ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

金曜日の午前中は「きらくにエッセイ」の講座にいった。

前回予定していたグリュックのことを書いた。


  太りすぎのロットワイラー                 中村克博

先ほど僕が食べた頭としっぽと骨しか残っていない鯵の開き、白菜の煮付けと味噌汁の残りもの、それに湯呑ワンカップほどのドッグフードをくわえてお湯を注いだ。ベランダと境のガラス戸を開けるとグリュックが待ち遠しい顔をして見上げた。細かい雨が静かに降っている。僕が顎をしゃくって促すと、思い当たったようにエサ入れを取りに行った。
朝早く立ち寄った友人と座敷でお茶を飲んでいた。目の前のグリュックが左の前足でガラス戸を軽くたたいている。爪の先がガラスに触れて気兼ねそうな音が出る。「入れてくれっち言いようとやろか、外は寒かもんね」といってグリュックと僕を交互に見る。確かに冬の朝に降る雨は雪よりも寒く感じる。と言って犬を部屋に入れる考えはないが、そんなことは口にせず「いや、うんことしっこに行きたいっちいいよると」と言ってベランダのゲートを開けてやった。グリュックはびっこを引きながらもつれたような足取りで出ていった。

六年ほど前の春だった。そのころ僕は手首の骨を四ヶ所も折る怪我をして通院していた。ギブスが取れると指が動くようなので嬉しかったのを覚えている。外科の医者は僕とは幼馴染の先輩で町では犬好きで知られている。その奥さんから声が掛かった。治療が終わって帰ろうとしていた時だった。「中村さん、いま、お宅では犬を飼ってますか」と言った。「いいえ、今は飼っていません」と応えた。「来月はじめ、うちのビービーが子犬を生みます。一匹もらってくれますか」。「えっ、あの、ドーベルマンの太りすぎのですか」と思わず言ってしまった。「ドーベルマンではありませんよ。ロットワイラーです」
予定通りビービーが出産した。十二匹生まれて二匹は死産、二匹は親がうっかり踏んづけて死んだので残りは八匹だった。先輩が選んでくれた。「メスの方が飼いやすいし、骨格がこれはよさそうだ。鷹揚な顔もいい」と。僕もその子犬が気に入った。のんびりしてワンテンポ遅れていた。乳ばなれしたばかりだった。両手に乗るほど小さかった。 
ロットワイラーは、ドイツのロットワイル地方原産であるが元をたどればアジアのマスティフ系の犬がアッシリアペルシャバビロニア、エジプトを経て古代ローマに到った犬種らしい。これはもともと闘犬として使われていた犬である。体が強いだけでなく知能も優れた犬であったため牧牛犬として、更に軍用犬として改良されてローマが北のゲルマンに侵攻するとき従軍したらしい。骨格が大きく頑丈でたくましい体躯をしているが太りすぎると股関節形成不全になりモンローウオークになりやすい特徴がある。
グリュックの体重は現在四五キログラムくらいだろう。去年の夏頃はおそらく六〇キログラムをとっくに超えていたにちがいない。重くて歩くこともままならなかったが、それでも食べていた。というよりも食べさせていた。母やお手伝いおばさんが残飯だけでなく、おやつに饅頭やパンそれに時にはグリュックのために犬用の料理まで作ってたべさせる。「食べさせてはいけない」と言っても聞かない。
体重がピークになった頃だった。体調が悪いので病院に連れていったら腹の中に脂肪の塊があって肉腫のようになっているらしい。さっそく手術をして脂肪の塊を取り除いた。医者は摘出したのを見せてくれた。見たくはなかったのだがそれは一眼レフカメラに標準レンズを付けたほどの大きさだった。食べ過ぎが原因だと医者は言わなかったが、僕は食べ過ぎのせいにして餌やりが楽しみの年寄り二人にそのことを伝えてやった。以来しばらくは二人の餌やりはなくなったが、抜糸もすんでグリュックが少し元気になるとまた僕の目をかすめて以前に増して餌をやりはじめた。
 去年の夏だった。あるとき、僕は外出する予定が変更になって座敷にいると母が母屋の勝手口から出てきた。小さな鍋を両手で抱えてグリュックのいるベランダの方にやって来る。杖がつけないのでヨチヨチと用心しながら歩いている。僕がいる部屋のガラス戸は開いていたが網戸は閉まっていた。日差しが強かったので屋外にいる母からは網戸の中は見えにくい。「グリュックぅ、ほぉら、できたよ。おいしいよ。食べて早ぅ元気にならなねぇ」と聞こえる。グリュックがエサ入れをくわえてベランダの手摺にまで運んできた。エサ入れをコトンと置く音が聞こえた。母のニコニコ顔が網戸のむこうに見える。

幼馴染の外科医は以前から「お母さんは年寄りやから言ってもわからんよ。餌はお母さんに任して、あんたが(餌を)やらんならいいよ」と僕になんども日をおいて何度も言っていた。ちかごろは僕もそう思うようになっている。
しかし、母がグリュックに餌もオヤツもやるのもやめてしまって随分になる。いつだったか、母が台所でお手伝いのおばさんと雑談していた。勝手口の引き戸が半分開いていて時おり笑い声が聞こえる。僕は二人から見えないように戸口の外に近づいてグリュックに話はじめた。「おまえ、食べ過ぎて、いつまでも歩けんなら安楽死しかないね、病院にたのむぞ」。二度ほどゆっくり言った。グリュックはじっと上目でそれを聞いていた。
戸口の中にも聞こえたのだろう、二人の話し声はなくなった。僕は静かにそこを離れたが、それ以来母が餌を運ぶのを見たことがない。 
あんなことして後悔している。今は母にまた餌を運んでもらいたいと思っている。僕に隠れてこっそり運んでくるのを見たい気がしている。 
                         平成二四年二月一五日