓爺、鄭成功様の配下として日本からの援軍の武士とその家族を無事に厦門の土地にまで移動させることです。船の運用については私に任せていただきます」

 鄭成功の傭兵が、

「船を動かすのは、それは船長の仕事だろうが、それに異存はない。どのようにしてオランダの二隻の軍艦と戦うのだ。近づくだけでバラバラにされる。どうするのだ・・・」

 船長は親子ほども年が違う鄭成功の傭兵に、

「オランダは五百人もの日本武士が狙いで、バラバラにしては意味がない。降伏を勧告する交渉を望むでしょう。交渉を日没まで持ち込めば風が強くなり勝機があります」

 みんなの顔が明るくなった。船長はみなを見渡して、

「僚船のジャンク船を先行させ囮にします。オランダ戦艦の一隻を追わせ二隻を引き離します。我々は残った一隻の戦艦に突進します。わが船には船首に上下二門の大砲があります。敵に接舷するまで撃ち続けます。体当たりして乗り上げ五百人の武士が斬り込みます」

 鄭成功の傭兵が不審な顔をして、

「敵の戦艦には片舷に三十門以上の大砲があるのだぞ。体当たりするまでに網代帆も船縁も穴だらけ、船上の我らは吹き飛ばされるではないか」

 根岸は思った。鄭成功の傭兵は、年長者でもある船長になぜ、居丈高な物言いをするのか、戦を前に統制がこうも乱れていては・・・ 

 船長は毅然として、

「せっかくの援軍をむざむざ敵に渡すことはできません。強い風が吹けばオランダ戦艦は風上の船腹が押され、こちらを撃つ大砲が下を向く、弾は届かない。それに、」

 船長の話が続くうちに部屋の扉が開けられて衛兵が入ってきた。明国の言葉で船長に何やらけわしく報告している。船長が日本語で話した。

「オランダの船が近づいています。これで会合はやめにします」

 

 近づくオランダ船には佳代が乗っている。

令和四年八月五日