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はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

福岡黒田藩伝柳生新影流の奉納が香椎宮であった。

曇り空に時たま霧のような雨が漂っていた。

今年は現在の長岡鎮廣氏が第一四代宗家を継承して一五年になる。

居合の奉納の前に神事が行われた。

御幣が鈴の音と共に振られ宗家は額づき榊を供された。これまでを深謝しこれからを祈願をされたのだろう。

全員で刀を捧げ神殿に刀禮をして、宗家の四方拂の儀式が行われた。

僕は演武の最初に出してもらったので参加者みんなの写真が撮れた。剣士の技もいいが迫力ある写真になった。

上手な人は技にメリハリがある。緩急と間が一連の動きの中に流れる。

一瞬だが目は剣の動きに先駆けて敵をとらえ見据える。目玉が大きいので参考になる。

女性剣士の技はしとやかなさまがある。しかし、斬る気配を隠すのなら面妖でもある。

高段者の演舞だが刀の動きは目に止まらない。真剣であんなことよくできるもんだ。と密かに思ってしまう。

藤田師範は流派の技の奥深いところを見せている。めったには見れない。

宗家とマイク師範の斬試があった。真剣の示威運動ではない。大切な神事だとおもう。

活人剣の演舞。兵は不祥の器なり、切るとばかりおもふはひがごと也、
さらに、懸待一如、有無の拍子、水月、心を返す、などと続くがその意味は
柳生但馬守宗矩が起こしたという『兵法家伝書』を見ても僕にはまだわからない。

清水師範と山崎さんとの小太刀の組太刀、息があっている。

勅使が使う有り難い建物を提供された。新影流は大切な伝統文化なのだ。

頭山満の揮毫した書が架かっていた。左の文字は何と読むのか、
宗家と師範が口をそろえて、忠孝と読むと。すでに忘れられた言葉だ。
戦後六六年たった。そろそろ根っこがあるのを思い出してもいい頃だろう。