ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

「冥想とは?」と題するセミナーにいった。

29日30日、土曜と日曜、佐世保烏帽子岳の麓であった。 
講師は 江 麗光 氏(台湾台北市在住)現在台湾沖道ヨガ会理事長。

エストのくびれは跡形もないが若いころは美人だっただろうな〜、
と冥想行法の講義を聞きながら妄想していた。  む!ム… そういえば・・
いつか読んだ昔の沖ヨガの本に、いろんなポーズの写真があった。白黒写真で印刷も良くなかったが
モデルの女性が何とも魅力的な美人だった。そのモデルさんと江先生の面影が重っていた。
その本を今手元で見なおしている。昭和35年2月、初版発行とあるので1960年、48年前!!
間違いない。同一人物だ。この女性は、それから、ず〜っとヨガの修行をしていたのだろう。
『沖先生に直接指導を受け、沖先生存命時にご著書のアサナのモデルとなる。
寺院などで冥想修行を続け、今は冥想セミナーの指導をする。』とセミナーの紹介にもあった。
インドヨーガ、チベット密教道教、仏経の経典にも精通しているようだ。

冥想にはアサナの習得が前提となる。体の偏りを見つけて修正する。

見込みのある人への指導は親切、的確で徹底しているようだ。
台湾に来て修行するように勧めていた。通訳がへたくそで意味が良く分からないが・・

江先生のポーズは美しい。48年前の写真と見比べてみた。枯れている。
【枯れる】人格や芸に気取りや無駄がなくなり、円熟味や渋みを持つ(広辞苑) 

奥中教室の生徒さんには難しいポーズを難なくこなす人たちが多い。

セミナー2日目の午後から冥想の物真似だが体験実習をした。
照明を消してブラインドを下ろした。それでも部屋はかなり明るかった。
僕はその間、江先生を観察することにした。
天井の空調機からの暖気が頭に当たって冥想には具合が良くない。
僕は居眠りをして何度か後ろにひっくり返りそうになった。
その度に反省して江先生の観察を続けた。
江先生の首が急に下にコックリと動いた。見間違いかと思って意識をしっかりして見ていると、
今度は肩と頭が一緒にゆっくりと傾いて直ぐにゆっくりと戻った。写真を撮ったがタイミングがずれた。
シャッターの音に江先生は半眼をさらに少し開いてこちらを見ていた。
僕とカメラのファインダー越しに目が会った。もう一度シャッターを押した。
表情は変わらないが暖かい眼差しだった。悟りなどには程遠い。この人が好きになった。
はからない、とらわれない。あるがままに近い自然人だと思った。

部屋の隅に沖ヨガの長老が座っている。
冥想の時間も、そうでない時間にも同じ表情をしている。姿勢も変わらない。

江先生は、おろす、下ろす、降ろす、とそこだけは何度も何度も日本語で言っていた。
何も考えない。実在とは今を観ること。心はここに、足のあるところに。
イスラムムスリムにも同じような言葉があるのを思い出した。
求めない、願わない。虚勢を張らない、力まない。あるがままに然らしむ。
エネルギーは食べ物と呼吸から、それが適切でないと体にそれを知らせる症状が出る。
セミナーの終わりにはそのような講義が続いた。ヨガの基本だが分かりやすかった。
山道を降りる途中、佐世保の軍港が見えた。

山を降りて戦争を知らない軍艦のそばを通った。