きょう五月二十一日智、靖国神社で柳心会の居合奉納がおこなわれる。
昨日まで柳心会の会員は三か所ある道場で演武の稽古を重ねてきた。
きょう稽古の成果を英霊に見てもらう。東京の天気がよければありがたい。
僕は今年一年、喪に服すので行けなかった。
柳心会の奉納の成果を祈りながら、
きのう届いたコーヒーマシーンの試飲をした。
妻は草月流の花展に出品している。
昨日の金曜日、エッセイ教室だった。
根岸の出番だが、久しぶりでストーリーを忘れそうだ。。
貝原益軒を書こう 五十二 中村克博
鄭成功が派遣した二隻のジャンク船は室戸岬を遠く見て南下していた。徳島藩の浅川港をでてから一昼夜が過ぎていた。うねりはないが西からの風が白波を立てて船は揺れもなく満帆で走っていた。左舷に引き込まれた帆影から朝日が見え隠れしている。根岸は後部の甲板にいた。傍に柳生の松下がいた。甲板は前と後ろが反り上がって高くなっている。後ろの甲板には操舵輪があり船長や幹部の乗組員がいて船全体を見渡せた。中央の広い甲板に大勢の武士たちが朝餉をとっているのが見える。
松下が後方の海をみながら、
「後ろの船は小さいので船足が遅い。次第に距離が開いていきますな」
根岸も振り返って、
「大坂から浅川までは弁財船三隻で来ましたが、今は鄭成功が差し向けた二隻のジャンク船に乗りかえております。家族ずれがおりましたが女子供と年寄りは小さい方の船に乗って、若い武士は家族と離されてこの船に乗っておりますね」
松下は前に向きなおって、
「そうです。徳島を出てからは船の主権は鄭成功側に移る取決めです」
「女や子供や年寄りはどうなるのでしょうね」
「鄭成功の父親は明国の海商ですが、平戸で生まれて日本の母親に育てられておるし、粗末にはすまい。清との戦に日本の武士を精兵とするためですから」
「そうですね。家族づれでは戦はできませんね」
帆柱が三本ある大型のジャンク船に後続する帆柱が二本のジャンク船には佳代が乗っていた。甲板の陽だまりで親しくなった家族と輪になって遅い朝の食事中だった。年寄り夫婦と若い嫁、それに小さい男女の子供が二人いた。よちよち歩きの女の子は佳代の膝の上に乗っていた。
若い嫁が遠くのジャンク船を見るような眼差しで、
「うちの人はどうなるのでしょうね」
佳代は不安を隠した顔で、
「だいじょうぶですよ。向こうに着けばまた逢えますよ」
年取った武士が一口かじった握り飯を見つめながら、
「我らキリシタンは日本には居り場がない。ありがたいお上の処置と思うしかない」
その妻が頭の白髪を指先でかき分けながら、
「キリシタンでなくとも海外にいる人はもう二度と国には帰れないそうですね」
佳代が子供をあやしながら、
「幕府から海外渡航禁止令がだされたのは私が生まれる前のことです。それからは外国との交易はご朱印船でなければできません。海外への渡航も帰国も死罪です。はじめのうちは国を出て五年以内なら帰れたそうですが・・・」
「佳代殿は、物知りですね」と年老いた武士が佳代を見た。
「いえ・・・ 私の家は堺で代々いろんな国と交易をしておりましたので…」
「ほう、それなら堺のお家はお困りでしょうな」
「ところが、戦がなくなって日本中の品物が大坂に集まって商いがさかんです。長崎を通じて明国や琉球、南国やオランダから、それに、薩摩からも・・・ 大阪にはたくさんな交易品が集まります」
年老いた武士の妻が、むずかる子供を佳代からとりながら、
「佳代さんは良家のお嬢さん、どうして・・・ このような船に乗っておるのですか」
佳代は返事に困ったようすで、
「わたしも、どうしてこうなったのやら・・・」
おばあさんの膝の上で、むずかる子供がとうとう大声で泣きだした。佳代がふたたび抱きかかえて立ちあがって歩いた。子供は泣き止んで笑顔に戻った。
佳代がふと、海を見下ろすと珍しい形の船が並んで走っていた。
「あら、外国の船のようですね。船乗りたちが手を振ってこちらを見ています」
その船は大きな三角の白い帆が帆桁で斜めに引き上げられていた。帆桁は帆柱の途中で止まり、はらんだ白い帆の上に帆柱が長く伸びていた。その帆柱の上端に手すりのある見張り台があった。人がこちらのようすを見ている。その大きな帆の後ろにも小さな三角の帆が二枚重なって開いている。大きな帆の影になってよくわからないが、帆柱の後ろにまだ小さな帆柱があと二本あるようだ。
ジャンク船の人々もそれに気づいて大勢が左舷に集まって見下ろしていた。三角帆の船は佳代たちが乗っているジャンク船より小さくて甲板が見下ろせる。帆柱の上にある見張り台から船乗りがこちらを見ている。髭むじゃらの顏は日焼しているが目が青いようだった。子供を抱いている佳代と目が会った。精悍だが人懐っこい表情がわかるほどだった。
ジャンク船の船乗りが船べりに来て大声で三角帆の船に向かい、あっちへ行けと明国の言葉で怒鳴りはじめた。三角帆の船は後ろに下がったり前に進んだりしてジャンク船のようすを調べているようだった。火縄銃を持った明国の兵士が数人出て来て空に向けて一斉に威嚇の発砲をした。船はしだいに離れていった。
若い嫁が年上の子の手をにぎって、年老いた義父に尋ねている。
「どうして鉄砲など打って追い払うのでしょうね。親しそうにしているのに」
「わからんな。関わりたくないのだろう」と佳代の顔を見た。
佳代は少し考えて、
「国旗は上がっていませんが、のぼり旗からはオランダの船のようです。こちらの船ようすをうかがうようでしたね。それに、風上から大きな帆で近づかれたので、こちらの船に風がとどかず船足が落ちるのをきらったのかもしれません」
「佳代殿はお若いのに、いろんなことをご存じのようだ。それでは、オランダの船が、なぜこちらのようすを調べねばならないのでしょうな」
佳代は子供が眠そうなので横抱きにして手でかるくたたいていた。
「さあ、どうしてでしょう。わかりません」
佳代は遠くに小さくなった根岸の乗るジャンク船の帆を眺めていた。それを追うように先ほどのオランダ船の三角帆が見える。
根岸は後の甲板から近づいてくるオランダの船を見ていた。
「松下殿、あの船は先ほど我らの僚船をしきりに偵察していたようだが、こちらに向かって来るようですね」
「えらく足の速い船ですね。小回りが利く、それに風上に上る性能がいい」
「どのような料簡でしょうか、威嚇射撃の音がきこえたようですが・・・」
「了解もなく外洋であのように接近すれば、大筒を打ち込まれても仕方ないでしょう」
下の甲板では鄭成功の船乗りや兵士の姿が見え大砲の準備を始めている。日本の武士たちを船内に下して鄭成功の兵士たちが続々と出て来て整列したあと持ち場に展開していた。
根岸が松下に尋ねた。
「戦の準備のようですが、船の大きさが牛と犬ほども違うのに大仰ではありませんか」
「我らに船での戦は計りかねますが、以前から台湾を占領しているオランダは鄭成功の軍とはいざこざが多いようです」
「オランダは長崎で友好的ではありませんか、台湾にもいるのですか」
「台湾にはオランダ東インド会社の城塞があります。そこには日本の侍が以前から傭兵として数多くいます。すでに二世の時代になってかなりの勢力です」
「えっ、鄭成功の軍隊にも日本の侍が多いと聞きましたが、鉄人部隊とか・・・」
「頭から足の先まで鉄の鎧で固め、日本刀で戦う武士のことで、その強さは清軍の精鋭騎馬隊を殲滅するほどといいますな」
根岸は頭を整理するようにしばらく黙っていたが、
「では、あのオランダ船は鄭成功の傭兵になる五百の武士を妨害するために・・・」
「そうかも知れませんな。今回は五百人もの重罪の武士を各地から集める大掛かりなもので、段取りが洩れてオランダ側に知れたでしょうな」
「であれば、あのオランダ船は物見で、この先の航路で大きな戦船が待ち受けているのかもしれませんね」
日は高くなって帆柱の上に輝いていたが西の空には黑い雲が広がっていた。風は少しずつ強くなっている。オランダの船がほぼ真横に来た。距離はかなりあって船の上のようすはまだわからない。根岸が下の甲板を見ていると砲門が次々と開かれ大砲の砲身が押し出された。片舷に九門並んだ大砲のうち二門が火をふいた。轟音がした。そのあとオランダ船の近くに着弾した水の柱が二つ見えた。オランダ船は近づくのを止めて西に進んでいった。見る見る船の影は小さくなっていった。
柳生の松下が遠くを見ながら根岸に言った。
「刀の時代は過ぎましたな。遠くから敵の顔も見ずに殺し合う」
根岸は刀の鍔にかけた左手の親指に力を入れた。
令和四年五月十九日