ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

五月の下旬は天気のいい、おだやかな日々がつづくようだ。

小鳥の声が聞こえ始めるころ空はまだ薄明り、山から日がでるのは七時すぎ、
愛用の木剣を振り回しているとベランダの花が目についた。

素振りを中断してカメラを撮りに行った。日の出前の明りはやわらかい。
 
いろんな小さな花が咲いて、緑が生き生きしてきれいだ。

ベランダの前にテッセンが咲いていた。


午前中はエッセイ教室だった。

アテナの銀貨                   中村克博


 マンスールは惟唯と次郎が付き添って騎馬で桟橋に向かっていた。日はすでに天空に高くて波のおだやかな浦をきらきらと照りつけていた。イスラムの小ぶりな外洋船が一隻、桟橋に係留しているのが見える。大型の外洋船三隻は浦の中ほどに間隔をもって投錨していた。
 次郎が轡をならべて騎行するマンスールに顔を向け、
「ちか様もイスラムの船に行ってみたいそうですが…」
「ドウゾ、ドウゾ、ソレハ、ウレシイデス」
惟唯が馬上から後ろを向いて、
「後ほど、丁国安殿が奥方と一緒に芦辺の姫をともなって訪れるだろう」

 芦辺の屋形が近くに見えてきた。道の両脇に広がる田植え前の棚田に二羽の白鷺が水面をのぞきながら歩いていた。出迎えの武士たちが十人ほど道の片側に並んで待っているのが見える。三人の騎馬が近づくと武士たちは前を先導するように桟橋まで同道して馬を預かってくれた。イスラム船の甲板には大勢の水夫たちが静かにこちらを見ていた。マンスールに続いて惟唯と次郎が乗船した。
白い布を頭に形よく巻いた二人の武人が出迎えた。白い上下のアラビアの衣装をまとって反りの深い半月刀を腰に下げていた。
アッサラーム・アライクム
「ワ アライクム ァッサラーム」
「アハラン・ワ・サハラン」
 マンスールは二人から笑顔の挨拶を受けてそれに応えた。あちらこちらからアラビアの言葉が飛び交ってマンスールがそれに応えていたがお辞儀はしない、頭は下げずに相手を見たままだった。イスラムでは挨拶にお辞儀はしないと以前マンスールから聞いたことを思いだしていた。頭を下げるのはアラーに対してだけらしい。
 船室に通されると女が二人いた。髪は薄布で覆って金の冠を巻いていたが顔は出していた。マンスールにすすめられて惟唯と次郎が椅子に座った。マンスールとアラビアの武人二人が机を囲ん座ると二人の女が机の湯呑に飲み物を注いでまわった。女が近づくと去った後にさわやかな花の香りが心地よく漂っていた。次郎はうっとり眼をほそめていた。先年、鬼界ヶ島で目にしたあのときの女だった。
「これは怪しく、こうばしい匂いがしますな」と次郎が言った。
「ハナカラトッタニオイデス、ミミノウシロニツケマス」とマンスールが言った。
「な、なんと…、いや、この飲み物のことです」と次郎が言った。
 惟唯が吹きだすように笑って、
「はは、は、バンカムという煮出し汁だな。以前、聞いたことがある」
「アァ、ソウデス、バンカムデス」
イスラムの清貧な修行に励むスーフィーたちが徹夜で行う瞑想や祈りのときの眠気覚ましにバンカムを飲んだのが始まりらしい」と惟唯が言った。
「ああ、そうでしたね。禅宗の濃茶の始まりにもにていますね」
「僧院では、みんなで回し飲みもするそうだな」
「ソウデス、イノルトキ、ミンナデ…」
「どこでも、にたようなことをするもんだ」

 お茶のあと、惟唯と次郎は船内を案内された。マンスールは船室に残ってアラビアの武将たちと相談の時間をとった。船内を二人のアラビアの女が先に立ってくまなく見てまわった。甲板を下りるとすぐに、鉾、槍、刀剣、半弓、固定式の石弓、などの武器や、樽に入った火薬類、投擲機用の石、兜や鎧、鎖帷子、盾などの防具が整然と並んでいた。船倉には交易の品と思われる物は見あたらない、この船が攻撃型の戦闘艦であることがわかる。
かぐわしいような、いぶかしい匂いがして部屋をのぞくとそこは厨房だった。鍋や窯が釜戸の火にかけられて煮炊きの湯気がでていた。料理方の水夫が数人いて愛想よく声をかけるが意味は通じない。水夫たちの部屋も整理ができていて清潔だった。惟唯が心ひかれたのは診療室だった。ガラスの瓶に入った医薬品の多さに驚いた。惟唯は外科手術の器具にも驚いた。
女が小瓶の一つを手に取って蓋を開けて次郎の鼻先に近づけた。次郎はおそるおそる匂いを嗅いだ。いい匂いだった。女の香りと同じだった。
「ザファラーン」と女が言った。
「さ、ふらん」と次郎が言いまねた。
 女がにっこりうなづいた。

 武器庫、厨房、診療室、水夫の部屋、倉庫などが隔壁で仕切られて枡をつないだようになっていて、船との衝突や座礁での浸水を防ぐ水密の壁に工夫があった。さらに下の船倉に行こうとすると、二人の女はゆったりとした挨拶の言葉をかけて先の案内を二人の水夫に交代した。
そこは窓がなくて暗かった。天井が低くて頭がつかえそうだった。案内の水夫が明り取りの小窓を次々と開けていった。舷側のその小窓は弓を射る狭間にもなるようで、小窓の下に携帯式の弩弓が掛けられていた。床は間仕切りがなく広がり大きな柱が林立していた。床には丸太の棒が等間隔で並べられていた。大きな櫂の棒で一人ずつが座って漕ぐようになっていた。数えると左右の舷に十ずつ両舷で二十の櫂が使えるようになっていた。 
穴蔵のような櫂を漕ぐ場所を見終えると、さらにその下の船底の船倉は気になったが今回は見ずに上の層にもどった。上の階の部屋は明るかった。風が流れていてほっとした。アラビアの女が二人で待っていた。上の甲板に上がるように身振りで示してほほえんだ。惟唯は了解してすぐに階段を上った。次郎はアラビア女の前にじっと立っている。仕草の意味がのみこめないのか、と思ったが惟唯はかまわずに一人で甲板に出た。マンスールが待っていた。
マンスールがたどたどしく断片的な日本語で、浦の中ほどに錨泊している三隻のアラビア船を視察に行くが一緒に行こう言う。了解した。二人は船から桟橋に下りるとアラビアの武将が二人ついて来た。四人は芦辺が手配した艀に乗りかえた。次郎が来ない。マンスールが水夫の一人に呼んでくるように言った。
艀の漕ぎ手が話しかけてきた。顔見知りの水夫だった。船戦の模擬演習で芦辺の小早船に乗るとき時々顔を見かけていたが話すのは初めてだった。お互いの陸での日常の生活を話した。田と畑が少しあって年上の妻と小さな子供が一人いるらしい。次郎がやって来た。目がおよいでいるようだった。
「なにか、あったのか」
「いや、なにも…、おくれて、もうしわけない」
 次郎がマンスールにちょこんと頭を下げた。
アッサラーム・アライクム」とマンスールは髭の間から白い歯を見せた。

 艀が桟橋から離れた。櫓の漕ぐ音もせず引き波も静かに滑るように進んだ。最初の船まではすぐだった。梯子の代わりにする目のあらい網が船端に降ろされた。惟唯は太刀の柄が網の目にからまないように、のぼっていった。マンスール寸鉄をおびない丸腰だしアラビアの武将は半月刀をほぼ真っ直ぐに下げているので両手を使って難なく、のぼることができた。次郎は左の手に何か小さなものを持っているようで、のぼりにくそうだった。
 大型の交易船で貨物を運ぶのが目的のようだが、車輪のついた大きな石弓が油引きの帆布をかけて固定してあった。船倉は枡をつないだように箱型の部屋がいくつもつながって扉で仕切られていた。船荷は硫黄と木材がおもなもので、木椀や漆器、打ち刀や薙刀、それに乾燥した椎茸があった。
 惟唯が次郎をふり向いて、
「このイスラム船、博多から芦辺に来たそうだが…」
「これらの品、どこに運ぶのでしょうね」
「硫黄を積んでいるので琉球へではないな」
南宋でしょう。まさか金の国では…」
「それとも、高麗かも知れぬな」
 そばで聞いていたマンスールが、
「キンノクニ、デス」
「なんと、南宋と敵対する国に硫黄を運ぶと言うのか」
「エイサイサマノ、イイツケデス」
栄西様が、わけがわからぬ。丁国安殿は存じておるのか」
 そのとき、桟橋のアラビア船からラッパの音が聞こえた。芦辺の屋形から丁国安たちが到着する知らせだった。後の二隻の検分は取りやめて戻ることにした。
 桟橋に着くと丁国安たちはすでに船に乗り込んでいた。次郎は右手に持っていた小さなものを胸元にそっとしまい込んだ。
惟唯がそれを見とがめて、
「先ほどから、なにを隠しておる」と笑って言った。
                         平成二十七年五月二十八日

夕方から居合の稽古に出かけたが、第五週目で休みだった。
同じように間違って稽古に来ているおじさんがいた。
 
事務所に申し込んで稽古することにした。
65歳以上は無料だった。間抜けな二人で稽古した。