ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

縄跳びをしてみた。

先日、買い物のとき、目に留まった「縄とび」を買ってみた。

家に帰って、さっそく飛んでみた。うまく飛べなかった。
何度かやってみたけど、できないので、やめにした。
今朝、ふと思いついて、しばらく練習していたら飛べた。
まず二回、そして三回、練習していると、どうにか五回ほど飛べるようになった。


先週のエッセイ教室に提出した原稿は、



ヨガを始めて十年になる ニ、                 中村克博


 退院して家に帰ると愛犬のグリュックが喜んでくれた。短い尻尾をピクピク左右に動かし、どうしていいのかオロオロして体を押しつけクンクン声を出した。大きな体を受け止められなくて僕がその場に屈むと顔をペロペロ舐めてきた。
 あくる日からグリュックとの散歩を始めた。しかし、平坦な道でも五十mほど歩くと頭がボーっとした。休み休み歩いたが数日たっても状態は変わらなかった。それで、車の運転を用心して福岡に出かけて自転車を買ってきた。キャノンディールのポリス仕様、高いサドルにまたがったが自転車が進む前に転倒した。左手を擦り剝いてジーンズの膝が破れた。二度やっても三度やっても平衡が保てなかった。子供のころ体得した自転車に乗る機能がリセットされていた。
 階段なら駆け足で上り下りできた。しかし、小川のせせらぎを大小の石を踏み分けて上ることはできなかった。階段は高さも奥行きも材質も分かっているが、小川の石は大きさも形も、距離も高さも違う、濡れている石も苔むしている石もある。脳が判断する情報の量が違うのだと思った。座卓のほどの高さなら飛び降りることはできた。しかし机ほどの高さからはできなかった。丸太の棒を縦に落としたように衝撃が直に脳天に響いた。飛び降りる動作には脳への衝撃を体のいくつもの部位で吸収しているのが分かった。足の爪先、足首、膝関節、股関節、腰椎、胸椎、頚椎など骨や筋や筋肉が瞬時に連動して動くのだと改めて、というか初めて認識した。
食事は食べ物をゆっくり味わって噛みながら、喉につめないように少しずつ飲み込んでいれば問題なかった。ところが、食事中に母が話しかけてくると、とっさに条件反射で受け答えしようとする。そうすると口の中の食べ物が気管に入りこんできて、それこそ死ぬ思いをすることになる。四苦八苦するが水で飲みくだすことはできない。肺の中に流し込むかもしれない。咳き込みながら目を白黒させながら心配そうな母の顔を見ているしかない。
左半身の感覚がなかった。草刈りなどをして風呂に入ろうとすると左半身だけに小さな傷が幾つもついていた。湯船に浸かって、うっとりしていると湯の中の体がすっかり赤くなっている。おかしいと思いながら首まで湯に入れていると、だんだん気分が悪くなった。風呂から急いででた。適温が感知できない体と言う事を忘れていた。あくる日からは温度計と一緒に入るようにした。
入院中、血圧は毎日かかさず朝夕測っていたが異常なしだった。血液もサラサラ、血管も青年のようだと検査士からホメられて得意になっていた。それなのに薬を何種類も飲まされる。納得できないので、こっそり、ごみ箱に捨てていた。看護婦さんが気づいて担当の医者に言い付けたので散歩のときに外のゴミ箱に捨てるようにした。退院して、久しぶりに会社の会議に出席した。一時間もすると頭がふらふらして気分が悪くなった。それから、いく日か過ぎて、次の会議にはオムロンの携帯血圧計を会議の机の上に置いていた。会議に参加する人たちが怪訝そうにしている。会議がすすんでしばらくすると、やはり頭がくらくらして気分が悪くなった。血圧計に腕を通した。ブーぅ、と腕を締め付ける音がしてデジタルの表示が出始めた。120、140、180、200、僕の横にいた社長の弟が数字を見て「あ、あ〜ぁ」とつぶやいた。デジタルの文字は220になっていた。会議は取りやめになった。
それ以来、会議には出ないことにした。命あっての物種だ。それで完全に会社を引退することにした。しかし、毎日何をしようかと思った。バイクはとっくに辞めているし、だいいち自転車もろくに乗れないのだから、ヨットは気をつければいいだろうと思って海に出てみたが思うように体が動かなのでおもしろくはない。落水すれば危険だと思った。
そんなとき、長女がヨガをすすめてくれた。それと、自分のブログを始めるようにとの助言をくれた。ブログはすぐに始めたが、ヨガはためらっていると、娘は近所のヨガ教室に勝手に電話して申し込んだ。それで、次の週の決められた日時に出かけていった。教室の窓から覗くと部屋いっぱいに女性ばかりが色とりどりのヨガマットの上で刺激的なポーズをしているのが見えた。とたんに足が前に進まなかった。これは無理だと、そっと引き返して家に帰ってきた。
娘がそれを知って、次の週の土曜日、朝早く帰って来て僕を連れてヨガ教室に出かけた。有無を言わさずヨガ教室の戸を開けて入って挨拶して僕を皆に紹介した。たくさんの笑顔が一斉に僕を見て「どうぞ、どうぞ」と場所を開けてくれた。その日は娘も参加してつきあってくれた。次の週も娘は帰ってきてヨガ教室に付き合ってくれた。一人で出かけるようになって、三カ月ほどすると、損傷していた機能がだんだん回復してくるのが自覚できるようになっていた。

一年もヨガ教室に通っていると、ほとんど後遺症もなくなっていた。バイクはヤマハのセローを処分していたが、ヨガを始めて二年後には新しくホンダのFTR220を買った。毎日のように山道を走っていた。ヨットはヨガを始めて三ヶ月もすると始めていた。春になると毎月のようにレースにも出ていた。僕は乗っているだけ、舵は元よりロープも握らせてもらえなかったが…。
ヨガ教室には五年ほどお世話になった。体の機能は完全に回復していたがバイクはやはり心配なので処分した。ヨットのレースは無理だがのんびりクルージングはできるので機帆走のできるパシフィックシークラフトの31に買いかえた。ヨガのお陰で脳梗塞から復帰した。
 
五年ほどでヨガ教室を卒業させてもらい。それからは自分のヨガ教室を開いて友人知人とヨガを続けている。いちおう僕が指導者だが、若い人のようなヨガのポーズはやらない。もっぱら機能回復、改善、修正と維持のためのヨガをしている。体を、ゆるめる、ひらく、のばす、をもっぱらやっている。


このあと、エクササイズの説明が続くのだが、やはり言葉で書くのは難しいので削除する。