ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

昨日の土曜日は午前中、御茶の稽古だった。

従兄弟は、むつかしそうなお点前をしていた。

娘は盆立て、僕は薄茶を立てた。


先週の金曜日はエッセイ教室だった。
小説に、初めて濡れ場の場面が出てきた。


        アテナの銀貨               中村克博


船長は船尾楼の甲板から帆のはらみ具合を見ていた。風は北西から北にまわって右舷の帆桁がぎりぎりまで引き込まれていた。船は右舷に大きく傾いて海はうねりが出ていた。水夫が一人おぼつかない足取りでやってくる。物見甲板の交代に行くようだ。
水夫が夜空を見上げて、
「船長、星のまじろぎが強か」と腰を低くして言った。
「嵐になるな、おまけに風向きが悪か」
「船長、その恰好で寒かでっしょ皮衣(ふるき)ばめさんと」
「わかった。お前の綿入れ袢纏(はんてん)の防水はよかとや」
「はい、刺し子に油をたっぷり塗ってきましたけん」
船長は階段を下りて操舵室に行った。操舵室は船尾楼の一階部分で扉はないが雨風の直接の影響はない。操舵室には三人の水夫がいた。吊り灯篭の暗い明りをたよりに海と島の位置を示す図面を見ておおかたの現在位置を確認した。船長は状況の説明を聞いたあと北西に進路の変更を決めた。
 水夫の一人が船長の言葉を、
丑寅に船先を向けます」と復唱して上甲板の方に腰を落として歩いた。
 すぐに船底から大勢の水夫が出てきて帆綱の調節作業が始まった。帆の動きに合わせて水夫が二人がかりで梶棒を少しずつ押した。船の動きが安定して傾きがおさまると船長は上甲板を歩いて船首の方に行った。

 さらに一昼夜過ぎた朝だった。嵐はそれほどでもなく東の彼方に遠ざかっていた。うねりは少し残っていたが西風がほどよく吹いていた。
夜が明けてから左舷側に五島列島が見えていたが、間もなく平島にさしかかり右舷側の江島との間を真北に進む。前方の海に海鳥が集まって舞っている。ときおり見さだめるように急降下して海に突っ込む、魚がわいて泡立つ海に次々と落下していく。
左舷前方に宇久の島がかすんで見えるころ昼が過ぎた。生月島と平戸の海峡を抜けた方が距離は短くなるが松浦党接触を避けるため平戸の島を右舷にのぞんで、そのまま真北に進んだ。夜半には何事もなく玄界灘に出た。

壱岐の芦辺の浦に入ったのは巳の刻(午前十時ころ)をすぎていた。青く高い空に透き通るような雲が刷毛で佩いたように流れていた。迎えに出ていた二艘の小早船が先導して聖福寺船は浦の中ほどに碇を入れた。
 芦辺の屋形からは当主の西文慶が一族郎党と一緒に出迎えていた。農民や漁民たちも珍しいものを見るように離れたところから集まっていた。はじめに艀船で壱岐の水夫たち二十人ほどが上陸した。出迎えの人たちからどよめきが聞こえてきた。走り寄ってくる子供たちもいた。
続いて為朝配下の武士二十人が上陸して、最後の艀で為朝と惟唯と次郎、イスラム商人のマンスール琉球の初老の女、琉球将兵が上陸した。
 艀はその後も聖福寺船に積まれていた満載の品物のうちから幾ばくかを降ろし、船底にあった宋銭は残らず降ろされた。宋銭の入った銭俵が次々と艀に移されると吃水がみるみる下がっていった。品物は芦辺の屋形へ、宋銭は三台の牛車で月読神社へ運ばれた。馬の用意がしてあったが、みんな徒歩で月読神社まで行くことにした。
 宋銭を運ぶ牛車のあとを、竹で編んだ担架に乗せられたマンスールが風を防ぐ筵をかけられ、それを四人の肩が担ぎ運んでいた。マンスールは首を伸ばして右左に風景や出迎えの人々を眺めていた。大勢の人の障テい烏帽子が整然と進んで行く中に頭に巻かれた白いターバンだけがキョロキョロと動いていた。惟唯は左の額を布で巻き、次郎は右手を肩から吊っていた。為朝は琉球の部将たちと歩いていた。
為朝は歩みを止めて振り返った。碇を上げている聖福寺船が見えた。船尾楼に船長や二人の僧侶の姿が見えた。大勢の水夫たちが船べりに並んでこちらを見ている。為朝の後に続いていた武士たちも琉球の兵たちも歩みを止めて振り返っていた。惟唯たちもそれに気づいて立ち止まった。三台の牛車だけが止まらずにゆるやかな坂をのぼって行った。

月読神社の敷地に新築中だった屯所や兵舎、食堂、湯浴み場、兵器庫、倉庫、馬屋、各種の工房が完成していた。惟唯や次郎などの部将には個室が配慮されていた。為朝は以前から居室に使っていた本殿近くの建物に落ち着いた。
日差しのいい縁側に敷物を引いて為朝が庭を見ていた。
「茶を点てましょうか」と女の宮司が障子戸を少し開けた。
「いや、さきほど所望した煎じ茶を飲み過ぎたようだ」
「湯殿の用意をいたそうと思いますが…」
「みなは、湯本の方に出かけて行ったようだな」
「はい、警固の人を残して、はしゃいで下りられました」
「空の下で温泉に、嬉しいだろうな。わしは年増の巫女と湯殿に入るか」
「わたしは巫女ではありませんよ、垢を落として、ゆっくりなさいませ」
 女の宮司は障子戸を静かに閉めた。
 為朝は縁側の陽だまりに、ひじを枕に横になっていた。うつらうつらしているうちに眠っていた。鬼界ヶ島をでてトカラの夜の海を航海していた。夜風が寒い。
「湯殿の用意ができました」と若い女の声がした。
 為朝は起き上がって返事をしたが、寒い。陽だまりが西に移っていた。
 案内されて湯殿についた。麻の湯帷子(ゆかたびら)に着替え、立ち込める湯気の中に入って行った。すぐに先ほどとは別の、白い湯帷子を着た若い女が二人挨拶して入って来た。女が今着替えたばかりの為朝の白衣を脱がせた。床に湯が流されて為朝はそこに腹ばいになった。
二人の女が布巾に大豆の粉と木灰を使い分けて大きな体を洗っていった。広い背中から、盛り上がった尻と割れ目の奥まで小さな手が容赦なく分け入って湯がかけられた。髪の髻(もとどり)もほどいて湯で洗い、さらに丁子油を綿に染ませて丹念にぬぐうように洗っていた。
うながされて、仰向けになった。湯がかけられた。
「もうすこし、軽くやさしく、してくだされ」と眠そうな声がした。
「猪よりも、お強そうであられますのに」と笑ってこたえた。
「猪などと言わずに熊と言ってくださらぬか」目がさめたように言った。
「猪より熊がお好きですか」
「いや、猪武者というて前にしか進まぬ、馬鹿のようじゃ」と笑った。
「あら、存じませんで、申し訳ありません」と二人の女の笑いがした。
体を洗い終わると為朝に湯帷子を着せて湯殿の床にお湯を流して洗った。すぐに筵が三枚運ばれて床に重ねて敷かれた。その上に湯が何度も注がれ筵の匂いが立ち込めると、いちど空気を入れ替えて二人の女は丁寧なあいさつをして出て行った。

 湯殿の中は新しい湯けむりが行燈の光をかすませるほど蒸されていた。為朝は無双格子窓の引き戸を少し開けた。湯気が出ていき、外の明りと一緒に冷気がひんやりと入って来た。外で老婢が湯釜を焚いているのが見えた。
板戸ごしに人の気配がして帯を解く音が聞こえた。
「はいりますよ」と白い湯帷子に着替えた女の宮司が顔をのぞかせた。
 うつ伏せになっている為朝の左横に女は正坐して座り右手を為朝の腰に置いた。探るように手のひらを背骨にそわせ左右に動かしていた。そのうち動きを止めて、 
「息を深く吸い、ゆっくり長く吐いてくだされ」
 しばらく息を長く吐く音が聞こえていた。女は為朝に白湯を飲むように言った。
「いい気持だ、背中が軽くなるようじゃ」
「右のしこりは取れましたが左にまだ少し」
「船の上ではあまり体を動かさぬ、それで血の流れがとどこおるのだな」
「はい、でも、それだけではありません。気の疲れも…」
 また、しばらく深い呼吸の音がして、為朝は白湯を飲んだ。身体の向きをかえ仰向けになって天井を見た。湯気のしずくが落ちてきた。
女が為朝の麻の単衣単衣を開いて胸から腹の上へと湯を二度、三度とゆっくりかけていった。女は為朝の体の右横に正坐して右手を右肩の上においた。
「ゆっくり息を吸い、長く、長くゆっくり吐いてくだされ」
 吐く息が途切れずに長く続いて、何度もくりかえされた。
「しだいに肩がほぐれて、柔らかくなってまいりました」
 女は、いずまいを少しなおし右手を伸ばして、こんどは為朝の左肩に手をおいた。再び、為朝のゆっくりした吐息が聞こえてきた。女の顔は湯気に濡れていた。
「すこし冷えてきましたね」と為朝の顔の上で声がした。
為朝はこたえず、右手を女の白い湯帷子の襟元にのばして左胸の素肌のふくらみをつつんだ。女はゆっくり姿勢を起して無双格子の戸を閉めた。一瞬の闇になったが、すぐに行燈の明りが、はだけた乳房を浮き出した。左の乳首に湯気のしずくが光った。為朝の中指がそっと光に触れると女は崩れるように為朝の胸に顔をうずめた。
                          平成二七年二月一九日