ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

一週間たつのがはやい。

土曜日はお茶の稽古。

従兄弟は茶筅飾りで、由緒のある水差しを使っていた。
僕は今日も筒茶碗の稽古をした。今月までしか使えないらしい。


昨日はエッセイ教室、


アテナの銀貨                 中村克博


 騎馬武者の一群が丘の上から芦辺の浦を見下ろしていた。どの馬からも白い息がけわしく吐きだされていた。日は西に傾いていたが空は晴れわたって東の海は遠くまで見通しがよかった。静かな入り江に碇を降ろした大型の外洋船が見える。帆柱が二本、筵帆を降ろして二層になった船尾楼が高くはね上がっていた。伴船はない。数艘の艀が行きかい米の積み込みをしていた。艀の桟橋には米の俵が積まれ人がうごめくように見える。牛の引く荷車がいくつも芦辺の屋形と桟橋のあいだの道をのろのろ進んでいた。
 為朝の馬に轡をならべていた武者が、
「禅師と綱首が着かれたようですね」
「それに宋の医者も一緒だ」
「戸次惟唯殿と次郎やマンスルの容態をみてもらうのですね」
「あの二人は、もういいだろう。今日も一緒に行きたいと申していた」
「はは、しかし、まだ遠乗りはむりでしょう。温泉で、ほてった体に馬駆けの風はなんとも言えません。は、はは」
「そうだな、おさななじみの次郎にその話をしてやるがよい」

 騎馬の一行は並足で月読神社に帰ると待ち受ける別当に手綱をわたし、為朝は自分の居室で着替えをしていた。女の宮司が手伝いながら、
「温泉のあと早掛けなさると狩衣も土埃だらけ、指貫(さしぬき)袴は馬の汗で濡れております。もういちど湯浴みをされますか」
「いや、いや、気分はさっぱり、さわやかだ」
「でも、お体に、土埃とお馬の汗が…」
「馬の汗は、落ちにくい衣服の汚れを洗い落とすそうだな」
「そのようですね。なぜでございますか…」
「なぜかな、わしにはわからぬ。 茶をいれてくれ」
「椿餅がありますが、薄い抹茶を点てましょうか」
「いや、煎じ茶だけでよい。たっぷりとくだされ」
 為朝が茶を飲んでいると巫女の摺り足が聞こえてきた。芦辺の屋形から宋医の青山先生がおみえになり、マンスールの容態をみに来たので会わせてもらいたいとの伝言であった。為朝は自ら案内に立った。
 マンスールは兵舎の一室にいた。近くには惟唯や次郎など武将の個室があった。大部屋の方から武士たちの話し声や笑い声が聞こえていた。為朝を見てマンスールが体を起こそうとした。
 為朝が手をあげて、
「起きなくてよい」と言った。
それを琉球の女がイスラムの言葉で伝えた。
青山先生が自ら名乗って容態をみせてくれるように言った。マンスールは通訳なしに宋の言葉を理解した。診察がはじまり為朝は部屋を出て惟唯と次郎に見送られ自分の居室に帰って行った。
それから一時(二時間ほど)して治療が終わり青山先生は薬を処方して明日また訪れることになった。馬丁と馬の用意をしていたが青山先生は馬に乗らない。二人の武士が徒歩で芦辺の屋形まで送って行った。風が西にかわり空には雲が広がって暗くなっていた。

夜半からの雨がしずしずと降って寒い朝だった。芦辺の屋形から徒歩の列が月読神社へと続く丘陵を上っている。道のまわりに広がる刈り入れの終わった田んぼには高く積み上げられ藁塚があちこちで雨に濡れていた。
徒歩の列は十五人ほどが一列になって、前と後を二人ずつの編笠をかぶった武士が護衛していた。武士以外は亜麻色の雨笠をさして括り緒の袴に足駄をはいていた。
丁国安の妻が前を歩く夫に、
「風がなくて幸いでしたね」
「長雨になりますが風は吹きません」
「天気のいいうちに新米の船積みができて安堵しました」
「今日のうちには対馬に着きますが、荷下ろしがしろしかな」
「ほんとに、濡れないように難儀でしょうね」
 丁国安は太った体に足駄が歩きにくそうだった。傘を持つ手に大きな息を白く吹きかけた。前を見ると雨笠の列が長くのびてゆれている。

 月読神社に着くと惟唯と次郎が出迎えた。西文慶のすぐ後から、ちかが傘をたたみながら、にっこり会釈した。青山先生はマンスールの部屋にそのまま出向いた。栄西と二人の若い僧が丁国安夫婦と並んで足に柄杓の水をかけて洗った。桶の水には湯がたしてあった。
 栄西は為朝の居室に女の宮司が案内した。障子が明けられると奥に為朝が座っていて深々とお辞儀をした。栄西はにじりながら入り答礼して為朝の前に座った。丁国安と西文慶が続いて部屋に入った。
 障子が閉められて部屋は暗かったが、すぐに目が慣れた。巫女が揚げ菓子を運んできた。小さな木の盆がまわって、それぞれが懐紙でうけた。丁国安は懐紙の用意がなくもじもじしていた。
「お使いください」と隣の為朝が懐紙の束を差し出した。
「これはおいしい、博多のと味がちがいますね」と栄西が言った。
丁国安が二個目をつまんで、
「博多のは南宋の味にちかい。丸いくぼみがへそのようですな」
 西文慶が、
「この甘味は、甘葛(あまかずら)とはちがいますな」
 部屋のすみで抹茶を点てていた女の宮司が、
「甘味はいただいた琉球からの黒糖をつかいました。小麦粉をこねて丸め、くぼみをつけます。こうすれば油で揚げたとき熱の通りがよいので…」
 栄西が居住まいを正すようにして、
「このたびの琉球への航海は多大なご成果で恐悦至極にございました」
 為朝は手にしていた懐紙を懐にしまいながら、
「いやいや、禅師のご教示にしたがったまで、おかげで身も心も生き返った気分です。まことに、ありがたく思っております」
 為朝は軽く両手をついて目線を落として頭を下げた。
 少しのあいだ座が静まった。
 栄西が膝の上で印を結ぶように手を組んで、
「落ち延びた大勢の平家武者が琉球に安住の場所をもとめることができ、それが琉球王朝の混乱を鎮めることにもなりました。鎌倉からすれば戦をせずに不穏な勢力を取り除いて、鎮西九ヶ国を頼朝様御家人の大友、武藤、島津でまとめる大掛かりなはかりごとでございましょう」
 丁国安が神妙な顔で、
「さらに南宋への硫黄の安定供給が保たれるようになりました」
 西文慶が恐る恐る、
「それを、鎌倉が最も恐れておる為朝様がなさったことが、正直、解釈できずにおります」
「いや、わしは鎌倉に敵対する気はもとよりない。国が平安で天朝の安寧が願いだ。それに武をもって報いるのがつとめと思うておる」
 茶が点てられ女宮司栄西の前に天目茶碗を運んだ。
「ほう、これはめずらしい、油滴のでた天目茶碗ですね」
「先日、平戸の松浦からのお使いが芦辺の屋形にまいられたおり、月読神社にもお立ち寄りになり奉納されたものです」
「ほう、このようなもの松浦がな、窯変の色が宇宙をみるような…。奉納には思いや願いが込められるのでしょうかな。そういえば、松浦の二の姫を戸次惟唯どのにめあわせるようにと豊後から願いがでております」
平成二七年年三月十九日