ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

きのうの土曜日、午前中はお茶の稽古、午後は旧友たちと花見。

今年の桜は一気に咲いて、すぐに散っていった。

今月は透木釜をつかった稽古だった。 庭の山桜が咲いていた。

午後から小雨模様だったが予定どおり旧友と福岡城に花見に行った。自転車の専用道ができていた。

見頃は過ぎていたが、満開の桜もまだあった。


土曜日の前、金曜日はエッセイ教室だった。


アテナの銀貨                       中村克博


 朝日はすでに高くなっていた。本殿の濡れた屋根から湯気がたって、数日つづいた冷たい雨は夜明けまでに上がっていた。青い空の遠くに羽毛のような雲が二つ浮かんでいる。
月読神社の境内ではいつものように武士たちが夜明けから剣術の稽古をしていた。砂利のひかれた広場には二十人ほどの武士が真剣をふるい気合の声を発していた。それぞれは思い思いに仮想の敵に攻撃と受けの技をくりだし、またある者は同じ型を何度も何度も繰り返していた。  
惟唯は正眼に構えた太刀をゆるりと納刀して一礼し、まわりの演武者の刃先をさけながら広場の隅に移動した。おおぜいの武士が広場を囲むように演武を見ていて一人の武士が惟唯と入れ替わるように広場の中に入って行った。額の傷跡の汗を手拭で押さえながら次郎に話しかけた。次郎は右腕を白い布で首から吊っている。
「久しぶりに稽古すると、なんともいい気分です」
「さきほどの最後の技は行き違いざまに敵の背後から逆袈裟で斬り伏せる技ですが、振りかぶるときに右足を軸にまわるのですね」
「そうですね。左足が出たときに斬れば一手早くなりますが、実戦では壺にはまったような間合いはとれませんからね」
「これからは船の上での合戦に備えての技を鍛えねばなりませんね」
 惟唯は首を上下にうなずいて、
「肩の具合はどうですか、矢傷は治りがおそいですからね」
「先日、南宋の医者が診てくれましたが、そろそろ動かして機能の回復をはじめるように言っていました」
「おう、そうですか、それはよかった」
イスラムマンスールも回復がいいようで、我らの剣戟の様子を見たいと申しております」
「ほう、そうですか、イスラムはどんな剣さばきをするのでしょうね」

 朝餉のあと惟唯と次郎はマンスールの部屋にいた。
板張りの部屋には火桶に鉄の湯釜がかけられ湯の煮え立つ音が静かに聞こえていた。マンスールは寝台に肩肘ついて横になっていた。
 椅子に座る二人に琉球の初老の女が煎じ茶をふるまってくれた。
「この茶はよく出ておりますね。茶の色が濃ゆい」と言って惟唯がすすった。
「お、なんと、この茶は甘い。何ですかこれは…」 
「黒糖を入れています。いかがですか…」
「黒糖をですか、それはまた、貴重な味ですね」
マンスール様はこれに搾りたての牛の乳をいれてお飲みですよ」
「生のままですか、煮詰めて作った酪や蘇なら食べたことはありますが…」
「傷の回復にはいいそうです。次郎様、牛の乳をいれましょうか」
 次郎は含んでいた黒糖入りの茶をあわてて飲んで、
「いや、け、けっこうです。傷はほぼ治っております」
 やりとりを琉球の女がイスラムの言葉に通訳すると、マンスールは笑いながら医者の言い付けなので自分も牛の乳は薬と思って飲んでいると言った。 
イスラムでは茶をのみますか」と惟唯の問いを女が通訳した。
「茶はありませんがアラビアの寺院で眠気さましにバンという豆の煮出し汁を飲みます。消化を助け強心や利尿にも効果があります。茶とは味が違いますが煎じ茶のような黄褐色です。私はこの豆を少し炒ったものがこのみです」
 琉球の女が通訳しているあいだマンスールは首から下がった銀の首飾りを手に見つめていた。
「アラビアを思いだしているのでしょうね」と惟唯がいった。
 ほどなく巫女の使いがやってきて、為朝のところに来るように伝えた。
丁国安と妻のタエや西文慶と娘のチカたちが訪ねてきたらしい。
惟唯が次郎も来るように誘ったが、
「いや、場違いでしょう」と応じなかった。

 巫女の案内で部屋に近づくと丁国安とタエのやりとりが聞こえてきた。マンスールの話のようだ。惟唯は板張りの部屋に入って両手をついて挨拶した。ヒノキの香りが鼻先にとどいた。
「次郎はこなかったのか」と為朝がたずねた。
「はい、誘いましたが場違いであると…」
「そうか…」
 タエが先ほどの話のつづきを、
「それで、その、うつくしい二人の女奴隷はいかがしたのですか」
「わしは見たわけではないし、ぞんじません」
「見たわけでもないのに、うつくしい、うつくしいと…」
「惟唯殿や次郎殿から何度も聞かされておりますので。は、は、は」
 惟唯は何か言いかけて、もぞもぞして、
「髪も顔も薄布でおおっていましたが、ひかえめな、おくゆかしい仕草がうつくしいと…」
真顔で言った惟唯をタエは、ちらりと見て、ふう〜ん、という思案顔で、
「仕草が、美しい…」と中空をみつめた。
 西文慶が話のながれをかえるように、
「ちかごろ南宋で語られる講談に西文慶という登場人物がおるそうですね」
 丁国安が話を受けて、
山東に横行した盗賊『宋江三十六人』に由来するもののようですが、その中に西文慶様と同じような人物がおるようです」
「私と同じような、ですか」
 丁国安は一度うなずいて、あわてて言いかえた。
「いえ、いえ、名前がです。名前だけです。シーウェン・クイン(西文慶)とかシーメン・クイン(西門・慶)と言う場合もあるようで、好色で狡猾な男ですが憎めないやつで…」
タエが声を出して笑いながら、
「それは、まるでディン・グォーアン(丁国安)にぴったりの人物ではありませんか、同類でしょう」と言ったあともこらえきれずに笑いをかみ殺していた。
 為朝は四人の話を楽しそうに聞いていた。
チカは口を挟むこともできず、たじろいでいた。
西文慶が居住まいを正して為朝をみて、
「じつは先ほど、平戸から使いの船がまいりまして、当方の預かり人を送ってくる了解を求めております。よろしければ明後日にでもいかがかと…、松浦の二の姫が五艘の小早船を差配してまいるようです。返事をまたしております」
「ほう、そうか、それはよかったな」
「それで、二の姫の件でございますが…」
「おう、それは栄西禅師から聞いておるとおりだが、惟唯の考え次第だな」
 西文慶は惟唯の方をみて、
「鎌倉からの意向だと思いますが、戸次の本家にはすでに嫡子として大友からの養子縁組ができております」
 惟唯は表情を変えずに聞いていた。
 西文慶は話をつづけて、
「戸次惟唯殿は本来、戸次本家の嫡男であらせられますが英彦山襲撃のおり生死にかかわらず廃嫡になっております。しかも英彦山襲撃は大神一族には関わりのないこと、つまり、なかったことになります」
「ということは、私はいなかったということですか」
 為朝が惟唯を見て、
「むごいことだな、死ぬのはもとよりいとわぬが、生きておるのに存在を消されるのはな」
 少し沈黙があったが、丁国安が口を開いて、
「為朝様は伊豆の大島でお亡くなりですね。鎌倉の記録ではそうなっておる。ところが生きておって先ほどは琉球まで遠征された。これも、なかったことになるのでしょうか。それとも、いずれ、ただの伝説になるのでしょうか」
「先日、栄西禅師が博多へおもどりになる前の日、夕餉をご一緒したおり申されましたことに…」と前置きして、西文慶が一言一言を神妙に話しだした。
「ご息女を豊後の大友の養女にと要請してきたのを英彦山の定秀様がお断りになり、あわや戦かと思われたとき栄西様が仲人となり、行忠様とご息女を夫婦にされました」
「なんと、それでは大友はおさまりますまい」と丁国安が膝を乗り出した。
「ところが、行忠様ご夫婦はお住まいを豊後の高田か国東にうつされるよし、定秀様の弟であられる紀友長様も鍛冶場の刀工たちを引き連れてお供されるようです」
 丁国安がえたりとばかり話をとって、
「国東は昔からよい鉄を産する地です。名工の友長様をはじめ英彦山の刀工衆がうつれば刀剣の一大生産地になるでしょう。行忠様は為朝様の甥御であらせられる。それに行忠様は熊野別当の御曹司でもあり、これで豊後の大友は紀州熊野水軍とのつながりも強くなります」
「その豊後と英彦山とのさばきの仔細については先日、八郎様に栄西禅師がご相談されたとぞんじます。そして…」
「相談ではなく、禅師が鎌倉の方策として説明されたのだと思う」と為朝が言いかえた。
 西文慶は恐れ入って、
「こたびも戸次惟唯様と松浦の二の姫をめあわせるのは鎮西さばきの一連の手立てかと…」
「そうであろうな、しかし、このような手立ては武士の考えとは思えぬが…」
 そう言い終わると為朝は惟唯を見すえた。
惟唯は両手をつき低頭して、
「私意はもとよりございません。まつりごとに応じるまでです」
 為朝は、うつむいているチカに顔を向けた。表情はうかえないが膝の上に重ねた手の甲が濡れているようであった。
                                 平成二七年四月二日