ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

午前中はエッセイ、午後からは警固神社、夕方は居合だった。


宗家が馬廻りの殿に指導していた。 高禄の武士は正坐がふさわしいが・・・

  宗家の前では足が引っ込むのはいいことだ。殿は今度、昇段試験を受けるようだ。

山崎剣士は念願の一振りを気に入っているようだ。

警固神社でLe haruの作品展があっている。


きょう提出した原稿は


栄西と為朝と定秀                  中村克博


 月は西に沈み天空は清んで高く一面に星が光っていた。
 夜明けにはまだ時がある。
為朝は船室を出ていた。前方に僚船の帆影が星明りにゆれている。一隻、二隻、その先は闇にとけこんで杳(よう)として見えない。ほどよい西風が右の頬(ほお)にそよいで波はうねりもなく穏やかだった。
船団はどの船も船首にちかい副帆は上げず後ろの主帆だけで走っていた。帆柱を破損して、取り替え作業を航海中にしている船がいた。船団の船足をその船に合わせているためだった。
為朝は東に目を移した。
空と海の区切りは暗いばかりで判然としない。左舷とおくに島影が見えて後方へ過ぎていく。船が波を受ける音が時おりするが静寂を乱すほどではない。
為朝は島影に何やら重なって動くかすかな物をみとめていた。
星明りに波が照るのかと思ったが、そうではない。小さな物は為朝の船と同じ速さで並走していた。
頭上で、船室の屋上を歩く物見番の気配がしていた。為朝は船室前の甲板から階段に足をかけ物見甲板に上って行った。そこには三人の水夫が持ち場についていた。
「左舷のかなたに小舟のようなものが見えるが…」
 為朝は目を細めて右手の指で示した。
「はい、このあたりの漁師が使う小型の帆掛け船です。月が沈んで間もなく現れ、今は一艘ですが先刻までは二艘がついてきておりました」
「小さいのに早いな」
「はい、先ほど一艘がさらに船足を速め南に消え去りました」

東の空が少し白み始めると、ゆるやかな弧を描いて水平線が現れ、砂のような雲が流れて赤く染まり薄く青みを帯びた空に映えていた。
明けはじめた空が海を照らして、遠くに小船の様子が見えはじめた。
「細長い船で帆が大きく、二人で乗っております」
「ほう、十人は乗れそうな船に二人だけでな」
「帆の色が暗く染められ、目立ちません」
「それで夜目には、なおさら見えにくいな」
 右舷を見張っていた水夫の一人が、
「そろそろ、敵が現れるのでしょうか、法螺を鳴らしましょうか」
「いや、まだ眠らせておこう。朝餉の用意ができてからでよい」
 前方を見ている水夫が
「博多の宋船は帆柱の修理がまだですね」と不安げに言った。
「明るくなったので作業を始めただろう」と一人の水夫がこたえた。
「そちたちは奄美の海を知っておるのか」と為朝がたずねた。
「はい、われらは博多から琉球まで何度かまいりました」
「ほう、そうか、奄美の島々のうちで一番南にユンヌと言う島があるな」
「はい、山のない砂浜のきれいな島で、琉球の運天港まで半日の距離です」
「そうか、わしは敵が出るのはそのあたりだと思うが…」
「いや、もっと手前の徳之島か沖永良部あたりとおもいます」
「ほう、それは…」
「この水域なら硫黄鳥島と徳之島、沖永良部の三方から攻められます」 
するともう一人の水夫が、
「いや、いや、帆柱の修理ができる前だとおもいます」と、きっぱり言った。
「そうです。わしも、そう思います。この船足で乱戦になれば…」と前方を見ている水夫が声を荒げた。
「たしかに。であれば間もなくだな」と為朝は東の海を見た。
日の出が間近だった。雲はいよいよ赤く染まって空は青く澄んでいた。

朝日が昇りはじめ海に照り返していた。船団の先頭を走る船から法螺の音が聞こえた。後続の船も間をおかずに法螺を吹き始めた。
高木ノ次郎はすでに戦支度を整えて船尾楼の甲板にいた。大袖も草摺りも着けず胴の鎧に揉み烏帽子をかぶっていた。二尺五寸の太刀を佩き、帯に斜めから一尺ほどの腰刀を差していた。大弓を持ち箙(えびら)には二四本の矢があった。
法螺の音は遠くから近くから朝の大気をふるわせていた。
次郎が、横にいる聖福寺の僧に、
「日の光で東がまぶしくて見えない」と叫ぶように言った。
「何と言われた。聞こえません」と、僧は物見甲板を見上げた。
法螺の音が艦隊のどの船からも聞こえていた。この船では物見甲板から二人の水夫が、音をあわせて低く高く長く短く、吹き鳴らしていた。

 東に黒い船影が見えた。艦隊から二隻の南宋の船が戦列を離れていった。
南宋の戦艦が応戦するようですね」と次郎が言った。
 法螺の音はしなかった。静かに幟のはためきが聞こえていた。
二隻の戦艦が満帆で光の中の鄢い船影に向う。それを十隻の船、二千人が見つめ殺気だった熱気が船団を包んでいた。
南宋の戦艦二隻が横並びになりました」と次郎が言った。
「横に並べば新鮮な追い風を受けることができます」と船長。
「敵の船は何隻いるのでしょう。まぶしくてわかりません」と次郎。
「あれはイスラムの戦闘艦のようです」と琉球の武将の一人が言った。
大きな二枚の三角帆を鋭く引き込んで風に上るように迫ってくる。船体を左舷に大
きく傾けてみるみる近づいてくる。
「向かい風によく上る船ですね。四隻いますね」と次郎が言った。
「船のあつかいも手練れていますね」と船長が言った。
間合いを詰め一列縦隊で突っ込んでくる船は四隻だった。船は左右交互に適度にずれて距離を保っている。
イスラムの戦闘船は、横並びの南宋の戦艦と風下で出会う直前に二隻ずつ左右に分かれた。
南宋の戦艦二隻は、イスラム船の進路を押さえるように右舷に舵を取った。
するとイスラムの船は左舷に舵を切って接近してきた。
「なんと、あれでは衝突覚悟ですね」と次郎が言った。
「並走して接近戦を挑む腹ですな」と琉球の武将が言った。
向かい合うように出会った船は、互いに火矢を応酬し炸裂弾を放った。
火矢は双方に届いたが炸裂弾は互いに届かずに海に落ちて行った。受けた火矢を消す間もなく、南宋の戦艦の左舷にイスラムの船が鋭角に衝突した。
衝突したイスラムの船は船首が破損して索具が海に浸かっていた。
「兵が乗り込んで斬り合いになるようです」と次郎が言った。
敵味方の船は接触したまま南に進んでいる。
南宋の兵が白刃をかざしてイスラムの船に飛び込んでいくのが見える。
イスラムの、もう一隻がその後を追う。
イスラムの船は船戦が巧みなようです。苦戦しますぞ」と船長が言った。
南宋の戦艦は西の風を受け、帆は左舷側甲板に展開している。それが戦闘の妨害になっていた。イスラムの船の帆も左舷側に開いていたが、右舷側甲板は空いて見通しがよかった。
イスラムの船から炸裂弾が一斉に発射された。全弾命中して南宋の戦艦のあちこちで爆発した。二枚の帆が燃え始めて炎と煙を上げはじめた。
被害は大きかった。南宋の戦艦は混乱していた。
もはや攻撃は一方的だった。イスラムの船が離れ、すぐに後のイスラム船が入れ替わって横に並んだ。南宋の戦艦は帆が燃え落ちて航行不能になっていた。
入れ替わったイスラムの船は帆の風を抜いて、適度な距離から炸裂弾を次々と発射した。南宋の戦艦の甲板は阿鼻叫喚の修羅場となっていった。
その間、もう一隻の南宋の戦艦も二隻のイスラムの船を相手に苦戦していた。
それに向かい、船首の破損したイスラムの船が右舷まわりで回頭している。
「回頭して二隻に合流するようだ」と琉球の武将が言った。
南宋の戦艦は三対一で、なぶり殺しです」と次郎がつぶやくように言った。
船団はいまだに主帆を一枚だけ張った状態で戦列を組んで走っていた。帆柱の修理をしている船に船足をあわせているのだった。

「次郎、南宋の船に助太刀に行くか」と為朝が言った。
「は、そのように致します」と次郎がこたえて船長に目礼で合図した。
 船長はすぐさま総帆の指示を出した。
 前の帆が張られる前に船は左舷に舵をとり戦列から離れていった。
 聖福寺船は主帆を上げ舳先の三角帆も風をはらんで波をつんざいて進んだ。 
「貝は吹くな合戦中の下知が聞こえぬ」と次郎が物見に向かって言った。
 為朝が船長に向かって確認するように、
イスラムの船は竜骨がないと聞くが…」
「はい、堅い板を強い紐で縫い合わせて舷側の骨格に木釘で打ちつけ瀝青を塗りかためております」
「ならば衝撃には弱かろうな」
「ム…、ところが意外と柔軟で、もろくはありません」
「そうか…」為朝は次郎の方を見た。
 次郎が為朝の了解を求めて、
南宋の船に下(しも)からイスラムの二隻が攻めております。あの間に船を入れようと思います」
「そうか、そうだな」と為朝は了解した。
 イスラムの船は南宋の戦船に並んで走りながら炸裂弾や火矢を射かけていた。
 為朝の乗る聖福寺の船は進んでくる南宋の戦艦の舳先をかすめてイスラム船との間に突っ込んでいった。
聖福寺船の舳先がイスラム船に接触してイスラム船の前の帆げたをへし折った。
 イスラム船からの炸裂弾が発射されたが、あらぬ方角に飛んでいった。
聖福寺船には石弓の装備はないが武者たちはイスラムの船に矢を射かけていた。
為朝は船尾楼の甲板から矢を放った。
矢はイスラム船の後ろの帆げたの身縄を切った。
身縄を切られた帆はすぐに半分ほど落ちてきて止まった。
次郎が為朝に、
「前方にイスラムの船がせま」まで言いかけ次郎は身をかがめた。
 鎧の大袖を着けていない次郎の右肩にイスラムの矢が深々と刺さっていた。
「動かないでください。すぐに手当てをします」と聖福寺の僧が言った。
聖福寺船とイスラムの船とは接触したまま行き違った。
船が離れた反動で聖福寺船は右舷に進路がふれた。
目の前に二隻目のイスラムの船が迫っていた。イスラムの船は避けようともせずに聖福寺船の左舷の舷側に突っ込んできた。
双方の船はともに西の風を横から受けて行きかっていた。風は日が昇りはじめてから強くなっていた。
衝突の衝撃は大きかった。イスラムの船の舳先は聖福寺船の船腹にめり込んで、帆柱が根元から折れて聖福寺船に倒れ込んできた。
聖福寺船には水夫五十、為朝、次郎、聖福寺の僧二人、為朝の直属の武士十、壱岐の水夫二十、イスラムの捕虜の水夫三十、琉球の将と兵が五十、が乗っている。
イスラムの船にはどれほどの戦闘員が乗り込んでいるのかわからなかった。
 次郎は意識がもうろうとしていたが、
「矢を抜いてください。状況がわかりません」と僧にいった。
 下の甲板で怒号がきこえる。船倉を破って甲板に出てきたイスラムの捕虜が騒ぎ出したようだ。
                        平成二十六年十一月六日