ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

昨日はエッセイ教室に行った。

風邪がひどくてマスクをしていった。夕方の居合の稽古はお休みにした。



栄西と為朝と定秀                    中村克博



 沙羅は宿院(すくいん)の一室で目覚めた。部屋の前の雨戸は閉まっているが少し離れた先の雨戸がすでに開かれ廊下の薄明りが障子に届いていた。離れた建物からは禅僧たちの勤行の気配が静かに伝わってくる。英彦山からこれほど遠くに来た経験は一五歳になるこの年までなかった。旅先で宿泊したのは初めてだった。新築の建物の柱や板の香りがかぐわしく匂って、沙羅は夜着の中でしばらく目を開いて天井を見つめていた。鳥の声が聞こえていた。
身づくろいをすませ朝げをいただいて部屋でしばらくすると栄西からの使いが来た。松林の境内を歩いて栄西のいる別棟に案内された。枝からおちる露で濡れた小道には切石が敷かれていて歩きやすかった。

玄関を通され暗い廊下をすぎると広い中庭をのぞむ部屋の障子が開け広げてあった。
「おはようございます」
 沙羅は自分の挨拶の声が大きすぎたのに恥じらった。
「おはようございます。昨夜は長旅の後、よく眠れたでしょう」
 挨拶をかえした栄西の前に先客の若い女性がすわっている。沙羅をみて口をほころばせて静かにお辞儀した。芦辺のちか、だった。
「はい、目がさめて、とっさ、ここはどこだろうと思いました」
 沙羅はうけこたえしながら、ちかに会釈した。二人は互いに自己紹介をして、栄西は火桶の茶釜の湯を注いで抹茶を点て始めた。
「戸次惟唯殿は寺の者と一緒に暗いうちからお仲間を迎えに出かけています。お昼までには聖福寺に到着するでしょう」
 沙羅は茶碗をおしいただいて、となりの、ちかに、かるく頭をさげた。茶の香りが鼻先にゆらいで口をつける前に目を細めてゆっくり息をした。
「もう一服いかがですか」
 栄西が、ちかに声をかけた。ちかは、嬉しそうにうなずいた。
「行忠さまの御容態はいかがでしょうか」
 沙羅は飲み干した茶碗を栄西にもどして、両手を膝に、姿勢をただしてたずねた。
「ちか殿が付き添って看病しておられます。だいじないと思いますが、いまはまだ動かない方がいいと宋医の青山(せいざん)先生にいわれています」
 沙羅はちかの方に膝を少しにじって両手をつき、ていねいに頭をさげて、
「芦辺のお姫様と聞きおよんでおります。そのような方にお世話いただいて、もうしわけありません。今日からは、わたくしがお代りして付き添います」
 ちかは、栄西がすすめた二服めの茶碗を手にして、
「行忠様のお怪我は、もとは私にも責めがあることです。ご懸念にはおよびません。それに私は姫などではありません。馬にも乗ります。船で嵐に向かうこともありますよ」
「行忠様がお怪我をされたときには、ちか様もご一緒だったのですか」
「はい、落馬されて、私がはじめに駆けつけました。すぐに傷の手当てをしました」
 栄西は自服の茶に少し多めの湯をたしていた。茶碗は小ぶりの天目茶碗で両手で包むと隠れてしまいそうだった。好んで使っている椀のようだ。 


「昼前には、惟唯殿は山越えのお仲間と聖福寺にもどられます。そのまま一行は小早船で芦辺に向かうことになっております。その折には、ちか殿もご一緒に芦辺に戻るようにとのお父上からの御伝言がございます」 
ちかは、栄西の言葉に不意な宣告を受けたようで、しばし意味がわからずとまどった。
「そのようなこと。行忠様のご容態ではまだ無理でございます。食もなく心配です。昨夜も痛みで、ねむっては、おき、ねむってはおき、しておりました」
 ちかは狼狽していた。不用意に出た「しておりました」の結びの一言が沙羅の気にかかった。
「行忠様の容態はそんなにわるいのですか、ちか様には一晩中付き添っていただいているのでしょうか、手の骨が折れているだけではないのですか」
 栄西は目をほそめて二人の言葉を心をこめるように聞いていた。中庭の沓脱ぎ石に小鳥が飛んできて部屋の様子を見るとすぐに飛び立った。
「いや、私の言葉がたりなかったようです。行忠殿は博多に残って傷の養生を続けます。芦辺に帰るのは、ちか殿だけです。英彦山からの戸次惟唯殿ご一行を芦辺にご案内ください」
 ちかは左手の指で右手をきつくにぎって栄西の言葉を見つめるように聞いていた。
「ちか様、ご案じなさいますな。私は行忠様とは五歳のときから英彦山の同じ屋敷うちで家族のように育っております。傍の人たちも実の兄と妹のように思っています。気心は知れておりますので互いの気遣いもありません。どうか、ちか様の代わりを私につとめさせてください」
 ちかの目が光って、ながれた雫(しずく)がゆるんだ手の上におちた。

 芦辺に向かう小早船は、先日ちかを博多にはこんだ同じ船頭だったが船は違う形をして大きく、二〇人ほどの水夫が乗っていた。空はどんよりと曇っていて風がなかった。袖ノ港を出て玄界島を過ぎるまで帆を降ろし両舷一二丁の櫓を水夫が交代で漕ぎつづけた。外海に出ると南寄りの東風が吹いていた。櫓を仕舞い込んで帆を上げると船は滑るように音もなく進み始めた。うねりはなく、暗い空を映した海原は遠くまでおだやかだった。
 ちかは、遠く壱岐の方を見ていた。暗い海と曇った空の境の色が同じにみえて壱岐の島影は判然としなかったが遠い海を見ると、ちかは心が軽くなっていくのを感じていた。
為朝や行忠と初めて会ったのは、五日前のことだった。唐泊から宋の交易船に乗って壱岐に向かっていた。あの日は今日とはちがい風が強く、うねりが高かった。ほんの五日しか経っていないのに長い年月が過ぎたような妙な気分がしていた。
 東の空が明るくなって雲が途切れている。風が少し強くなったようだ。雲の合間からときおり日が差し始めると鄢い海が明るい萌黄色にかわっていた。屋形の下に、うずくまっていた英彦山からの武士たちが帆柱の近くに出てきた。帆の影にならないように甲板の上に場所をさがして、おもいおもいに陽だまりを楽しんでいる。戸次惟唯は舵取りがいる艫屋形(ともやかた)の中からみんなのようすを見ていた。梶棒を持つ船頭が塩のふいた烏帽子をかしげて右手の方を見た。
「右舷のかなたに、うっすら見える島影が小呂島です。天気がよければ、その左手に対馬の山並みが望めます。対馬の西岸からは高麗の国が見えます」
 惟唯は、我に返ったように船頭の顔を見て、その先の遠くの海に目を移した。船頭は日焼した皺の多い顔をほころばしていた。
                               平成二五年一二月一九日