ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

午前中はエッセイ教室、夕方から居合の稽古

エッセイ教室のあと散髪に行った。5分で終わったと思った。50分は眠っていたようだ。

昨夜は満月だった。特別に大きな満月だった。写真がうまく撮れない。

エッセイ教室のあとハーバーに行った。水タンクを満タンにしてデッキを洗った。


今日の栄西と為朝と定秀はこんなだった。


栄西と為朝と定秀                    中村克博


 月読神社への参道にはいると、一之宮から同行した芦辺の一〇騎は先頭から次々に向きを変えて道に並行して馬の首をそろえた。一〇騎が見事に同じ動きをして一列の縦隊が後から後から横隊になって停止するさまに為朝は一瞬だが昔の記憶がよみがえるのを、しみじみと感じた。印通寺から道案内をつとめた二騎は騎馬のままで別れを告げて月読神社に向かう隊列を見送った。
為朝主従は客殿に通された。残照で外はまだ明るかったが広い板の間や柱には燭火が灯されていた。栄西や丁国安夫婦それに、ちかは、それぞれ個室に入った。旅装をといて、為朝と行忠や一〇人の武士たちは半数ずつ交代で屋外に出て用意してあった大きな桶から水を汲んで談笑しながら行水をした。
並んで二か所ある湯殿に蒸し風呂の用意がしてあった。格子の床から湯気がたち、大きな湯桶には外の湯釜から樋でお湯が注がれるようになっていた。焚口には老女が火の番をしていた。開いている無双格子の窓から湯気と一緒に声が聞こえていた。
「お疲れでしたね」くぐもるような、たえの声がとどく。
「強すぎる、もう少しやさしくしてくだされ」丁国安の声がする。
「久しぶりの遠乗りで楽しゅうございましたね」
「馬にあれほど長く乗ったのは初めてじゃ、股が痛い」
「禅師様は馬のゆれが心地よさそうでしたね。いまは隣の湯殿で目を閉じて・・・」
たえが手桶で湯を汲んで夫の背中を流す音がした。
「いや、さきほど部屋をうかがうと小さな盥(たらい)で手拭いを使っておられた」 
「そうですか、風呂は好まれませぬのか」
「いや、つつましいことなのだろう。代わりに、ちか殿がいただいておる」
「為朝様は昔、風呂で襲われ不覚を取られたそうですね。それで、行水ですね」
「いや、そうではあるまい。戦地にあって寝食は兵と同じようになさる」
壱岐は戦地ではないでしょうに」たえは夫の足元の水滴を拭き終えた。
「おかげで、いい気分じゃ、お先にまいります」と丁国安は湯殿を出た。
 夕餉の膳は厨房につながる広い板敷の部屋にしつらえてあった。部屋には間隔をおいて三か所に囲炉裏がきってある。丁国安夫婦が部屋に入ると、すでに為朝主従は静かな話し声の中で待っていた。上手の囲炉裏にはくつろいだ様子の為朝と栄西が見える。栄西の横には、ちかがいた。外は残照も消えて月明かりにかわっていた。丁国安は為朝の横に席をとった。
為朝が箸を手にすると待ちかねたように部屋がざわめいて会食が始まった。飯椀は灰白の磁器であった。蓋を開けると潮の香りがした。うにが、たっぷり炊き込んある。鰆の刺身が少し、あおさ汁、干し海苔にのった生うに、小鉢が二品、それに大根の漬物だった。汁の木椀のほかは、みな舶載の磁器だった。
「おかげで、いい旅でした。ありがとうございました」と為朝は礼をのべた。
「ほんとに、夜明け前に香椎をでて、日のあるうちに壱岐にあがれた」
 栄西は箸と飯椀を手にしたまま頭を下げた。 
「禅師さまは、まるで、うに飯にお礼を申されているような」と、たえが言った。
「やはり、うに飯は壱岐でいただくものは格別ですな、うぅ・・・」
 丁国安は、うに飯を口にほおばったまま口を利いて喉を詰まらせていた。口のものを出せもせず飲むこともかなわず、むいた目を白黒させていた。横のたえが、それに気づいてあわてて白湯の器を口元に運んだ。それを少しづつ、さらに大きく呑み込んでほっとした顔になった。それから、白湯をもう一口飲んだ。ところが今度は湯を詰まらせて咳き込んだ。うに飯が出ないように口を固く結んでいたので右の鼻の穴から飯粒が飛びだした。目には涙をためて飯椀とお箸を持ったまま鼻の下に飯粒が二つくっいていた。たえは笑いながら自分の袖口でそれをぬぐった。それまでのありさまを見ていたみんなは一緒に笑った。
「お見苦しいことをいたいまして、申し訳ありません」とたえが両手をついて詫びた。
「とんだ、ご迷惑をおかけいたしました」と丁国安が、まだ咳き込みながら言った。
「いやいや、おかげで、あちらの座でも気がほぐれて話がはずんでおる」
 為朝はそう言って幕下(ばっか)の武士たちの囲炉裏に目をやった。蝋燭(ろうそく)の明かりがゆらいで磁器が触れあう音がして楽しげな話し声が聞こえていた。
「それにしても、この神社は造りが堅固ですね。まるで山城の堡塁のような」
「為朝様、おおせのとおりかと存じます」と、ちかが恥じらうようにこたえた。
「ほう、ちか殿、それは、いかなることですか」と為朝がたずねた。
 ちかは箸を膳にもどして、遠くを見るようにこたえた。
「はい、古老の言い伝えですが、むかし北の海から、たくさんの船で賊が押し寄せ、壱岐を襲い老人子供は殺して、残ったほとんどの若い男女をさらって船で連れ去ったそうです。家は焼かれ、牛や馬は食べつくされたと聞いております。以来、神社や寺は堡塁で固め屋敷は濠を深く防備を怠らないようにしております」
 箸を使いながら、ちかの話を聞いていた栄西が話をついだ。
太政大臣藤原道長様が御出家されたころです。寛仁三年、一七〇年ほど前の出来事です。壱岐だけでも殺害された者三六五人、拉致された者一二八九人、牛馬の被害三八〇頭、焼かれた家屋は四五棟などです。賊はよく統御されており盾を持った弓部隊、集団での斬りこみ隊が二〇組も三〇組も繰り出して殺害、放火、略奪、拉致を繰り返し、また次の場所に移るなど策があり動きがたくみであったようです」
 為朝は記録文書を読むような栄西の話を箸を休めて聞き入っていた。
国衙国司はどうしておったのでしょうか」為朝が質問した。
「賊の襲来を聞いた壱岐守藤原埋忠は、ただちに兵一四七人を率いて討伐に向かいましたが、統率のとれた三〇〇〇もの敵にはかなわず全員が討ち死にします」
「さようですか、それで壱岐の神社や寺は造りが険固なのですね」と為朝はうなづいた。
「賊は牛馬を食べるだけではなく、犬も、さらには人までも・・・」と、たえが話した。
「その後、賊は筑前怡土、志麻、早良を襲い、さらに博多をうかがいましたが、太宰権帥藤原隆家により撃退されました。一連の侵攻を刀伊の入寇と申します。藤原隆家の子孫のながれが大化のころからの鞠智一族との所縁をもって肥後の菊地氏につながります」
 栄西は話題をしめくくり、白湯を口に運んだ。楽しみにしていた夕餉(ゆうげ)には、ふさわしくない話になって、ちかは自分の軽卒を悔いているようだった。丁国安は話にうなづきながら、うに飯のお代りを、たえに所望して二杯めの飯椀に、白湯をかけていた。 
「明日おたずねする、ちか殿のお父上の館は海に近いのですね」と為朝がいった。
「はい、馬で少し歩くと、川の向こうに見えてまいります」

 一夜明けると種類の違う鳥の鳴き声がいくつも聞こえていた。行忠は使い慣れた太刀で正中を一文字に、一振り一振りを丁寧に打ち込み続けて汗ばみ、額に流れる汗を手拭いで拭いた。北風が心地よく空は白々と明けていた。境内には為朝もいた。一〇人あまりの仲間のほかに芦辺の武士たちが数人いたが、真剣を振っても互いの間隔を十分とれる広さがあった。
ひとしきり汗をかいた行忠は、あらためて神殿の方向に向かって、しばらくのあいだ黙祷したあと、いつものように演武の稽古にうつった。いろんな場面の敵を想定して、まったく実戦と同じように斬りむすぶ。
影なる敵の目が動いて上段から打ち込んでくる。それを半身(はんみ)でかわしつつ敵に踏み込み同時に柄(つか)を引き上げ抜刀する。すでに敵の太刀は物打(切っ先三寸)が左の頬に斬りこむところ、抜刀時の切っ先を下げたままの鎬(しのぎ)で敵の一刀を受け流し、足をそろえて大きく振りかぶり斬り伏せる。敵が倒れる動きに心を残したまま、気配でまわりの状況を確かめ、背後からの敵を目付けしつつ振り向きざま横一文字に薙ぎ払う。さらなる新手が左手前方から打ち込むのを見さだめ、大きく開いた右足を引きつけ受け流して斬り伏せる。残心、正眼に構えなおして血ぶりのあと太刀を納めた。茫洋と遠くの山を見るごとく、行忠は次の演武にうつった。   
早朝の神苑(しんえん)をはばかるように声を出す者はいなかったが、空を切る刃筋の音と足運びの砂ずりの音が絶え間なかった。
為朝は地面に端座していた。目を半眼に、口は軽く結び、細く長くゆるやかな呼気で天空からの霊妙な気を丹田に練り込むようだった。為朝には、まわりで風を斬る太刀の音も、素早い摺り足が砂を蹴る音も、鳥のさえずりも聞こえなかったが無心ではなかった。先ほどから心にかかる思いがよぎっていた。
「お前はなんのために戦うのか、若い武者をどのような、よりどころで戦わせるのか」
英彦山で刺客に襲われ味方も敵も若い武者がおおぜい死んで傷ついた。気がいたく塞ぎ、日々の動きが衰えるのは、あのときからだった。
「反撃して人を殺傷したからではない。それは武門のならい、心の痛みにはならぬ」と思うがなぜか心がさいなまれる。歳をとったからだ、気力と体力の衰えに気づいたからだ。と思ってもみたが無理だった。そうではない、あのとき戦ったのは自分を守るためだったのが原因だ。
近くの山の稜線から出た朝日が半眼に開いた為朝のまなじりにわずかに触れた。小鳥のさえずりが聞こえる。今までの念が遠のいて右手前方に影の敵が現れた。剣を八相に構えて打ち込まんとしている。正面にも一人現れ、正眼に構えている。為朝の左右の膝頭が動き左手が静かに鯉口を切った。右手は軽く柄にかかってる。右手前方の影が打ち込んできた。為朝は右ひざを立て切り上げて敵の手首を制し、怯んだ相手には心を留めず正面の敵に目付する。左手は鯉口を持ったまま、太刀をおもむろに下げ隙をつくり目線をはずす。誘われて正面の敵が打ち込んでくると、すかさず左手で柄頭を引き上げ左足から飛び込んで受け流し振りかぶって斬り伏せる。
「えいいっ・・・」思わず大きく気合の声が出た。残心し正眼に構えて血ぶり納刀する。為朝の声で、みんなは太刀を収め静かに慎んで神殿に頭をさげた。演武で汗を流した後の若者たちの屈託のない清々しい笑顔に朝日がさしていた。
保元の乱でも、あまたの敵を射殺し(いころし)斬りむすんで屠った。その中には同じ源氏のかっての仲間たちも大勢いたが心がさいなまれるなど微塵もなかった。武運つたなく味方の軍勢が壊滅するまで殺戮される中を切り抜けたが自分を守るなどの考えは思いもつかなかった。いまの自分には命を捨てるだけの大義がない。いまは戦うよりどころがないのだ」
体の動きがとまると思考するわけではないのに勝手な思いが浮かんでくる。
鬱々(うつうつ)とした気持ちが顔に出ていたが若者たちはそれを、おごそかな、いかめしさだと思い違いしているのを為朝は知っていた。人の威厳など案外にそんなものかも知れないと、少し気が楽になったようだった。
                              平成二五年九月一九日