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はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

貝原益軒を書こう 六十二

貝原益軒を書こう 六十二             中村克博

 

 

 朝日が高くなるほど行き交う人は多くなった。にぎやかな町を出て、すぐに新しい長屋が何列も並んだ居住地が見えてきた。煙がただよっている。荷車や人の動きが見える。このオランダが提供した居住区の中ほどに一軒だけ塔屋のある独立した建物が見える。根岸たちに気づいて出迎えの人たちがやって来た。大小の刀を差した年老いた武士たちの後につづく若侍たちは脇差だけだった。股立ちを取った者やタスキをはずそうとしている者もいる。先ほどまで荷物運びや作業をしていたようだ。国外追放になったのはキリシタンの武士家族だけで中間や小者はふくまれていない。女性の姿も見えた。近くなると立ち止まって深いお辞儀をした。久しぶりに聞く日本語でのあいさつだった。根岸と松下が下げている野菜の荷物を見て、手土産だと勘違いしてお礼を言って受け取ろうとした。

 根岸ははたと困って佳代の方を見た。

「いや、この野菜は」と戸惑った。

 佳代がすかさず近づいて、

「すみません。少ないですが、ごあいさつの手土産です」

 松下はそれを見て、

「ほんの気持で恥ずかしいが、お受け取りください」と言った。

 

 根岸たちは案内されて居住区を見てまわった。通りの両脇に長屋が並んでいた。長屋は軒先に手が届きそうな背の低い板葺きの平屋で三つに区切られ三所帯が使っている。入口の土間に小さな竃があって台所になっていた。板張りの部屋が二間あり軒下に二尺ほどの縁側がついていた。その先は小さな庭になっている。長屋の立ち並ぶ奥まったところに湯屋が三棟建っていた。薪もふんだんに積んであった。厠も共同で使うようで何か所かに分かれて作られていた。一巡して見てまわった後に塔屋のある建物に案内された。オランダの護衛兵たちは建物の外で待機していた。

建物の中に入ると屋根の小屋組みが見え塔屋からは日差しが眩しかった。板張りの大広間は何の装飾もなく質素だった。大広間の正面奥に十字架がはり付けてあった。この教会もオランダのゼーランジャ城から提供された建物らしい。

一人の長老が壁の十字架に向かって十字を切って頭を下げた。他の者たちもそれにならった。すると佳代が少しためらっていたが、ひざまづいて同じように十字を切って手を合わせた。根岸と松下は離れてそのようすを見ていた。

長老が松下に向かって、

「お連れの方がキリシタンとは思いがけませんでした」

「いや、いや、十字を切って祈るのを初めて拝見しました」

「はい、私どもイエズス会はそうします。オランダは十字を切りませんが・・・」

 それを聞いて佳世が長老にたずねた。

「それに、オランダはイエス様の像もお飾りしないのですね・・・」

「そのようです。オランダは聖母マリア様も崇拝しません。ミサの儀式もありません」

 松下が思い当たったように、

「そうか、この建物はオランダが提供したもの。それで十字架にキリストの像がないのですな」

 

 侍家族の居住地区を視察した根岸たちは案内してくれた人たちと別れを惜しんで、来たときと同じ小さな帆掛け船でゼーランジャ城に向かった。

船に乗る前の道すがら松下はオランダの護衛兵たちに屋台でせいろ蒸しの点心を御馳走した。兵隊の指揮官は勤務中だと表向き断ったが内心はとても嬉しそうだった。薄くのばした皮から海老の色が透けて見える餃子、たっぷりカニの身がつまったシュウマイ、肉あんにフカヒレを混ぜた餃子、小籠包にゴマ団子など、兵隊たちはなんともうまそうに食べた。

食事の代金を松下が金の小粒で払おうとした。年老いた主人が目を丸くして喜んだ。それを見たオランダ兵の指揮官が金の小粒を根岸からひょいと受け取った。オランダの指揮官はズボンのポケットから真新しい硬貨を数枚取り出して年老いた主人に渡した。

年老いた主人は不満を言った。オランダの指揮官は笑ってズボンのポケットからさらに数枚の硬貨をつかみ出して渡した。それでも主人は、「こんなもの使えない」と言っているようだった。四角い穴の開いた銅銭で永暦通宝の文字があった。永歴帝は鄭成功が味方している南明最後の皇帝だった。

支払いのやり取りを見ていた佳代が間にはいって来た。手にした銀の小粒をパラパラと年老いた主人に手渡した。主人は大喜びで佳代の手を握って上下に振った。

佳代が野菜や豆、芋を買った。サトウキビ、果物、その中に午前中に食べた根岸の好物のアナナス(パイナップル)があった。オランダ兵がそれらを手分けして持ってくれた。

 

ゼーランジャ城に向かう船の速度が落ちて入り江の中央で止まった。帆がしんなり下がっている。風がなくなったのだ。オールをだして漕ぐようすもない。風が出るのを待つようだ。日差しがあったかい。

根岸が眠そうな顔をして、

「先ほど食べた点心とかはうまかったな~ 日本で食べたことがない」

佳代が遠くをながめながら、

「大坂や堺にも点心を食べさせるお店はありますよ。こんどお連れします」

 松下が矢立から小さい筆をだして手帳に何やら記録しながら、

「長崎にもありますが先ほどのは特別ですな。あの年老いた主人、もとは明の宮廷の料理人だったそうです」

松下が先ほどの永暦通宝を一枚手にしてながめている。

「この永暦通宝は台湾では使えぬが鄭成功の支配する地域では流通しておるのでしょうな」

 佳代がそれに応えて、

江戸幕府は慶長通宝を鋳造して、さらに寛永通宝をだしてこれまでの永楽通宝を使うことを禁止しますが、いまだに日本ではむかし明で作られた永楽銭は使われていますね」

 松下は手帳に記録する筆を休めて、

「永歴通宝が台湾にあることは鄭成功の勢力がこちらに伸びようとしておるのかもしれませんな」

 根岸がその言葉に気をとめて、

「それは鄭成功がいずれ台湾を攻めると言うことですか」と松下に言った。

 松下は筆の手を止めて、

「先のことはわかりませんが、今は鄭成功の勢いが強くても、大陸では遅かれ早かれ清が明の残党を駆逐するでしょう」

「そうなれば鄭成功は行き場所がない」

「そうです。鄭成功は清にはかなわなくても台湾のオランダなら一揉みで追い出します」

 佳代が不安そうに、

「もし、そうなれば、先ほどの居住地区にいた日本からの移住者たち武士の家族は・・・」

 松下は佳代の方を見て、

「オランダはスペイン、ポルトガルとは敵対します。スペインのイエズス会はローマのカトリック教会に属します。オランダはカトリックに敵対する新教徒(プロテスタント)の国です。日本から台湾に移住したキリシタンのほとんどがイエズス会カトリックです。

問題なのは鄭成功が擁立している明の永暦帝はローマ教皇にすがり使節を派遣したカトリックなのです。妃も生母も洗礼名のあるローマカトリックキリシタンです」

 根岸ははたと思い当たるように、

「なんと、鄭成功の日本人傭兵はカトリック、オランダの日本人傭兵も同じカトリック、それが敵味方になる」

「そうなのです。鄭成功と台湾のゼーランジャ城が戦をするとなれば・・・」

「頭がコンガラガッテ、わからん」と根岸が言った。

令和四年十二月十五日