ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

以前に読んだことのある本

レイモンド・チャンドラー 長いお別れ

午前中、エッセー教室の日だった。
妻は少し前、いけ花教室に先に出かけていた。
僕も、出かけようと思って、ふと見ると座卓の上にこの本があった。
なぜ、と思って手に取ると、僕のではないようだ。
ブックオフのシールがある。最近、妻が買ったようだ。

今日のエッセイ教室に提出したのは、


アテナの銀貨                 中村克博


 八丁櫓の小早船が聖福寺船の船尾をかすめ漕ぎぬけていった。先ほど惟唯たちを送り届けた島津の小早船だ。掛け声はないが櫓の動きは整然としていた。漕ぎ手を含め水夫は十人、武士が三人のっていた。積み荷のすくない小早船は速い、すぐにイスラム船の進路を防いだ。
桟橋では南宋の兵や水夫たちが軍船へ我先に戻っていた。戦船は戦闘準備を急ぎ全員を収容する前に舫いをといて動き出しだ。 
イスラム船が両舷二十本の櫂を一斉に海に降ろした。船は島津の小早船の前で静かに止まった。島津の小早船が舷側にまわるとイスラム船から舫い綱が投げられた。
聖福寺船の船尾楼の甲板で、
南宋の戦船は慌てておおります」と次郎が惟唯に言った。
「私も、イスラムの帆影を見て慌てましたよ。しかし戦はないようですね」
南宋の戦船からはイスラム船の動きは見えないのでしょう」
 
 島津の船から二人の武士がイスラム船に乗り込んでいたが半刻(十五分)ほどして出てきた。二人の武士が戻ると島津の船は聖福寺の船に船端をよせて報告に来た。その後すぐに入れ替わってイスラム船が防舷材を挟んで聖福寺の船に横付けした。
二人のイスラム人が聖福寺船に乗り込んできた。日に焼けた、はっきりした顔立ちで頭に白い布を幾重にも形よく巻いていた。引きしまった体に、ゆったりとした白い上着は足元が隠れるほど長かった。腰に茶の革帯をしめ黄金色の湾刀を下げていた。帯刀は許されたが二人の武士が後ろから間合いをとって船尾楼に案内した。上甲板には水夫や武士たちの人垣ができて白い訪問者を珍しげに見ていた。

為朝は船尾楼の甲板で訪問者を迎えた。惟唯と次郎もいた。惟唯は顔の半分を洗いざらしの包帯で巻いて被り物はない。次郎は直垂の襟をはだけ右腕を肩脱ぎして白い布で首から吊っていた。
部屋に入り卓を囲んで八人は椅子に座ったが、イスラムの男が、マンスールに会わせてもらいたいと手振り交じりで言う。
扉を開けてやるとイスラムの海商は窓の明かりを背に受けて横になっていた。逆光で表情は見えないが明るい声がした。琉球の女が傍に座っていた。二人のイスラム人が席を立って、為朝に目で了解を求めて隣の部屋へ歩いた。イスラム人の歩くあとから香料の芳香がかすかにただよっていた。
二人は膝をついて頭を下げてぼそぼそと話していたが、一人が席に戻り一人はイスラム海商のそばに残った。琉球の初老の女が通事として空いた椅子に座った。
初老の女が軽く頭を下げて口を開いた。
「まず、このたびの多大な、一連の不祥事を詫びております。けして意図したものでありませんが、お許しください。と申しております」
「いや、いや、もうすんだことだ」と為朝が言った。
「お詫びのしるしに、十分ではありませんが、心からの、お持ちしたものをお受け取りください。と申しております」
 為朝は少し間をおいて、
「我が国は長らく国が乱れておったが、ようやく収まり、新しい国のかたちができて天朝も安堵されればとおもう」と返事にならないことを言った。
 初老の女は為朝の返事に戸惑いをみせたが、うなずいてイスラム人に通事ことばを伝えた。イスラム人は髯を整えた端正な顔をほころばせた。 
上甲板の方でざわめきがおきた。次郎が席を立って部屋を出た。イスラムの船から棒をわたした重たそうな箱を二人で担いで来るのが見える。籠を下げた者も数人いる。淡い色目の衣装をまとった女が二人いるようだ。それを二人の武士が先導していた。

部屋の中央にある卓の上に重たそうな箱が置かれていた。籠に盛られた珍しい果実がその横に置かれている。
惟唯と次郎は卓から離れて壁ぎわにいた。  
イスラムの男が重たい箱の蓋に手をかけ開いた。
「これは、お詫びの気持ちでございます」と琉球の女が通訳した。
 為朝は黙っていた。すると、イスラムの男は為朝を見て言った。
「この箱いっぱいの金貨はこの女ほどの重さです」
為朝はその女を見た。女は革袋から宝玉を取り出していた。
女の髪を淡い紫の布が覆い、おなじ布が目から下の顔をかくしていた。青みがかった鳶色の眼差しは鋭いが寂しそうであった。女が並べる赤や緑や青い小石はソラマメかダイズほどの大きさで、それが窓の光にときおり輝いた。その様子を船長も二人の僧も食い入るように見ていた。 
為朝は少し離れて立っている、もう一人の女に目を移した。
髪を覆う萌黄色の頭巾には小さな丸い金の薄板がつながって縁どりされ、丸い額に細い金の鎖がたるみ、そこに小指の爪ほどの緑の石が光っていた。目から下は白い薄布で隠されていたが、ときおり深い息づかいをすると透けた布は吸い込まれ形のいい唇が浮かんだ。 
「うつくしいのう」と為朝が息をついだ。
「二人の女も、このたびの贈り物です」
「そうか、このように美しいもの、ありがたい話だな」
南宋でさばけば、いかほどの値が付きますやら」と僧の一人が言った。
「我が国では人の売り買いはご法度ですからな」と船長が言った。
イスラムやフランクでは捕虜に身代金を払うようです」ともう一人の僧が言った。
為朝はうなずき、残念そうに、
「いかんせん源家にそのような流儀はない、赦すか殺すかだな」と静かに言った。
イスラム人が通訳の説明を聞いて、あわてた。
「乗ってまいりました船も、水夫ごとお受け取りください」と言った。
為朝はイスラムの男と聖福寺の僧を交互に見て、
「このたびは平家人の安住の地をもとめ、平家武者を琉球に輸送するのが役目だと栄西禅師から受けたまわっておる。途中、思いがけずイスラム人と戦うことになり沈んだ船から人を助けたまでのこと、このような贈り物、もらう道理がないな」と為朝は話を打ち切るように笑った。
イスラムの男は話の流れにとまどった。
「この二人の女は主人の身代わりに参ったのです」と為朝を見つめた。
そのとき奥の部屋のマンスールが尻の傷も忘れて身を起して叫んだ。
「その二人の女は私の妻です。父に譲られた奴隷ですが、妻にするつもりです」琉球の女は驚いて通訳した。
 為朝は後ろに向き直ってマンスールを見た。
「そうか、我が父、為義は妻が五人、子が二十人もおったが、わしは江口の遊女が生んだ子であった。母はたいそう可愛がられておった思い出がある」
「為朝様、博多に行ってみたい。アラブの国を出て天竺から、いろんな国を訪れました。ここ数日、次郎様の話をうかがううちに前々からの思いがつのって、このさい、ぜひお連れくださるようお願いします」
「そうか、それは面白いな」と為朝は嬉しそうだった。
すると惟唯が意見をのべた。
「嵐の季節が過ぎるまでこの島で養生してはいかがかと、海が荒れて尻の傷が開いては博多どころではなくなります。硫黄の温泉は傷の化膿を防ぎます。」
 部屋の雰囲気がなごんだ。立っていた惟唯と次郎が椅子に座った。
「なぜイスラムの女は顔を布で覆い隠すのでしょうか」と僧が言った。
琉球の女がそれを訳すと、イスラムの男がこたえた。
「アラーは命じます。女は美しいところを人に見せてはいけない。男をそそらないように、胸はおおい、からだの線と髪を隠し、慎み深い服装をするようにと」
「私ども、僧も頭巾で顔を覆いますが、確かに、目だけを出しておると、聞くことも話すことも忘れ、息が深くなります」とうなずいた。 
「ちと話がちがうようだが」と船長が笑った。
「いや、おのれの内を深く見るようになると…」僧が不満げに言った。
「修業がたりぬようですな。イスラムの人妻が気になるようだ」と船長が若い僧をちゃかすように言った。
「そうですね。たしかに心が乱れます」と二人の僧が恥じいった。
「いや、私こそ」と惟唯がつられるように言いかけて口をつぐんだ。
「島の若後家に別れがたい心が残っておるのですな」と船長が言った。
 惟唯は船長を憮然とにらみつけた。
「妻以外と交わらない邪淫戒はどの宗教にもあるが、色欲そのものを恥じることはない。健全なあかしでしょう」とマンスールが言った。
「信心はないが、わしゃ、かかぁが怖くて、できませんな」と船長が頭に手をやった。
 マンスールが船長をほほえんで見た。
「それはいい、自ら戒めておられる。私など律法で縛られておるだけです」
                         平成二七年一月二九日