ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

この冬初めて、雪が降った。

あさ、まだ薄暗いころ窓の外から音がした。
霰のような雪が降っていた。みるみる地面が白くなった。

午前中、エッセイがある。車が出せるか心配したが、すぐに溶けた。

きょう提出したエッセイはこんなだった。前篇のおわりだった。


栄西と為朝と定秀              中村克博



北風が少しずつ西にふれ強くなっている。
日差しがいい、主甲板の陽だまりには水夫や武士たちが、しばしの休息にまどろんでいた。
丁国安の率いる本隊を離れていた為朝の乗る聖福寺船と南宋の戦船は、ふたたび合流して戦列をととのえ南下していた。先刻、本隊を襲った琉球の船団は西に離れ、しだいに遠ざかっていた。
船尾楼の甲板で船長が為朝に、
「潮の流れが強い、風の向きと逆です。三角波がでてきました」
「日のあるうちに琉球に着くのはむりかな」
「もう、ふた時もすれば琉球は見えてまいりますが、運天の港はそれから半日ほどのみちのりです」
 風はさらに強くなり、波がしらが白く見える。
「むかし、わしが伊豆の大島から運天に渡ったとの噂があったな」
「私も、それを聞いておりました」
「多少ちがうが、うわさの通りになるな」
「殿の噂は多々ありますが、まさに…」
 左舷に島が見える。
琉球の武将が為朝に、
「ユンヌ(与論島)でございます」
「浅瀬の海があさみどり、浜が白い。うつくしい島だな。」
「はい、それに、果実がおいしい」
 下の主甲板を聖福寺の僧が一人、急ぎ足で来るのが見えた。
 階段を上ると、一呼吸おいて、
「八郎様、深手の水夫頭が、みまかりました」
「そうか…、死んだか」
「水夫頭の弟が、なげき悲しんで、おだやかでありません」
 琉球の武将が、
「同じ部屋に、水夫頭を害したムスリムがおりましたな」
「そうです。それで、その弟が仇を討つと言い出しまして」
 為朝は、そこまで聞くと階段を下りはじめていた。


 為朝に続いて琉球の武将が、そして僧が主甲板の階段を下りた。
部屋には寝かされた水夫頭の右横に水夫頭の弟がうずくまって、枕元には聖福寺の僧が座っていた。為朝に気づくと僧は左手をついて頭を下げた。右手には鞘に納めた打ち刀を持っていた。柄を後ろ向きに鞘尻を前にして鍔ぎわを持っている。水夫頭の弟が持ってきた刀だった。
 為朝は部屋に入り、足元の方から左にまわって立った。
 僧が刀を置いて、念珠を泣いている水夫に渡そうとした。
「これを、お使いください」
「いや、宗旨がちがう。うちゃ、志賀海神社のわだつみ、やヶ」
 下を向いて右手の甲で鼻のあたりをこすった。
 為朝の後ろで読経のような小さな声がした。
 イスラムの水夫が正座していた。手に白い念珠を持っていた。
 琉球の武将が為朝に、
イスラム聖典クルアーンをとなえております」
 下を向いていた水夫が、
「わけわからん文言、しぇからしか」と鼻水をすすった。
 為朝が腰をかがめ、片膝をついて、
「月読神社の巫女がとなえる、のりとに、にておる」と言った。
 水夫は顔を上げると目の前に為朝の顔があるので驚いた。
 為朝は、僧から打ち刀を取り寄せて、水夫頭の胸の上に置いた。
「わしも、修験のマントラを唱えようと思うが…」
「は、ははぁ、もったいなく、恐れ多いことでございます」
 イスラムの水夫が唱えるコーランが聞こえていた。
 

為朝は結跏趺坐に坐りなおして静かな声を出した。
「ノウマク・サマンダ・ボダナン・ラタンラタト・バラン・タン…
ノウマク・サマンダ・ボダナン・ガララヤン・ソワカ…」
 すこしずつ心にひびいて、コーランの抒情とあわさっていった。


 コーランを唱えていたイスラムの水夫は船尾楼の船室に移された。死亡した水夫頭とその弟は主甲板下の船室に二人だけで残された。しばらくは二人だけにしておく配慮だった。
 船尾楼奥の船室には右肩の矢傷を療養している次郎がいた。イスラムの水夫はその横にうつ伏せに寝かされた。白いイスラムの衣服は赤く濡れて血がしたたっていた。次郎は起き上がって場所を開けた。
聖福寺の僧が二人、そこに入ってイスラムの水夫の衣服を脱がせた。血で染まった背中や尻は赤黒かったが、僧が湯で熱く蒸した手拭いで丹念に拭くと張りのある日焼けした白い肌が出て来た。尻から背中に斬り上げられた傷は数えきれないほど、縫い合わされた糸の目が並んでいた。
「縫合して、せっかく塞がっていた傷が開いている」と僧が言った。
「傷は致命傷ではないが、血が出すぎると助からぬ」ともう一人が言った。
 イスラムの水夫の首から銀色の飾り物がぶら下がっていた。僧侶が、こびりついた血をふき取っていた。
「ほう、これは銀貨のようですね。女の顔が描いてある」
 瀕死のイスラムの水夫が僧侶に彼らの言葉で何か話しかけた。
はっきりした声だが意味は分からなかった。
 琉球の武将がそれを訳して、
「古代神話のアテナの女神で、裏側にはフクロウが描いてあるそうです」
イスラム偶像崇拝を禁止するのではありませんか」
「崇拝しなくとも、何か、いわくがありそうですね」
「そういえば、この男、腰の革帯を金で飾っておりました。斬られたときにその金具に切っ先が当たって深手にならなかったようです」
「手に持っておる念珠は真珠ですね。見事なものですね」
「どうも、ただの水夫ではないようですね。どんな人物でしょうね」


 意を察してイスラムの水夫が琉球の武将に話をしだした。
それでわかったことは、この男はイスラムの海商であること、シリア生まれのクルド族で父親はダマスカスの知事、先祖ばアレキサンダー遠征軍の武将でギリシャ人らしい。サラディーンからの直接の要請で硫黄を求めて来たこと、琉球那覇を拠点に十隻の交易船を運航しているらしい。琉球の内乱は、はなはだ迷惑で安全な交易を求めている。とのこと。
「自分が生きていることが分かれば、部下は身代金を払うだろうと言っております」
「はは、は、そうか、我が国では、あまり聞かぬ話だな」
イスラムやフランクでは捕虜や王までも身代金で買い取るようです」
「そうか、ならば、おとなしく養生するようにつたえよ」


 船団は左舷に陸地を見ながら進んでいた。夕日はなだらかな山に沈んでいたが残照が山の稜線をきわだたせていた。まだ明るいうちに、進路を誘導する帆船が運天港から迎えに出ていた。
為朝は、船尾楼の甲板に立っていた。前方に島が見える。島の奥に運天の港がある。誘導する船の帆が夕闇におぼろにゆれていた。 


 いつの間にか英彦山の山奥から、このようなところにまで来た。自分では思いもしないことだ。これぞ運天か、しかし、為朝は上陸しないと決めていた。自分の役目はここまで、あとは息子の平敬敦と伊勢の平教経のすることだ。
 鬼界ヶ島に残してきた戸次惟唯のことが気になる。芦辺のちかは惟唯と結ばれるような気がする。壱岐の月読神社の年増の巫女はどうしているだろうかと思う。
目をとじると行忠と沙羅のことがうかんでくる。定秀か…、三町礫の紀平次とはもう会うこともないだろう。目を開くと、海には闇が迫って前方の船は見づらいが臥待月が島影から出て来た。

                       前編のおわり

平成二十六年十二月三日