ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

午前中は「気楽にエッセイ」の教室に出かけた。

毎月、第一、第三金曜だが今月はお盆があるので第五になった。
今日は満月だそうだ。今月は二度目らしい。晴れるといいが。

今月の内容はこんなだった。


   母屋に二匹の猫がいる                 中村克博


 二匹とも白い毛の基調に黒い毛のある白黒ブチの牝猫だ。もしも茶系の毛が加わっていたなら三毛猫で、もう少しは愛嬌があったのにと思う。随分長く生きている。母にたずねると一三年になるという。痩せて小さいのが名前をユキと言う。もう一匹はクモという名前で腹の皮が床につくほど太っている。母が台所で炊事をしていると二匹で足元にまとわりついて「ニャァ、ニャァ」言っている。母は足元がおぼつかないので邪魔になって危なっかしい。
 台所の勝手口のタタキには猫砂が箱に入れてある。二匹はときどき箱の中でしゃがんでいる。用を足したあとはそのまま上がってくる。足の裏の肉球には砂が付いて、歩くたびに砂粒が床に落ちる。すっきりした顔で元いた場所にひょいと飛び上がるが、それが僕が座る椅子の上だったりする。そんなとき、僕はそっと行って母に気づかれないように椅子を揺さぶる。ところが横着にも何度揺すっても降りないときがあった。辺りを見回すとたまたま竹の鯨尺が目にとまった。二尺の長いのを持って上から背中を突いてやった。左指を丸くして狙いをさだめ思いっきり右手で勢よく突いてやった。「ギャヴァ」とか、何ともけたたましい声を出して飛び降りて前の椅子に衝突して床を引っかくような音を出して目にも止まらず逃げていった。母が振り返った。二尺のモノサシを両手に持って、僕は何と言ったものかと笑顔もできずに立っていた。あれはユキだったのかクモだったのか思い出せない。
 母が自分の部屋にいるときには二匹の猫もいっしょにいる。母がベッドで横になっているときに、夏場の暑いときには床にいるが冬には布団の中に潜り込んでいることがある。何とも不衛生だし猫の寄生虫など年取った母には危険ではないかと思う。母はどちらかの耳がよく聞こえない。聞こえる方の耳に何度かそのことを話したが「長いこと、こうしよるとに、今さらいいと」と聞く耳がない。母の部屋の廊下のサッシ戸は猫の出入り口で昼のあいだ開けっ放し、網戸はあるが猫が引っかくので穴だらけだ。猫だけでなく蚊も虻もトンボも出入りする。蚊取り線香はいつも焚いてあるが風が抜けると効き目はおぼつかない。母の部屋にはエアゾールの殺虫剤がいくつも置いてあるが虫にかけるより猫にかけて追い出してやろうかと妄想しているがまだ試してはいない。
 僕は夕方、風呂に入るとき脱いだものを脱衣室の茶櫃の上に置いておく、二段に重ねられた茶櫃で高さの具合がいい。いつもは僕が最初に風呂を使うのだが都合で母に先に使ってもらったときには決まって茶櫃の上に猫の毛が残っているのに最近になって気がついた。母が出たあと僕が脱衣室の戸を開けるとユキが茶櫃から音もなく飛び降りたところを目にしたことが、それに気づくきっかけだった。きっと母が風呂にいるあいだユキはその上で待っているのだろう。脱衣室の板張りにいるより高いところの方が居心地がいいのだろう。しかし僕は湯上りのいい気分でいるときに、ユキの毛やフケの付いた寝巻き着て自分の部屋にかえってビールの喉ごしを楽しんでいたことになる。
仕返しをしてやらねばと思う。ガムテープを裏返しにして茶櫃の上一面に貼っておいたらどうだろう。思っただけで愉快になる。まずユキの足にくっつく。慌てたユキが足を振ってガムテープを取ろうとする。するとガムテープはひるがえってさらに足や頭にくっつく。一歩踏み出せば別のガムテープが絡みつく。ユキはたまらず逃れようと飛び降りれば足を取られて顔面を床に打ち付ける。やってみようと思う。いい考えだ。
 僕は猫が嫌いなわけではない。グリュックがまだ子犬の頃、もらってきてまだ二三ヶ月のころ、庭で子猫の鳴き声が夜になると幾日かしていた。日に日に弱い鳴き声になっていた。母が何とかしてやりなさいと言うので、夜に懐中電灯で鳴き声を探した。庭木の上の方からだった。手を差し伸べると抵抗なく身をゆだねて降りてきた。片手には余るが両手には身を横たえる大きさだった。毛並みは銀色のサバトラだったので、みんなに慣れた頃、誰かが名前を「ギン」と付けた。ギンとグリュックはその頃は同じ大きさだった。いつも一緒に散歩した。ギンが散歩を嫌がるとグリュックはギンの後ろ足の膝関節をくわえて自由を奪っていた。するとギンは素直に付いてきていた。
そのときには我が家には、すでにユキとクモがいたのでギンは昇殿を許されずに野良猫の身分のままだった。グリュックは成長中の子犬だったのでイワシの水煮などを野菜と煮込んで食べさせていたがお裾分けをギンにも食べさせた。ギンはたくましくてバッタを上手に捕まえて食べているのをよく見かけた。ある時は狙った小鳥を襲って食べているのを遠く窓越しに見たこともある。僕はギンが好きだったが呼んでも来なかった。
ギンはオトナになる前にいなくなったがその前に農機具小屋で子猫を数匹生んだ。それをグリュックが毎朝、散歩のときに訪ねて行った。ギンは寝そべって子猫に乳を飲ませていた。「ニャァ」と挨拶を返す。そのうち一匹の小さいのがヨチヨチ歩いてグリュックの鼻の前で「フゥ〜」と威嚇したのは滑稽だった。グリュックの頭よりも小さかった。
 あれから、ユキは僕が勝手口から台所に上がろうとすると「フゥー、ウゥ」と白い歯を見せて目を釣り上げる。猫のことだと気にしなくていいようだが、そうではない。とても嫌な気分になる。誰がこの家の主かを問われているようだ。そんな時には門外漢であるはずのクモまで「フゥ」とため息のように付き合っているが、やはりユキもクモも(家族)なんだと思う。グリュックと違って、ユキとは言葉は通じないが仲良くできればと思う。お互いに好意的にいたいもんだ。 
                      平成二四年八月三〇日


エッセイのあと八木山に帰って休んだ。

夕方から居合の稽古に再び福岡に出かけた。
居合の仲間は誰も道場にはやってこない。おかしいと思った。第五週は休みだった。