ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

今年初めてのエッセイ教室にいった。

前回は年末で忙しく行けなかったので、久しぶりだった。

床の間の花がかえられていた。


エッセー教室で、
為朝が詠んだ歌に、下の句を付けてはどうかといわれた。


アテナの銀貨                         中村克博


 三隻の船は壱岐の芦辺浦を夜明けに出てから一昼夜ほぼ西寄りの安定した風にめぐまれ北東に進み続けていた。長門の低い山脈が出て間もない朝日に照らされて青々と右舷に連なっている。近くに手漕ぎの舟が釣り糸を垂らして漁師がこちらを珍しげに見ている様子がおもしろい。大きな三角帆を二枚張ったアラビア船は初めて目にするのだろう。
 船尾楼の甲板に為朝がいた。横にいる兵衛が、
「それにしても、マンスールとイヌブルたちとの別れは心打ちました。別れの宴もせず、ろくに言葉も交わさず、いつもの航海計画のようにアラビアに向けて行きました」
「そうだな…」
白い二枚の三角帆に朝日が照っていた。
為朝は目を細めてその前を走る南宋の交易船を見ていた。
「それで、次郎殿はアラビア女のどっちを嫁にしたのでございますか」
「それは、匂い瓶と同じ香りのおなごだと聞いておる」
「どちらでしょう」
「どちらであろうな」
 前を走る南宋の交易船には丁国安と妻のチカ、それに聖福寺の二人の僧も乗っていた。博多で宋銭五千貫を積み込んで、さらに壱岐では同じ量の宋銭を月読神社から運び込んでいた。一万貫、数にして一千万枚もの宋銭は千枚ずつが麻紐の銭差しでくくられ、船底に近い船倉に重さをならして敷き詰めるように置かれていた。
 為朝の乗るアラビア船はマンスールが為朝に献上したものだった。船頭は兵衛で、操船するのは壱岐の水夫たちが二十人ほどだった。武士は為朝に従う者から十人ほど、それに鬼界ヶ島で為朝の配下にくわえた琉球の部将三人と兵十二人がいた。それら武士二十五人は豊前から為朝に従っている添田ノ行文がたばねていた。行文は次郎とは同郷で年下の幼なじみであった。
 行文がやって来た。従者が籠を下げている。
「朝餉をお持ちしました」
「ありがたい、やや、朝粥かと思うたが…」と兵衛が言った。
「はい、厨房にはアラビア人がおりますので…」
 従者は戻っていった。為朝がナンを手にして、
「そうだったな、料理人と医者は居残っておった」
「そうです、マンスールが気がかりでアラビアには帰らないそうで」
「ところが、マンスールは今ごろ壱岐の芦辺でチカ様と朝粥ですな」
「おかげで我らは、小麦粉を練って薄く焼いたアラビアの朝餉です」
兵衛が頬張っていたナンを噛みくだして、
「次郎殿はアラビアのオナゴとやはり朝粥でしょうな」
「鳶色の眼差しがすずしげな、おなごですね」
「おお、そちらの、ほうであったか、そうかそうか、それがいい」
 行文が、いぶかしげに、
「兵衛殿なぜ、それがいいので…」
「いや、ただ、そう思っておったまでのこと」

 それから、為朝たちの船旅は何事もなく二度目の朝がすぎて、西寄りの風も変わらず海の景色も変わらずに、前の日と同じようにさしあたりすることもない日が過ぎて、ようやく強い日差しが西の海に沈もうとしていた。
 東の彼方に島が小さく見えていた。夕日に浮かぶ島は段々と大きくなって日が沈むころには山や木々も赤く光って見えた。船の中ほどにある屋形から数人の女人が出てしずしずと船尾楼のほうに近づいてきた。
 行文が為朝に、
「月読の巫女様がおみえになります」
「おお、まいられたな」
「なんども、お招きしたのに、こたびやっと…」
壱岐を出てはじめてだな」
「お迎えに行ってまいります」
 行文の後を兵衛の�眦い影が追っている。夕日が沈み始めていた。風が変わりはじめていた。船頭たちが帆綱を引きしぼった。船がゆれ行文が女宮司の手をとった。五人の若い巫女たちの甲高い声が小さく聞こえた。

 為朝の横にだまって西の空をみている女宮司に兵衛が、
「も少し早ければ沈む夕日を眺められましたが…」
「それは…、でも、日が沈んでの空の明りも何ともうつくしいですね」
「そうですね、空の青が遠くまで澄んで、雲は鮮やかに輝いて…」
 鳥がひとつ遠くをとんでいた。為朝は目でしばらく追っていた。
波が船べりを打つ音が聞こえていた。
 二人の後ろからまたして兵衛が、
「たまにですが、陽が海に沈む刹那、緑の光が横一文字に見えることがあります」
「なんと、それは不思議な光景でしょうね」
「はい、これまで長い海の暮らしで二度ほど見ました」
 為朝が振り返って、
「わしも昔、熊野の海でそれを見たことがある」と言った。
 兵衛は嬉しそうに、
「よかった、あの光、言葉ではあらわせません」
兵衛は二人に笑顔を残して上甲板に下りて行った。行文も二人に挨拶して兵衛について階段を下りた。五人の巫女たちの話し声が小さく聞こえていた。

西の空はまだ少し明るかったが東の空に星が光りはじめていた。
宮司が空を見上げて、
「一番星ですね」
為朝も夜空を見上げた。すぐに顔を戻して、
「島が近いな」
黒々とした島影が左舷に迫っていた。波の音が聞こえるほどではないが島に打ち寄せ波が闇の中に白く見える。
「右の奥に隠岐島、その手前が中ノ島、その隣に西ノ島…」
「もひとつ、重なって見える、こちらにも島があるようだが…」
「あ、はい、たしか、知夫里島とか申します」
「さようか、隠岐の国はいくつもの島でできておるのだな」
「はい、作物の育ちよく牛馬すこやか、冬暖かく夏は涼しい、のどかな島といいます。いにしえより、高貴な罪びとが遠流されたそうですね」
「そのようだな」
 為朝はむかし自分が流された伊豆の大島のことが浮かんでいた。
 為朝が、ふと思いついたように、
「わしは、むかし保元の乱で敗れ、後白河帝に伊豆の大島に流された」
「ほんに、後鳥羽上皇さまは後白河さまの、お孫様であられますなぁ…」
「それが今、わしは後鳥羽上皇の許へ宋銭一万貫を運んでおる。奇怪なことだ」
栄西禅師さまのお頼みでしょうから、世のためになるのでございましょう」
「そうだろうな、朝廷は都や南都の復興の財源に絹や米では間にあわぬ」
「私にはむつかしいことですが、宋銭の普及は朝廷がおさめる律令での祭りごとの仕組みをそこないます…、しかし博多には大量の宋銭が持ち込まれて国中にひろまり、今では食べ物とも着物とも道具とも交換できます。人手さえも集めることができます」
 上甲板から兵衛の叫ぶような声が聞こえた。進路の調整をしているようだ。操舵室から甲板の水夫に帆綱の引きが強すぎると言っている。
「芦辺の海人もアラビアの船には手こずるようじゃな」
「あ、そうそう、話は変わりますが、朝廷では後鳥羽上皇さまが勅撰和歌集の編纂をご命じになるようでございます」
「さようか、わしには心得のないことじゃ」
「そうでしょうか、なにか出されては…」
「そうだな、では詠み人知らず、でな」
「何か浮かびましたか」
「うむ、夕まぐれ島もおぼろに雨にくれ、ではどうじゃ」
隠岐の島をうたったのですね。でも雨は降っておりませぬが…」
「そうか、もうすぐ降るはずじゃ」と言って右手の甲で瞼をぬぐった。
 女の宮司からほほえみが消えて、つぶやくように、
「物思ひてながむる頃の月の色にいかばかりなるあはれそむらん」
為朝がそれに続けて、
「ながむとて花にもいたくなれぬれば散る別れこそ悲しかりけれ」
「こちらも、西行法師の詠まれたお歌なのですね」
西行法師すなわち佐藤義清は平清盛とは同い年、ともに北面の武士であった」
                         平成二十八年一月十四日