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はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

貝原益軒を書こう 七十四  

貝原益軒を書こう 七十四                 中村克博  

 

 

 根岸たちは平戸の船での会合を終え、厦門の行きつけの茶屋でくつろいでいた。店の奥で五つの卓に分かれてたむろしている。日差しが西に傾いて陽は店の奥までとどいていた。十人以上の若い日本の傭兵たちは大きな声で話すこともなく、うれしそうに茶を飲んでいる。ほかに五組ほどの男女の客がいてにぎやかに茶を飲んでいた。そこに三人づれの新しい客が入って来たが店がいっぱいなので出ていった。

背の高い店の娘が柳生の松下のそばにやってきた。厦門の言葉で、隣の飯店に食事の用意ができ、それに寝泊りをする部屋も準備していると伝えた。傭兵の頭目厦門語を日本語になおして松下につたえた。

佳代が椀を両手で持ってうれしそうに、

「お城をでて外泊するなんて初めてですね。お風呂はあるのでしょうか」

 松下が笑いながら、

「風呂はありませんよ。いつでも湯に入れるのは日本だけですよ」

「へぇ~、オランダにもないのですか」

「長崎の出島で湯屋の設備を見たことがありますが日本の勤め人が使うためでした」

 

 根岸たちと傭兵の一行は茶屋の裏口から棟続きの隣の飯店に向かった。根岸たち三人と傭兵の頭目は二階の奥のこじんまりした部屋に通された。日本の傭兵たちと根岸たちの護衛兵は一階の大広間におさまった。

根岸たちが部屋に入ると女主人がニコニコして待っていた。入り口付近に女主人が座って大きな円卓のある奥の席に根岸と佳代が椅子を引いて腰かけた。その左右に向かい合って傭兵の頭目と松下が座った。それぞれの目の前に白磁の盃がおかれていた。温かい紹興酒が入って医た。女主人が白磁の盃を手にしてカンパイといって目の高さにかかげた。

佳代はそっと口に付けて、

「このお酒は甘くておいしいですね」と言った。

「そうでしょう。紹興酒にナツメを漬けこんでいます」と女主人が流暢な日本語でこたえた。

 根岸が盃を飲み干して傭兵の頭目に向かって、

「内藤殿、この度は重ね重ねお世話になります。おかげで日本に帰る目途が立ちました」

 日本人傭兵の頭目は内藤といった。

「いや、いや、当然の手助けです。もう会えないことが残念だ」

 松下も佳代も深々と頭を下げた。

料理が次々と運ばれてきた。

内藤が女主人の名を呼んで、

「馬麗那(マーレイナ)、今日は食事の前にもう少し酒を飲ましてくれ」と言った。

 馬麗那と呼ばれた女主人は内藤と懇意で根岸たちとも顔なじみだった。女主人は女給に酒の手配をするように言い付けていたが内藤が大声で割り込んだ。現地の言葉で女給に何やら注文をつけていた。馬麗那は内藤を見て笑顔でうなづいた。 

 壺に入った酒を女給が重そうに抱えてきて内藤の近くに置いた。別の女給が柄杓と湯呑を五個お盆にのせている。

 酒は白い濁り酒だった。内藤が椀に注いで女給がそれぞれの前に置いていった。

 内藤が濁り酒の入った椀をかかげて、

「これをかぎりの酒宴になる。お三人とは予期せぬ出会いで、そして、短いが忘れられない思い出になった。ほんとうに名残はつきません」といってグイグイと飲み干した。

 根岸は、自分も何か言わねばと思うが言葉が思いつかない。佳代を見たり松下のようすをうかがって、もじもじしていた。

 松下が飲み干した椀をおいて、

厦門に向かう途中、オランダの戦艦から砲撃を受け、輸送中の武士半分を奪われた。そして我々はオランダの台湾に、内藤殿は厦門にと分かれていったが、厦門で偶然にも再会したのはまさに天佑でした。徳川幕府は海外と人の出入りを厳しく禁じており、内藤殿の手立てがあればこそ我らは帰国できます」

 馬麗那が松下の空になった椀をとって内藤の近くにおいた。内藤は柄杓で白い酒を椀に満たして馬麗那にかえした。

馬麗那は椀を松下のほうに左手を添えてわたしながら、

「松下さまたちはよろしいですね。帰る国があるのですから、故郷には待っているご家族もおられるのでしょう・・・」

 松下は少しうつむいていたが頭をあげて内藤を見た。

「内藤殿はこちらでの生まれだそうですが、お父上はどちらのご家中でしたか」

 内藤は椅子から立って根岸の椀に壺の濁り酒を柄杓ですくっていたが、

「わたしの父は高山右近様にお仕えしておりました。父は松永久秀の弟、松永長頼の嫡男で内藤如安です。長頼は三好長慶の部将でしたが丹波守護代の内藤国貞の娘婿となって内藤を名乗りました」

 松下はうまそうに酒を飲んでいたが、驚いたように、

「おお、それでは、お父上は高山右近様と一緒にルソンに渡られたのですな」

 内藤は自分の椀に酒をついで一口飲んで、

「父は三好家の家臣でしたが、その後、肥後国小西行長様に仕えます。肥前国有馬でイエズス会コエリョ様の葬儀に小西行長様の名代として参加しますが、このときは小西姓を名乗っておりました」

 馬麗那がおどろいたようすで、

「内藤さまはキリシタンなのですか」といった。

「わしはキリシタンではないが、父は太閤様の文禄の役で明と和睦交渉のおりに万暦帝に拝謁したがこのとき父はキリシタンの小西飛騨守ジョアンと名乗っておるよ」

 松下が湯呑を飲み干して、話をつなぐように、

小西行長公は関ヶ原の戦いで西軍の主力として戦うが敗れ打ち首になった。そのおり、お父上の如安殿は同じキリシタンである肥前有馬晴信の手引きで平戸へ逃れますな。それから加賀の前田家に客将として迎えられるが、それが高山右近様と運命の出会いですな」

 内藤は椀の酒を飲み干して、

小西行長様が切腹しなかったのはキリシタンが自害を禁止されているからです」

 松下がなるほどとうなずいて、

「そうですな、そう言えば有馬晴信も長崎を舞台にした岡本大八事件での断罪で徳川家から切腹を申し渡されるが、配所にて家臣に斬首させたのでしたな」

 内藤の顔色がけわしくなった。機嫌がわるくなったようだ。

 女主人の馬麗那が、

「さあ、さあ、みなさん料理がさめてしまいますよ」といって内藤の皿に麻婆豆腐をついでわたした。一階から楽しそうな歓談の声が日本語で話す若い兵士たちの声が聞こえていた。

 

 佳代は魚の料理を食べていた。箸で骨と身をほぐしながら、

「魚の料理は台湾でもいただきましたが、こちらの餡掛けはまたおいしいですね」

 馬麗那が牡蠣を溶き卵やネギなどを混ぜて炒めた料理を食べていた。

「佳代さん、日本の魚料理はどんなですか」

「はい、煮魚は酒と醤油で煮つけますが、私はあくる日に残っていた煮詰まったのが好きです。もう鯖の身が醤油色になったのが・・・」

「そうですか、私の故郷は北京よりも北の方ですが、そこでは水餃子の残りものを鍋底で軽く焼いていました。私はそれが好きです。北京は今では清の国ですね」

 根岸は皿をいくつも取り換えて黙々と食べていた。

 佳代は根岸が食べおえた皿を引いて女給に渡し新しいのにかえた。

「根岸さま、そろそろ白いご飯がほしいのではありませんか」といった。

 馬麗那が急須からウーロン茶を小さな湯呑に注いで松下と内藤に出しながら、

「佳代さんは根岸さまのお妹だそうですが、ほんとうはどうなのですか、もう会えないのですよ。よろしければ話してくださいよ」と優しく佳代を見つめた。

 佳代が顔を染めてとまどうように根岸をみた。根岸は笑って、

「そうですね。こんなにお世話になってお別れするのに隠し立てするには失礼ですね。

では、少し長くなりますが、私は京の鴨川で佳代さんともうお一人の女人を警護して舟遊びをしておりました。そのおり、待ち伏せておった暴漢の舟に襲われました。いきなり頭から投網をかぶせられ、棒で打たれて、不覚にも連れの女人を拉致されたのです。それで探し求めて伏見まで行ったところで、見つかりません。腹を切らねばと思っていたら伏見の奉行所から呼び出されて、使いの上役から藩の上意を受けました。それが大そうなお役目で、今回の渡航になるのです」

 馬麗那は興味深く聞いていたが、

「それは大変なご苦労をされましたね。それで・・・、佳代さんとの関係はどうなのです」

 根岸は落ち着きをなくして、とまどって、

「そ、それは、私は佳代殿の警護をしておったのですが・・・」

 佳代がくすッと笑いながら馬麗那の顔を見て、

「あとは、私がお話しします。私は根岸さまをお慕いしています。どこまでもご一緒すると決めています。それで大坂から移民の船の浪士家族にまぎれ込んで、薩摩の鬼界ヶ島ではオランダの船に忍び込んで南の海の上で根岸さまの船にやっと乗ることができました」

 馬麗那は驚いたようすで、

「なんと、まぁ、そんなことがあったのですか、可憐で美しい良家の息女がなぜ遠く戦乱の地にと、不思議に思っていましたよ」

 松下が根岸を見てさとすように、

「根岸殿、このように素晴らしい女性に思いを尽くされて、これ以上の冥利はないはず。このさい、みんなの前で佳代殿の思いにこたえてはいかがなものかなぁ」といった。

 根岸は神妙な顔をして、

「ありがたいことで、私も佳代殿をみごとな人だと思っております。しかし今は役として果たさねばならない務めがあります。この成否は幕府の国政にかかわり、またわが黒田家の名誉にもおよびます。それが個人の事情で女人を伴っていては・・・」

「役目は立派に果たしたております。なんの支障もありません」と松下はいった。

「はい、ありがたいことです。しかし、私は佳代殿の親御から嫁入り前の娘の警固をまかされておりました。無事に親元に送り返す責任があるのです」

 佳代が凛とした態度で、

「親が私ののぞまない婚約を家のためにすすめています。しきたりで、なりゆきで話がすすんで・・・ そんなこと、いやです。私は根岸さまと生きていきたいのです。日本に帰ったら私は自分の意志を父にきっぱり言います。根岸さまも父を説得してください」 

 柳生の松下がふと、思いついたように、

「そうですか、お家のために、ですか・・・ 」

 松下はすこし間をおいてしんみりと話した。

「日本では徳川家が武断から文治の統治をすすめています。戦のない豊かな国にするため、さまざまな国法を定め、流通の仕組み、学問、芸術の振興をはかっております。その基礎となるのが人々の心根、ものの考え、倫理の同一です。その、よりどころになるのが先祖とつながる家です。これが壊れては国の統一が成り立ちません」

 静かに話を聞いていた傭兵の頭目の内藤がいきなり口をひらいた。

「それでは松下殿にお聞きするが、我らのように国を追われたものはどうなる。明の民も清に侵略されいずれ国はなくなる。ルソンの民もスペインに支配され国はない。バタビアにオランダが来る前はいくつもの王国があったではないか・・・」

「まさにそうだ。そうならないため徳川家は、いや豊臣のときから国を閉ざし天皇家を軸にして日本を守ろうとしておる」

「おお、それで、考えのちがう多くの国の民を追放するのだな。武で立つ柳生が武を使わないなどとぬかして、甲賀しのびや伊賀間者と隣り合わせの柳生藩、徳川の飼い犬だな」

令和五年十一月三十日