ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

きのうのお茶の稽古のとき小さな来客があった。

お茶を一緒に習っている従兄弟の孫が年末の挨拶に来た。

久しぶりに見ると幼児が小さな少女になっていた。おばあちゃんが喜んでいた。
おじいちゃんのお点前を神妙に見ていた。これも情操教育、というより家族の絆ができる。

茶庭のドウダンツツジが色づいていた。スマートフォンで撮った。
パソコンの待ち受け画面にしたら、一眼レフのようには撮れていない。


一昨日前の金曜日、エッセイ教室に出した原稿、
アラビア人のマンスールは、日本人になるのだろう、


アテナの銀貨                      中村克博


 部屋の障子戸が開いて女宮司が顔をのぞかせた。為朝が顔をほころばせて向きなおり部屋はしずまった。簡単な昼餉を用意いたしました。と両手をついて頭を下げた。言葉のない和らいだざわめきがおきて縁側からの海風が通り抜けた。
 巫女が次々と部屋にはいり脚付き膳を、為朝、西文慶とチカ、マンスールと次郎、兵衛それに聖福寺の二人の僧の前に運んだ。大きめの椀の中にはニラ粥がたっぷりつがれて、黒ごま、塩昆布が小皿にそえてあった。配膳が終わると女宮司は挨拶をして退出した。
 為朝が箸をとって、
「これは、うまそうな」と、手に持った椀の湯気の匂いをかいでいた。
 次郎がニラ粥にお辞儀するように、
「朝をとっておりませんので、ありがたい」
 マンスールが為朝を向いて、
「グウジハ、ミナト、トモニ、タベマセンカ」
「そうだな、おなごは人前で物を食べぬな、京ではな」
 兵衛がチカをちらりと見て、
「こちらでは男女、共に食べますな」
「アラビアデモ、オンナハ、ヒトマエデハ、タベマセン」
 チカがそっと箸をおいて、目を落とした。
それを見た為朝が、
「チカ、ここは京ではない、わしは若いころから九州を駆け回っておったが女も男も一緒に食べ飲んでおった。それが愉快であった」
 次郎がつられるように、
「そうです。私もアラビアのおなごと夫婦になっても、みんなで共に食べます」
 兵衛がすかさず、
「次郎殿、それは婚姻のお披露目ですな」
 次郎はうろたえ為朝を見て、
「こ、これは、、話が後先になりまして、急なことで何がなにやら…」
「何の話だ、アラビアのおなごが、いかがしたのだ」
「いえ、まだ何も、お許しがあってのことで…」

 ここで、兵衛が事のいきさつを次郎に代わって掻い摘んで為朝に話した。
 聞いていた為朝がなごむような顔で、
「そうか、それは、よい話だ、めでたいことが続くもんだな」
「そうですね、英彦山では行忠様が定秀様の姫様と結婚され豊後に移られ大友の郎党にくわわり、戸次惟唯殿は平戸に行かれて二の姫に婿入りされ松浦を名のるのですね」
 聖福寺の僧が付けたすように、
「おかげで、豊後もおさまり、これで筑前もおさまります」
「それで今、栄西禅師は比叡山から朝廷へ出された禅宗停止の意向に対処しておられます」
 西文慶が沈んだ面持ちで、
「禅師は鎌倉の時代になって、世の和平につくしておられますが、平戸松浦党が鎌倉の地頭になって壱岐をもその支配に置く気配がありますので」
 兵衛がなだめるように、
「親方様、平戸に行かれた惟唯様は今でも八郎為朝様の郎党でございます」
 次郎が為朝を見つめて、
「平戸の惟唯が壱岐に戦を仕掛けることは考えられませんが、御家人武藤資頼筑前豊前肥前対馬の守護として、壱岐におられる方の存在は気がかりでしょうね」
 為朝が寂しそうに、
「わしは伊豆の大島でとっくに死んだことになっておるが、ここに居ることになれば栄西禅師の苦労がふえるな」
 西文慶がおそるおそる、
「はばかりながら、平戸の惟唯様は元はといえば豊後戸次家の嫡子、大友の軍勢に下った大神一族の御曹司の一人です」
 次郎が思い出すように、
「惟唯殿は英彦山で八郎様を襲撃した折の賊の棟梁でしたね」
 西文慶が意を強くして、
「そうです、栄西禅師、い、いっいや、鎌倉、大友から送られた刺客団の頭目でした」
「予期せぬ大掛かりな襲撃で、うろたえました。賊は撃退しましたが当方にも多くの死傷者を出しました。惟唯殿は深手を負いましたが定秀屋敷で介護され八郎様の郎党になりました」
「惟唯様は平戸に婿養子として移られましたが、配下のお仲間はまだ大勢が、ここ月読の陣営に残っております。私は気がかりで…」
昼餉のニラ粥は誰もみんな食べ終わっていた。西文慶はさめたお椀の中身をかき込むように口に入れてもぐもぐしていた。巫女が脚付き膳を下げ始めていた。
 為朝が西文慶をさとすように、
「案ずることはあるまい、みな気立てのいい若者だ。いずれ惟唯の平戸に移ることになる。それより、栄西禅師から聞いておろう、チカ殿の件だ」
「はい、これは、これ、よいお話でマンスール殿が我が家の婿になれば今後の交易は南宋や高麗ばかりでなく、琉球ともアラビアとも文物や物資の往来が盛んになりましょう」
「そうだが、肝心のチカ殿のお心はいかがかな」
「チカは得心しております。わが妻も喜んでおります。西家の祖先は神代の昔、西域の果てから壱岐に来たとの言い伝えがあります。一族には今でもたまに目の青いややが生まれてきます」
「チカ殿、マンスールとは話をしたことはあるのか」
 チカはにっこりうなづいて、
「怪我の見舞いのおり、通事を介して少し話しました」
「そうか」
「弓場で何度かご一緒したことがあります」
「おお、そうであったな、二人は弓の名手だ。それに船が好きなことも」
 西文慶が身をのりだして、
マンスール殿の持ち船は速そうで、うつくしい。このたびの航海で一隻失くしてもまだ三隻があるが、いや、琉球にはまだ船団をお持ちと聞くが」
「ハイ、フネハ、ミンナ、イヌブルニ、アタエマス」
「船団ごと、みんな船長のイヌブルに与えるとは、無償で譲られるのか」
「ハイ、ソウデス、ミヒトツデ、ムコイリ、イイデスカ」
「それは船は残念だが、さしつかえは、ありません」
 兵衛がやっと領解したという顔をして、
「それでは、芦辺の姫の婿になるマンスールを、これより私はあるじと思いまする」
 チカが座りなおして、兵衛に頭を下げた。それを見たマンスールがあわてて、チカにならって同じように頭を下げた。「めでたいのう」と為朝がつぶやくように言うと、みんなも同じように「めでたい、めでたい」と喜びあった。

 女宮司が部屋にはいってきた。為朝の横に座った。為朝の額に汗が浮いていた。宮司が懐紙を取りだしてそれをおさえ為朝は顔を向けた。部屋はしずまって、みなが為朝の言葉を待つようであった。遠くでセミの声が聞こえていた。
「みなも存じているとおり、宮司は京にもどることになった」
 西文慶がしみじみと、
「西の家は昔から月読神社とはゆかりの深いあいだがら、それが途絶えると思えば…」
 宮司が慰めるように、
「ご神霊はいくらでも分けることができ、分霊しても元には影響ないとされています。分霊もまた本社の神霊と同じ働きをするとされております。私は京の指図で帰らねばなりませんが、あちらにまいりましても月読様へのお勤めは変わることはありません」
 西文慶はしょぼくれて、
「月読様は壱岐が発祥の地と言われても、社殿を守る宮司がいなく、神社の荘園はいずれ守護の武藤資頼の配下、平戸松浦の支配になりましょう」
 聖福寺の僧がさとり顔で、
「世の流れは人知の及ぶところではありません。流れを見さだめ違わぬよう、行雲流水、日々是好日ともうします。さからえば滅びましょう」
栄西禅師は京で比叡山からの禅宗停止を翻意すべく朝廷に願いをしておいでです」
 為朝が話を受けるようにして、
「それで、マンスールたちがこのたび運んできた宋銭を京へ届けねばならぬ」
「ツミニノ、ハンブンハ、ウバワレテ、タリマセン」
「不足分は琉球遠征のおり為朝が預かっておる宋銭をもってする。不足分の倍ほどもある」
「ツミニハ、ゼンブ、ソウセンモ、ハカタデ、オロシマシタ」
 聖福寺の僧が説明するように、
「丁国安殿が数日中に宋銭を積んで芦辺にまいります。それに為朝様の分を積み込みます。船には為朝様と月読の宮司それに、お付の人々と護衛の武士が乗り込みます。船は二隻でもう一隻には南宋琉球からの品々が積まれています。壱岐を出て若狭をめざします。五日から七日ほどで敦賀にはいります。そこで荷を渡せば我らの任はおわります。月読の皆様は、そこで朝廷からつかわされた武士たちに案内と護衛を引き継ぎます」
敦賀からは塩津街道を深坂、沓掛を経て琵琶湖、塩津浜に至ります。それから大津まで船でまいります。博多の船を鎌倉の御用船とすれば瀬戸内を通ることもできますが、このたびは、南宋の交易船の装いをしてまいります」
 懸命に聞いていたマンスールが、
「タメトモサマハ、アラビアノフネデ、イイデスカ、ワタシモ、イキタイ」
                               平成二十七年十二月八日