ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

きょう立冬らしいが日中の気温が28度もあったらしい。

木枯らしが吹いても、よさそうな時期なのに暑かった。

一昨日の土曜日はお茶の稽古だった。今月から炉を使うようになった。
相弟子の従兄弟は、なぜか久しぶりの炉の手前をまちがわずにこなす。

昨日は高校時代の合同同窓会だった。夕方からの同期会に出席した。

みんな来年は古希だが元気で溌溂としているようだ。


金曜日のエッセイ教室に提出したのは、


アテナの銀貨                        中村克博


 きのうの夕暮れ、玄界島の西からマンスールのアラビア船は博多津に入っていた。三隻は袖の湊の近くに投錨して、朝になってマンスールと次郎、兵衛それに二人の僧は艀で袖の湊から聖福寺におもむいた。二人の僧は庫裏に出向き、三人は塔頭の庭に面した一室にくつろいだ。庭石の隅に山吹色の花が二輪、朝日に光っていた。
兵衛が次郎をいたわって、
「板輿は総門まで、それからは自分の足と杖で難儀でしたな」
「いや、いや、そろそろ歩きたかったので…」
 風が吹いて枝がゆれ、残り葉が縁側に舞い込んできた。
「キイロノ、ハナガ、キレイデス」
「めずらしい山吹色の花ですな。はじめて見るが」
「そうですか、私の里、英彦山の麓にはこの時期に咲きますよ」
「なんという名前の花ですか」
「たしか、忘れ草、とか言っておりました」
 小坊主がふたり、茶をはこんできた。
「めずらしい花ですな」
「はい、禅庭花ともうします」
 もう一人が、
「花びらは六枚、朝方に開くと夕方にはしぼんでしまう、一日花です」

 正午の鐘を聞いてしばらくすると、入港と積み荷の手続を書面で終えた二人の僧が部屋にやってきた。年長の僧侶と壮年の武士が一緒だった。四人は三人に対座して挨拶をかわしたあと、すぐに打ち解けたように話を始めた。
栄西禅師は、あいにく京に上っております」
「南都北陵からの禅宗への非難を釈明するためですが…」
「鎌倉のご意向にそって聖福寺は造営されておりますのに…」
「朝廷も間に立ってご心痛なことでござりましょう」
「興禅護国論も執筆が完了しご持参なさりました」
 マンスールは黙って聞いていた。兵衛が、
「このたびの一件は栄西禅師さまじきじき、マンスール殿にご依頼されたもの…」
 年長の僧があわてて、
「いや、いや、私どもには何も知らされておりませんので…」
兵衛はなおも、
「船一隻分の積み荷を奪われて面目もありません」
比叡山も奈良も高野山も仏の教えより、関心事は兵の増強にあるようで…」 
兵衛は年長の僧を窺いながら、
「一千万貫もの宋銭は交易船二隻に半分ずつ積んでおりましたので、五百万貫だけは…」
「坂東の鎌倉は北国を平定し、四国に九州もほぼ収まり…」
 兵衛はマンスールを見て、
「本人をさておいて、しゃべり過ぎましたな。話はわかりましたか」
「ハイ、ワカリマス、カミアッテ、イナイヨウデス、ハハ、ハ」
 年長の僧が次郎を見て、
「お怪我をなさったそうで、お加減はいかがですか」
「はい、おかげさまで、順調です。すぐに杖もいりません」
「そうですか、それは、よかった。博多には名医もおります。できれば、寺に逗留なさって養生されるがよろしかろうと存じます」
「ありがとうございます」
年長の僧はおもむろにマンスールを見て、
マンスール殿、このたびのお勤め心から感謝しております」と深々と頭を下げた。
 同伴していた壮年の武士も同じように頭を下げていた。

 マンスールをたずねた人たちが退出すると部屋に日が差し込んできた。次郎は縁側に出て大きく背伸びをした。曇っていた空が青く高かった。しばらくして聖福寺の二人の僧が戻ってきた。湯屋に用意が出来たのでみんなして航海の疲れを落とそうという。
 湯船は五人が一度にゆっくり浸かることが出来るほど広く、湯釜で沸かした湯が絶え間なく大きな青竹の節を抜いた導管から流れ込んでいた。長湯してほてった体を水をかぶって、さましては湯船につかった。部屋に戻ると少し早めだが夕餉の膳が整えられていた。
 遅れて部屋にはいった次郎が、
「ほう、三の膳か、久しぶりですな」
 聖福寺の僧が、
「少し早い夕餉ですが、今夜はゆっくりとお過ごしください」
「船には明日、日が昇ってお帰りください」
「今ごろ船は積み下ろしで大忙しでしょうな」
「いや、先ほどの知らせでは、もうそろそろ終えるようです」
 次郎が茶をすすりながら、
「ほう、さすがに袖の湊、それは順調ですね」
 マンスールは布で額の汗を拭きながら、
「ジロウハ、フネノ、オナゴニ、アイタイ、ノデハ…」
兵衛が次郎を見て、
「ハハ、ハ、そのように、真顔でひやかされても困りますな」
 聖福寺の僧がマンスールをうながすように、
「私どもが不断にいただく禅宗の精進料理ですが、どうぞ箸をおつけください」
 マンスールが一礼して箸をとった。それを見て次郎が、
「や、や、これは山芋ですな、ひさしぶりだ」
「とろろ、ですな。しかし、この小鉢では一口だ」
「ジロウ、アシノキズ、ショウフクジデ、ナオルマデ、トマリマス」
 次郎は驚くように、
「もう足の傷は治っております。明日は壱岐に帰ります」
「サシアゲル、オナゴハ、ドウシマス」
 次郎は無言で宙を見ていた。兵衛が代弁するように。
「どちらもよい、二人いただきます」
 次郎はあわてて、
「ふたりも、それは困る。しかし、どちらか選ぶのは心苦しく…」
「いらぬ気づかいじゃ、選ばれたくないかもしれぬではないか」
「そ、そうではありますが…。そうです、おなごの意向もあるかと…」
「ジロウ、ニオイノ、ビン、モッテイマスカ」
 次郎は小さな瓶を取りだして、
「持っておりますが、中身はかなり減りました」
「ソノニオイ、オナジオナゴ、キメマショウ」
 兵衛がせかすように、
「そうだ、それがいい、どっちだ」
「それが、どちらか…、それに月読神社におられる八郎様の了解も、まだ」
「タメトモサマハ、オヨロコビ、マス、コレデキマリ、マシタ」
「それで、どっちです。わしにも同じように見えるが」
 マンスールは箸をおいて、吸い物椀の蓋をあけた。

 日の出前、東の空が白むころ船を出した。水先案内は兵衛がつとめた。北の風だった。思いっきり能古島の北端に近づいて進み右舷の志賀島に折り返し、
暗礁の白波を見ながら舳先を限界島に向けまぎった。さらに風が右舷真横になる地点で船を西に向けて博多の津を出た。
僚船の戦艦と輸送船は袖の湊の近くに停泊したままだった。マンスールのアラビア船は一隻だけで、出たばかりの朝日を背に壱岐の島をめざしていた。
「イキニハ、ショウゴヲ、スギマスネ」
「風が東にふれるようです。昼前に着くかもしれませんな」
「ヒョウエハ、カゼガ、ヨクワカル、ナゼワカル」
「雲の動きや空の色、いや、風の匂いか、いや、わかりませんな、ただ感じるのです」
「ヒョウエハ、コノフネ、スキカ」
「船が好きか、妙なことをいう。船乗りは船が好きに決まっておる」
 舳先が波がしらを打つ音がして飛沫が上がるのが見えた。霧のようになった潮が船尾楼まで飛んでマンスールの顔を濡らした。
「ナニガ、スキカ」
 兵衛は顔を右の手のひらで拭って、
「何がち言われても…、縦帆で向かい風の上りがいい。舵の効きがいい。船底には片舷に十ずつも櫂を漕ぐ仕組みがあって風がなくとも走れる。時化にも強い。それに形がうつくしい」
「ヒョウエ、コノフネノ、センドウ、ナルカ」
 兵衛は真意をわかりかねてマンスールを見た。
「この船には船長のイヌブルがおるが…」
「イヌブル、ミンナ、アラビアニ、カエル」
「えっ、それで、わし一人で船頭になっても船は動くまい」
「コノフネ、タメトモサマニ、タメトモサマ、ヨロコブ」
「なんと、この船を八郎様に献上するとな、それで、わしが船頭にな。それは、おもしろい、それで、マンスール殿はいかがする」
「ワタシハ、アシベノ、チカサマノ、ムコドノニナル」
「なんと、そのようなこと、できるものか、頭がおかしい」
                                平成二十七年十一月五日