ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

今年初めてのエッセイ教室だった。

今日は先生や参加者のみなさんから多くのアドバイスをもらった。
鎌倉時代のはじめ、石堂川に橋はかかっていないだろう。とか
そもそも、石堂川が今のようには流れていたのか、比恵川はどうだったのか、など
当時の社会のようすを、会話のなかで説明しようとするのはむつかしいだろう。とか
主語がないのは日本語の特徴でもあるので会話を入れるときは誰が言ったのかを
会話だけで分かるように工夫できるとおもしろい。とか
話の展開にもう少しメリハリがあると読みやすい。とか
ありがたかった。それで、家に帰ってかなり書き直した。


栄西と為朝と定秀                    中村克博


その年の夏が過ぎて、遠くに見える田畑の畔(あぜ)には彼岸花の赤い色が目につくようになっていた。聖福寺を出た騎馬の一行は比恵川をわたって博多からの官道を八木山に向かっていた。騎馬のほかに荷駄が六頭ひかれて、その後ろには護衛の騎馬武者が物々しく続いて、すでに一時(二時間)ほどになる。篠栗の村をすぎると刈り入れの近い稲は黄金色の頭を下げて、道の左手に沿って流れる川は数日まえの雨で勢いを増していた。
「行忠様、お水を少し飲まれたらいかがでしょう」
沙羅が後ろから声をかけたが、流れの音で届かないようだ。馬をよせると行忠が気づいて笑顔をむけた。もういちど沙羅は大声をかけた。身近な介抱で世話焼きが身についたようだ。
「なにか言われたか、水がいかがした」
行忠が振り返った。沙羅は瓢(ひさご)を手に飲む仕草をした。行忠は笑顔で二度うなずいただけだった。なだらかな上り道がうねうねと続いて人馬はもくもくと歩いていた。正午に近くになると日は若杉山の上に輝いて残暑の日照りは強く馬の背も腹も汗でぬれて脇腹には白い泡も目についた。騎馬の先頭が馬を下りて手綱を轡(くつわ)の近くに持って向きを変えた。聖福寺につめる前田鍵弾だった。続く二騎の武士も同じようにした。道を少し下りると蒲の穂が一面に見える沼が広がっている。馬に水を飲ませるようだ。荷駄をひく人たちも後に続く護衛の武士たちも、みんな水飲み場に向かって草の斜面を歩いた。
「行忠殿、お怪我をされてから初めての長旅、ご自重くだされ」
栄西が声をかけた。行忠はその言葉に低頭して手綱をゆるめて馬に水を飲ませている。栄西の馬は手綱を鞍に結わえられて行忠の馬に並んで顔を蒲の沼につけていた。先ほどまで聞こえていた濁流の音が遠くに聞こえて代わりにセミの声がする。川は蒲沼の先の谷あいを流れていた。水を飲んだ馬は草を食んで、ときおり小鳥の声が聞こえる。沼の水で顔を洗った行忠は手拭いをたたんで懐に仕舞いながら、
「腕の骨は元通りになりましたが、ときおり立ち眩みがいたします」
 沙羅が行忠の馬の鼻づらの向こうから目を出して二人の話に耳をすましていた。
「そうですか、落馬のおり、頭を打って首の骨も痛められたようでしたな。お若いし、鍛えた体で回復がはやい。むしろ闘病などの何もできない逼塞の期間はありがたいのかもしれぬな」
沙羅が何か言いたそうに伸びあがるように顔をのぞかした。
聖福寺に三か月余りご厄介になり、おかげで栄西様にしばしば拝謁できました。傷が癒えたあと養生のあいだはもっぱら座禅をしておりました」
 沙羅が「あ、ぁあ〜」と言いながら蒲の沼の中に入っていった。足を滑らせたようだ。行忠は手を伸ばして助けようとした。栄西は微笑みながら話をつづけた。
「三か月、夏の間、いろいろありましたな。戸次惟澄殿は大友能直の孫、重秀殿を養子にしたようです」と言いながら行忠の手を取る沙羅のようすを見ていた。
「戸次惟澄さまは惟唯様のお父上でございましょう。なのに大友などから養子など、なぜに」
沙羅が沼に膝まで浸かったままで言った。栄西は沙羅をさとすように話をはじめた。
「建久年の今年、四月に大友能直(よしなお)殿が豊後守護職に任じられますが、その前に古庄重能(ふるしょう・しげよし)殿が大友軍一八〇〇の兵を率いて立石(別府市)の浜脇に上陸したのはご存知であろう。大野泰基殿は大神一族の面目をかけて抵抗し、地の利を生かして巧みな戦ぶりで大友軍に思わぬ損害を与え続けましたな。能直殿は、大神一族の手ごわさを思い知らされる。それで、緒方惟栄殿を頼朝様の使者として豊後に向わせることとなった。十年ぶりに豊後に戻った惟栄殿は大神一族の本陣、神角寺山に向うことになる」 
沙羅は濡れた袴の裾をしぼって、栄西のそばに片膝をついた姿勢で話を聞いていた。栄西もしゃがんで話を続けた。行忠は一人だけ立ったままでは具合がわるいようで会釈して草叢(くさむら)に腰をおろした。
「大神一族の棟梁である惟榮どのが神角寺山の陣にはいると間もなく戦闘はおさまり、大野泰基殿は自害し豊後の大神一族は大友に、いや鎌倉に恭順することになる」
栄西はそこまで話すと一息ついた。すると沙羅が思わず口をはさんだ。
「緒方惟榮様は、むかし為朝様の先陣を駆けたつわもの、戸次惟唯様の叔父であられますが、その命を受けて今年の正月、為朝様や行忠様を英彦山におそわれましたな」
それに行忠がこたえて、 
「為朝様が英彦山に居られることは鎌倉にとってこの上ない脅威です。九州の武士団はもともと為朝様に集合しておった者たちですからね。それが、もし鎌倉と争うことになれば、ことは豊後だけではおさまりません。九州から中国、四国へと戦乱は続き、そうなれば、この国はどうなることか考えもおよびません」と沙羅をさとすように話をついだ。
「その戸次惟唯様が今は壱岐の島で為朝様にお仕えするとは」と、沙羅は言葉をのんだ。
「豊後での騒乱がおさまり、為朝様が英彦山を去って西の海に出られると鎌倉は安堵して、豊後を支配する礎(いしずえ)を固めましょう。戸次などの大神一族と次々に血縁を結ぶのは地元の勢力と大友との融和の方策でしょう」と行忠が言った。
「それで惟唯さまは大友の孫と義兄弟になりますのか、もう沙羅にはわかりません」
「緒方惟榮殿は大神一族の存続のみを使命としておられます。為朝様は源家を皇室の藩屏として、保元の乱から源平の争いも、皇統のみだれ、皇室の内紛に原因がありますが、為朝様は皇室の安寧を守ることを使命としておられます。お二人は、それぞれ使命は違いますが、おのれの存在が使命の害となればどうされるのか」と行忠が栄西を見たが、栄西は目を閉じていただけだった。

前田鍵弾の声がした。年老いた農夫を従えている。農夫は竹籠をしょって、犬をつれていた。
栄西様、瓜(うり)のとりたてを買ってまいりました」
 農夫は竹籠をおろして膝をついてお辞儀をしている。前田鍵弾は両手に黄色に熟れた果実をとって栄西に手渡した。沙羅にも行忠にも手渡した。警固の武士や馬丁たちにも一つずつ手渡してまわった。栄西は刀子を取り出して瓜の皮をむき半分に切って沙羅に手渡した。傍にいる農夫に声をかけた。
「りっぱな瓜ですね。値(あたい)は、いかほど、じゅうぶんですかな」
「ぴかぴかの宋銭をいただきました。ありがたいことです」
胸元から懐紙にくるんだものを取りだして押しいただいてみせた。農夫が、からになった竹籠を背負って去ると、
栄西様、まもなく荷駄を引き渡す刻限です」
前田鍵弾は馬の口を取り直してつげた。
「そうですね、しばらく官道を上って左の脇道に入るのですね」
 栄西はやおら腰を上げた。

 みんな馬を下りて細い急な道を歩いていた。本道から離れた小道は空が見えないほどの樹木の中を通っているが右手の谷には流れのはやい渓流が音を立てて、その上には木洩れ日が差し込んでいた。風がなくて蒸し暑かった。行忠は先ほどから人の気配を樹木の中に感じるようになっていた。ほどなく上りの先に開けた場所が見えてきた。そこは明るかった大勢の姿がみえた。
「暑い中、ご苦労おかけしました」
人の中から声がした。
「お待たせしました。おう、久しぶりでございますな」
前田鍵弾は顔見知りに気づいて、なつかしそうにこたえた。
挨拶はそこそこに、二頭の荷駄から積み荷の薦(こも)包みがおろされた。一頭には五つの薦包みがのせてあった。薦包みは十人の屈強な武士の背中の背負子にそれぞれ結わえつけられたが、その前に中身の改めがおこなわれた。
 荷を改めるようすを解せぬ顔をして見ていた沙羅が、後ろにいた栄西に寄り添って、 
「銭のようですね。あれほどの、さし銭、見たこともありません」
上目づかいに小声で言った。
「ちかごろ届いたもので、薦包み一つに五千枚の宋銭が、紐をさし通して五貫文分、ですが大勢の人たちを賄うのには、それに宋銭の通用しない地域もおおいので、むつかしゅうございます」
栄西は暗くてよくは見えない人たちの作業をみつめていた。蚊の羽音がした。
「平家の人たちでございますね。まだ、この近くにも大勢おられますのか」
「壇ノ浦から一〇年、この近くには大勢はいません。平家の人々は山深くに離れ離れにくらしておられます。田畑を耕して作物を作るのも狩りにもなじんでいますが、もうしばらくのたすけがいります。この銭は山の道を五家荘や椎葉の地まではこばれていきます」
栄西がつぶやくと高い梢(こずえ)に風が吹いて木洩れ日が差した。沙羅は栄西の目に涙がうかんでいるのを見た。蚊の羽音がする。
 それからしばらくして、荷の改めがすみむと、山の中から絶え間なく人が出てきた。山歩きになれた武士たちで、背負子で運ばれるものを守るようにふたたび山の中にきえていった。そのようすを見届けて忠行が栄西のもとにやってきた。
「このまま、この山道を進もうと思いましたが、何ともやぶ蚊がおおくて官道に引き返します」
「そうですか、官道なら馬にも乗れますな」
「あ、その、そのまえに、しばらくお待ちください」
沙羅が沢の方に下りようとした。沙羅は木の枝をつかみながら、そそくさと沢の方に下りて行った。行忠は栄西に黙礼して沙羅の行く手の気配をうかがった。栄西がほほえんだ。
「瓜は水気がおおいですからな」
「行忠様、沙羅はもう子供ではありません。ついてこないでください」と行忠をふりかえった。

 栄西の一行はその日、八木山の庄屋の屋敷に投宿した。あくる日は八木山の峠をくだり飯塚から烏尾峠を越えて添田地侍の館に夕刻に到着して夜を明かした。朝餉はなしで日の出るころ添田をたち昼前には英彦山のふもとに着いた。定秀の屋敷では食事の用意をして一行をまっていた。簡単な食事であったが新米を特別に白米にしての炊き立てはおいしかった。食事の後、栄西と行忠と沙羅は定秀に案内されて離れの部屋にうつった。 
「八木山もそうでしたが山は稲刈りの時期が早い。それに拙僧は白米は久しぶりです」
「きのうの知らせですが、緒方惟榮殿がみまかれたようです」
「そうですか、世の変わりめには役目を終えた人々がおおぜいでますな。新しい役目を担う人たちが、その人たちをどのようにあつかうのか」
「平家の人たちを我らがどうするか、そのようなこともですね」
沙羅は八木山の森で出会った平家の人たちを思いうかべていた。
「役目を終えた人たちも、我が身をどう処するのか、観念は人それぞれ」
 定秀のこころなし沈んだ声を聴いて行忠が口を開いた。
「惟榮様はどのようなご最後であったのでしょうか」
「大友の館で、突然の自然死か、あらかじめの謀殺か、自害の示唆かはわかりません」
「世はうつろいますが、どのように変わるかがその国の品性になりますな」 
「厳粛な葬儀が大友のはからいでなされたよしです。荷駄の銭は大友まで、どのように運びますか、栄西様も豊後まで行かれますのか」
「いや、大友から受け取りがまいります。四頭の荷駄、百貫文分の宋銭はすべて英彦山から豊後の大友に寄進されることになります。豊後の民も少しは負担が軽くなる」
「為朝様は、いまごろ、いかがしておられましょうか」と定秀がいった。
                                平成二六年一月一六日