ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

きのう、居合の高段者の昇段試験があった。

許可をもらって、審査する宗家の近くで撮影した。
どんな技か、僕にはさっぱりわからなかった。



昨日はエッセイ教室だった。

アテナの銀貨                        中村克博                    


 威海をでて二日目の朝だった。雨は降らなかったが星の見えない暗闇の夜が明けはじめると、薄暗い船のまわりが段々に明るくなった。帆柱を見上げると天空は見渡す限りの桃色の霧につつまれていた。先ほどまで闇だった前方に僚船の影が桃色の霧にかすんでいる。後方には輸送船が二隻、三角の帆影をゆったりと膨らませて続いていた。うねりも波もなく、ゆるやかな風が流れていた。
 鬼室福信は上甲板を後ろ手に少し前かがみの姿勢で歩いていた。すぐ後ろをイスラムの衛兵が二人ついてきていた。鬼室福信は立ち止まって風上の方角を見つめていた。手すりに身を寄せて耳を澄ますようにしていた。風の音も波の音もなく静かだった。
 そこに、聖福寺の僧が二人やって来た。
「おだやかな朝ですね。海も空もない、一面の白い桃色、うつくしいですね」
「そうですね。何も見えない、うつくしい桃色の光だけです」
「それに、なにも音がないのは、うつくしいのですね」
 中央の屋形の扉が開いてマンスールが出てきた。甲板下にから来たようで二人のイスラムの女がついてきていた。兵衛の顔も見えた。
 近づいたマンスールに僧の一人が、
「おだやかな朝でございます」
「ウツクシイヒカリヲ、フタリノオナゴニ、ミセヨウト、オモイマス」
「ほんとに、珍しい光景です」
「ジロウハ、ネテイマス、マダウゴケナイ」
 風が変わるのか三角帆に裏風が入って孕みが緩んだ。すぐ、また元に戻るときにバタンと音がした。水夫たちの声がした。帆綱を引いて風に合わせていた。
 兵衛が鬼室福信に近づいて、ささやいた。
「威海を出るとき、なにか、胸騒ぎがすると、言っておられたが…」
 鬼室福信は西の方を見つめて、
「金の国は思ったより乱れておる。軍が逃げ腰では、はかりごとはもれる」
 聖福寺の僧が話にくわわり、
「皇帝の章宗は文人との親交を楽しみ、詩文、書画に明るく、ご自分でも書を多くされ温厚な人柄として知られます。ただし、国内には華美な風潮が広まって争いも多いと…」
 鬼室福信が、
「あの国は昔から、よい鉄は釘にしない、よい人間は兵にならない、という諺があります」
「それでは、武人に立つ瀬はありませんな、は、は」
「いや、いや、あの国には孫子呉子尉繚子司馬法李衛公問対など、さらに六韜三略など、立派な兵法書があります」
「ソウデスカ、ワタシモ、ヨミタイ」
 イスラムの女の一人がマンスールにことわって、場を離れて下りて行った。次郎の様子が心配なようだった。もう一人の女も行こうとしたが両手で制して一人下りて行った。
孫子が我が国に入ったのは奈良朝のころ吉備真備によるとされていますが、いらい多くの兵法書が日本に入っています。しかし、いずれの兵法書もすべて朝廷は大江家に管理を任せ門外に出ることはありません。支那の兵法は、兵は詭道なり、といい、本朝の精神をそこなう恐れがあるとの危惧があってではないかと…」
「ワタシニハ、ハナシノ、イミ、ワカラナイ」
 マンスールの従卒が二人、朝食のナンと果物、それに飲み水を運んできた。みんな、その場に座って食べ始めた。

甲板下の次郎の部屋では、アラビアの女が一人で次郎の世話をしていた。次郎は床に座っていた。投げ出した右足には白い布が巻かれ添え木がしてあった。女がナンを千切って次郎の口元に運んだ。次郎は恥ずかしそうに、それを手で取ろうとした。女は顔を左右にふってほほえんだ。次郎は口を少し開けた。ナンが口の中に入ってきた。何度もそれがつづいた。
女は黄色い果物の皮を手でむいた。新鮮な香りがただよった。実の子袋をほぐして取り分け、さらに薄皮を爪で引き裂いて中の果肉を取りだして次郎の口に運んだ。次郎は口を開けた。女がにっこり笑った。
ラッパが鳴った。何度も鳴った。信号を僚船に送っているようだ。やり取りのラッパがくりかえされた。甲板が騒がしくなった。兵士や水夫がどかどかと下りてきて武器を運び出し始めた。
兵衛が下りてきた。
「船影が四つ、味方ではないようですな」
「私に気づかいは無用です」
 兵衛は弓と矢を持って、次郎に丁寧な挨拶をして出て行った。次郎の部屋はアラビアの女が二人になっていた。小窓は閉められ扉は中から閂がされて明りはなく暗かった。船団は戦闘準備ができたようで、船は以前のように静かになっていた。弱い西風で揺れもなく船は進んでいた。
 扉をかるく叩く音がした。次郎が開けるように女にうながした。女が扉を開けると鬼室福信の顔が見えた。
「おう、頭目どの、お入りください」
次郎はハリのある声でこたえ笑顔でむかえた。
 鬼室福信は次郎の横に片膝を突いて腰を落とした。イスラムの衛兵が二人部屋の中に入ってきた。二人は部屋の隅に立ったまま顔も動かさずに直立していた。
「船戦になります。敵は南宋の戦艦四隻、風がない、苦戦します」
「そうですか、南宋の船が…、琉球までは味方でした」
「今日は敵です。積み荷を、大量な宋銭が、いや最後に積み込んだ金塊が狙いかもしれません」
「得物をお持ちでないようだが…」
「それはいい、ただ次郎殿の顔が見たく…」
「私は、今は役立たずの体、この太刀をお使いください」
「とんでもない、ただ挨拶がしたくて…」
「船では太刀より、この方が使いやすい」
 次郎はそう言って寸延短刀を腰から外して鬼室福信に押し付けた。
「そうですか、それではお言葉にあまえて、使わせてもらいます」
 ラッパの音が聞こえていた。甲板の上が騒がしくなった。人の走る音が伝わってくる。鬼室福信は部屋を出て甲板に上がって行った。空はすっかり晴れて青空が広がり高い雲が浮かんでいた。

 アラビアの貨物船二隻が進路を東に変えて戦列を離れた。先頭を走る戦艦とマンスールの旗艦は、そのまま南東を向いていた。南宋の戦艦四隻は進路を保持してしばらく並走していたが、後ろの二隻が変進してアラビアの貨物船の後を追いはじめた。敵味方二隻ずつになって並んで走る戦闘艦は互いに、矢や火器の応酬がないまま進んだ。南宋の二隻の戦艦がイスラムの戦艦とマンスールが乗る船に接舷しようとしていた。
 船尾楼の甲板で兵衛がマンスールに、
「敵は停船の勧告も宣戦の表意もないままの戦闘行為ですな」
「ナンソウノ、タタカイカタハ、ワカッテイマス」
 マンスールが船長のイヌブルに何やら話した。聞き終えたイヌブルは了解してラッパ手に直接指示を出した。ラッパが鳴った。イヌブルの副官が船尾楼の甲板から上甲板に向かって大声を出した。それを受けた水夫が同じ言葉を叫ぶように大声で復唱した。
 先頭のイスラムの戦艦が左回頭を始めた。マンスールの旗艦がそれに続いた。船首の先に東に逃げる二隻のアラビアの貨物船が見えてきた。その後ろを南宋の二隻の戦艦が追っている。
 アラビアの戦艦は、貨物船を追う南宋の戦艦に衝突するように接近して進路の前を通過した。マンスールの船は二隻目の南宋の戦艦の舳先に触れそうになってすれ違った。
その間にマンスールたちアラビアの戦闘艦からは数発の震天雷が発射され、無数の火矢を降り注ぎ、燃える油の火玉が次々と南宋の戦艦に飛び込んで行った。南宋の二隻の戦艦は風が追手のため、開いた帆が前方の視界を遮り思うように戦えなかった。
 南宋の戦艦は二隻とも帆に火がついて燃え上がっていた。船の上は燃える帆が落ちてきて、消火作業は混乱して戦闘どころではなかった。マンスール側の被害はほとんどなかった。アラビアの輸送船二隻の鄢い影は朝日に向かってゆったりと遠ざかっていた。
 兵衛に聖福寺の僧が、
「うまくいきましたね」
「三角帆がこれほど急な回頭ができるとは思いませんでした」
 マンスールたちの船は旋回をつづけ北西の方角になると帆を絞り込んで舵を戻し、しばらく直進に進んだ。後を追っていた南宋の二隻の戦艦は横帆に向かい風をつかみきれず、しばたいて距離はさらに開いていた。その時だった。東の方角から震天雷の炸裂する音が二発、さらに二発轟いた。
「敵は待ち伏せをしておったようですね」
「朝日がまぶしくて見えませんが、戦艦が三隻、と小早船ほどのが三艘か…」
ラッパが鳴った、何度も鳴って、マンスールたちは右に旋回して東の戦場にいそいだ。先ほど向かい風で、しばたいていた二隻の南宋の戦艦が追風を受けて右舷すぐ横に迫っていた。近すぎて炸裂弾は使えない。互いに矢を撃ち、鉾や槍を投げ合い接近した。戦艦どうしは、ほぼ同じ大きさだがマンスールの船は一回り小さく南宋の戦艦がかぶさってくるように見えた。
南宋の戦艦が舳先の碇を落とすようですぞ」と兵衛が叫んだ。
 南宋の戦艦がマンスールの船の船首にかぶさって、上から大きな碇を船首甲板に落とした。碇は太い丸太を丁の字に組んで、それと互い違いに大きな石材が結わえてあった。落差がないのでゴトンと鈍い音がした。碇綱が二隻の船首どうしの距離を固定した。
追風を受け南宋の戦艦は舵を使って船尾を寄せてきた。二隻は音をたてて接舷した。南宋の戦艦から兵士が飛び込んでくる。それをイスラムの兵士が槍で突くのが見える。鉤のついた綱を宋の兵士が投げ込もうとしている。その兵士をマンスールが次々と弓で射る。マンスールの船では剣戟の音が飛び交い、宋の兵士が絶え間なく乗り込んでくる。
船の構造上で船尾は船腹が絞られている。つまり中央の船腹は互いに接舷していても船尾は離れている。その離れた船尾が風か潮の影響で周期的に近づくのがわかる。鬼室福信はそれに気づいていた。
                               平成二十七年九月十七日