ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

先日、エッセイの先輩たちが八木山に来た。

十時からお昼前までヨガをして、部屋に移ってお茶にした。

表で使う三木町棚とやらを置いてみた。表の人がいて、使い方を教わった。
僕のお点前で作法はいい加減だが、みんな喜んでくださった。


昨日はエッセイ教室だった。
教室のあと、食事会に引退されていた大先輩が参加していた。


この日提出した原稿は、


        アテナの銀貨               中村克博


 芦辺の屋形から先触れの使いが去ってほどなく、西文慶と娘のちかが護衛の供回りと騎馬で月読神社にやって来た。供回りは引き返し、二人は為朝の居室のある建物に案内された。為朝と惟唯が出迎えた。
宮司の案内で四人は部屋に通されると、羹(あつもの)、四つ割りの柿、小豆粥のかるい食事が用意してあった。まだ未刻(午後二時ごろ)ころで、日は天空にあったが晩秋の日差しが部屋の奥まで差し込んでいた。席に着くと四人はあらためて挨拶を交わした。
 為朝が椀の蓋をとり羹を一口すすって、
「大風の害も少なく、稲の取り入れもすんで、いい秋日和ですね」
「ことあれどことなかりけり、というところですか」
「お父さま、あるのかないのか、お言葉がちぐはぐです」
「はは、は、ところで、平戸、薄香の浦の戦いで我が小早船の二艘に乗っておった六人の水夫が内、三人が生きております」
「なんと、それは意外なこと」と惟唯がおどろいた。
「先日、平戸の松浦から使いが来まして、船頭が二人、それに水夫が一人、怪我のようすはわかりませんが生きておるそうです」
「あれだけの矢数を受けて、よくぞ」と惟唯はうなだれた。
「それで、三人はいつ帰れるのか」と為朝が柿を一口かんだ。
「はい、まだ動かせないようで傷が癒えしだい、まもなくと思います」
「松浦の応対が変わりましたね。好意的なようだ」と惟唯が顔をあげた。
「そうです。武藤資頼からも使いの言上で詫びがまいりました」
「そうか、それはいい話だな」と為朝が小豆粥の椀を手にした。
 日が陰り、風が吹いて赤や黄色の落ち葉が部屋の中に舞い込んだ。ちかが手にした羹の中に赤いもみじが浮いて、黒い大きな蝶がひらひらと部屋の中を軽く飛んで出て行った。食事のあとが片づけられると、女の宮司が二人の巫女にお茶の道具を持たせてはいって来た。
「冷えてまいりましたね」と言って障子を閉めた。雲から出てきた日差しが障子に白く映りまぶしかった。
女の宮司は唐金の火鉢の横に座って茶釜から湯をくんで茶碗に注いだ。温めて清めた茶碗に次々と四人分の茶が点てられ巫女がそれを運んだ。最後に自分の茶を点てると向きなおってお辞儀をした。
西文慶が一口飲んで、
「結構な味ですな、南宋の舶来ですか」
「はい、福州の北苑茶園と聞いております」
「茶葉はなんで挽いておられますか」
「黄な粉をひく石臼を使いましたが、うまくいかず薬研でひいております」
「そうですか、栄西禅師にいただいた南宋の茶臼の写しをつくりましたが、いい具合で、後日お届けします」
「それは、ありがたい、かたじけなく存じます」
「鞍型の磨臼でひきつぶしたり、杵でついたり、すり鉢ですったり、いろいろためしましたが南宋の茶臼はきめ細かい抹茶ができますな」
 話を聞いていた為朝が、ふと思いついたように、
「そういえば、石臼はマンスルの祖先が西域に侵入したおりに持ち込んで伝えたらしい。千年もまえの話だそうだが」
「それが古代の中国に伝わって、今では南宋で茶を挽いておるのですね」
「まんする、妙な名前ですね」と女の宮司が言った。
マンスール、とのばします」と惟唯が笑った。
「マンスル様、お怪我をなさって琉球の人がお世話をしております」
 ちかが惟唯を見て、
「惟唯様のお怪我はどのようですか」
「鬼界ヶ島の戦いで山の上から飛礫(つぶて)をうけましたが、大事ありません。目も見えますし、脳にも支障はありません」
「額の布はまだ取れませんのか、それにお召し物がよれよれです」
「傷は治っておりますが、傷跡がまだ見苦しいので」
「傷はあとで見せてください。直垂と烏帽子は私が手配します」
「はっ、かたじけなく…しかし…」惟唯はもじもじした。
 西文慶があらたまって、
「それから、申し遅れましたが、数日中には博多から栄西禅師がお見えになります。丁国安殿の船で、それに南宋医の青山先生もお連れするようです」
「宗像のたえ様もご一緒でしょうか」
「そうだな、おそらく丁国安殿の奥方もご一緒であろう」
「それは、うれしゅうございます」
 為朝が遠くを見るように、
「都では奥方や姫は屋形から出ることはなかった。屋形うちでも他人に顔を見せることもなかったが…」
 女の宮司が息を合わすように、
「私も京からこちらに派遣されたおり初めはおどろきました」
 ちかが茶碗を巫女にかえして、
「こちらでは、おなごも船に乗ります。馬で駆け矢も射ます」と笑った。
 西文慶が思い出したように、
「平戸の松浦にも元気のいい姫がおられるようです」
 ちかが、すかさずに、
「大きくて相撲がお強いそうです」と惟唯を見た。
「二の姫で小早船の船頭もされるようで、先日の薄香での戦いで捕獲した当方の小早船二艘を返上する使いで参られるようです」
「たしか、松浦の一姫は太宰少弐になった武藤資頼が三男か四男との婚儀がすんだと聞いておるが」
「はい、前任の天野と違って武藤は武力で威圧するのではなく縁戚のつながりを、ちゃくちゃくと結んでおります」
「豊後の大友とも同じような方策だな」
「そのようで、大友は戸次、阿南、佐伯、大神、臼杵・大野、野津原、朽網らと縁戚のきずなをつくっております」
「あとは英彦山が目の上の瘤だな」
「修験の僧房三千といわれ、武力に優れ財力も豊富ですから」
「定秀や行忠は如何しておるだろうなぁ」

 芦辺の屋形から迎えの者たちがやって来た。日はかたむいて西の海を照り返していた。風はなかった。惟唯は西文慶親子と連れ立って馬の待つところまで歩いていた。
「惟唯さま、夕日を見に馬を走らせましょう」
「いや、傷は治っても馬の遠乗りは、もうしばらく…」
「では、屋形まで送ってください」
「これ、わがままを申すでない」
「いや、屋形までなら、馬は久しぶりですから」
「そうでしょう。乗ってみたいのでしょう」
 迎えの者たちが見えてきた。騎馬が五騎、空馬は二頭だった。
「あら、馬がたりませぬ。惟唯さま私と一緒に乗ってください」
 ちかは先の茶席では馬乗り袴を脱ぎ小袖姿だった。惟唯はちかを抱えて鞍に横座りにのせ自分はその後ろにまたがった。二騎が先導し西文慶、惟唯、その後に三騎が従った。浦まで続く田圃の干し藁に夕日が黄金色に照って、騎馬の長い影がぽっくり、ぽっくりとゆらいでいた。
 ちかが左に振り返り顔を惟唯に近づけた。
「惟唯さま、屋形で湯をお使いください」
「臭いますか、鬼界ヶ島の硫黄の匂いが残っております」
                         平成二七年三月五日