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はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

膝が痛かったが、やっと治った。

先週の金曜日、エッセイ教室に行った。

小説の「貝原益軒・・・」は書けなかったので、

膝が痛かった三ヶ月をエッセイにした。

 

膝が痛かったが、やっと治った。          中村克博

 

 

 七月の終わりころ右の膝を傷めた。歩くときに痛いので一カ月半ほど杖を突いていた。まるまる三ヶ月ほどかかった今月になって、ふつうに歩くには痛みはなくなった。治ってよかった。

 膝を痛めて二日後に整形外科に行った。日に日に痛みが酷くなるようだった。座っていても眠っていても痛かった。このままでは大変だと思って、妻の運転で家から四十分ほどの整形外科に出かけた。問診票を書いてレントゲンを撮って、しばらく待った。待合室はコロナ予防のビニールシートがあちこちに下がってマスクをしている人でいっぱいだった。待っている間も疼いていた。看護婦さんに呼ばれてビッコをひきながら診察室に入った。妻がついて来ていた。

 コロナのマスクで表情は分からないが顔の造りが大きい五十年配の医者だった。パソコンに映し出された僕の膝のレントゲン写真をみながら、

「うん、なるほど、うん、うん・・・ はぁい、どうしました」

愛嬌のいい大きな声だった。たぶん口元は笑って大きな歯が見えていたはずだ。

「はい、二日前、足場の悪い斜面を重たい荷物を運んで・・・」

 医者はパソコンの写真を指さしながら、

「この骨と、この骨の隙間が狭くなって軟骨を圧迫しています」

 僕は自分の骨の写真をながめながら、

「そうですか、痛い原因は何ですか・・・」

 医者はズボンをめくり上げた僕の右膝を皿のまわりを指で押したりさすったりしながら、僕の質問には応えないで、

「これ以上悪くなったら、手術で人工関節を入れます」

「えっつ、そ、そんな・・・」

「はい、たぶん、今回は注射をして、は~いっ、二週間ほどで治ります」

「そうですか、痛いのもとれますか・・・」

「痛み止めを出しておきます。シップの貼り薬もだしておきます」

 そのとき妻が、僕が言いたくても言い出せないでいたことを医者に言ってくれた。

「注射も飲み薬もせずに治す方法はないでしょうか」

 医者は少し考えていたが、不機嫌な口調で、

「リハビリで治すこともできます。が、長くかかりますよ。私も自分の膝にときどき水を抜いて注射をしていますよ」

 僕は照れ隠しのように、

「注射は痛いので・・・ それに痛み止めは飲まずに我慢します」といった。

 妻が言った。

「すみません、湿布薬はいただけますか・・・」

 

 診察室を出て足を引きずりながらリハビリの場所に移動した。広い明るい部屋にいろんな器具が並んで大勢の人がそれぞれに機能回復の運動をしていた。部屋の奥にはマッサージベッドが数列並んでいて白衣を着た整体師から治療を受けている人たちが見える。運動器具やマッサージベッドごとに天井から透明のビニールシートが下がっていてコロナ感染対策の異様な情景があった。

 

 あくる日から僕は膝の損傷を自分で修復することを始めた。整形外科のリハビリ室に出かけるは止めにした。車で往復する時間、順番を待つ時間、器具を使って運動する時間など、それが毎日など、いやだ。

まず、膝がどのような仕組みになっているのかを考えた。考えても分からない。膝の骨のことも、筋肉のことも、神経や血管など、どうなっているのか、まるで知らないのだから考えても分からないのは当然だ。それで、パソコンを開いてユーチューブで調べることにした。

膝関節の痛みだけでもユーチューブにはびっくりするほどの映像があった。整形外科の医者や整体治療士が、それぞれにさまざまな考えや治療方法を紹介していた。一画面は五分か十分ほどだろうか、図解や骨格模型や実際の人体を使って詳しく説明している。それらを一日にニ三時間かもっと多くの時間かを費やして三四日かけて勉強した。ユーチューブを見ながら説明どおりに自分の膝を押したり揉んだり、摘まんだり、伸ばしたり、曲げたり、ねじったり、いろいろ試した。

ユーチューブの動画サイトを見ると、ふともも(大腿骨)と(ふくらはぎ)脛骨が接合する膝関節の構造の複雑さがわかる。軟骨、半月板、膝蓋骨(ひざのお皿)、いくつもの靭帯があって、それらは滑膜や関節包でつつまれ関節液で満たされている。そして、なんと骨自体には神経はないそうだ。骨膜や滑膜にはたくさん神経があって、それが損傷すると痛むらしい。言葉で理解するのは分かりづらいが図解で見ると、なるほど、よくわかる。

ユーチューブでいろんな先生のやりかたを試しているうちに自分の症状に合っていると感じる方法が解ってきた。その方法をいろいろと、日常にやってみた。本を読んでいるときも、テレビの映画を見る時間も、風呂に入って湯船の中で、寝る前や朝起きる前の布団の中でも、夜目が覚めたときも、やっているうちに少しずつ膝がよくなっていくのが自覚できた。

日常の生活では動作に習慣があるので使う筋肉が限られている。使わない筋肉は数十年も使わない。そうすると筋肉は退化して小さくなったり硬くなったりする。体の筋肉のバランスが狂ってくると、骨の間接に歪みが出る。それで、硬い筋肉をほぐして普段しない動きをして無くなった筋肉を再生させることが修復になると理解した。

まだ杖が手放せなかったが京都に行く予約を取っていたので出かけた。駅の構内やホテルまで杖を突いて痛いのをどうにか歩いた。翌日、妻はいけばなの研究会へ、僕は一人で東寺のガラクタ市に出かけた。一時間ほど杖を突いて歩いたが、だんだんに痛さが増してきた。それでもガラクタ市がおもしろかったので歩いた。それがいけなかった。もう歩けない。目まいがしそうなので通りに出てタクシーをさがした。ホテルの部屋にたどり着いてベッドに倒れこんだ。膝が疼いていた。

膝の症状は一進一退だった。それでもひと月もしたら家では杖はいらなくなった。痛いのを我慢してはいけない。痛いのと相談しながら少し無理をしてはいたわって家の中を歩いたり、散歩は無理だが庭の小道をゆっくり歩いていた。翌月も妻の研修について京都に行った。それまで二カ月近くユーチューブで覚えた治療を毎日欠かさず習慣にしてつづけていた。南禅寺の金地院を見学するのに杖はいらなかった。

柳生新影流の居合の稽古を二ヶ月も休んでいたが、十月からは出かけることができた。居技は無理だが基本刀法をゆっくり一本一本、丁寧にやってみた。ゆっくり、いろんな動作をするには膝に支障はないようだ。家でも毎日ゆっくりだが居合の稽古をするようになった。十月三十日には箱崎の公民館での居合の奉納に組太刀で四本も参加した。相手のベテラン剣士に迷惑かけずにできて良かった。ユーチューブはありがたい。膝の痛みでも政治や経済でも歴史でも哲学や宗教でも自分で情報を選べる。自分で考えて判断できるようだ。インターネットはありがたい。

令和四年十一月三日