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はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

今日のエッセイ教室にだした原稿は「門弟の募集」

居合道場の柳心会が会員の募集をしている。夕方は居合の稽古、道場の稽古の様子を写真に撮った。

夕方七時から始まる居合の稽古のようすを写真にした。マイク師範が新入会員に指導していた。

マイク先生は初歩の指導にも全身全霊で、真剣さといっしょに謙虚な優しさもつたわる。    若い師範の指導態度もとても丁寧だ。
旧約聖書に「モーセは乏しい」とあるらしい、修業がすすむと人は謙虚になるようだ。

宗家も道場を動きまわって、気軽に指導してくださる。  新人に最古参の師範が入れ代わり話しかける。一見、怖そうだが優しい人だ。

入門して始めは作法の指導を基本から教えてくれる。   今日は木剣組太刀の稽古があちこちでされていた。

老熟な先輩の指導を見ていた。  宗家がピンポイントで口伝の教えをさずけてくださる。


今日のエッセイ教室教室に提出した原稿は、
      門弟の募集                    中村克博


 僕が所属している居合の道場が会員の募集をしている。これまでは入会を随時受け付けていたのだが会として積極的に募集を表明したのは僕の記憶では初めてのようだ。先週の稽古始めのとき宗家がみんなに協力をお願いされ、事務局から会員募集のポスターが配布された。僕はその趣旨に応じて自分のブログに入会者を募るための記事を掲載した。写真を三十枚ほど展開して、その下に道場内外での様子を簡単な文章にした。始めの写真は宗家とマイク師範が香椎宮で奉納する真剣でおこなう組太刀の一撃をのせた。そのあとに高段者たちが演じる組太刀の写真がつづく。
道場での厳粛な昇段試験の雰囲気も老若男女をなごやかに写真にして紹介した。試験会場に張られる幔幕に文字がみえる。居合道場の名称が「柳心会」であること、福岡藩伝承の正統な柳生新影流の道場であること、現在は長岡源十郎鎮廣が十四代宗家として道場をあずかっている旨が書かれている。そのことを黒田家の当主と黒田家家臣の会、籐香会が連名で証明している。
筥崎宮で毎年おこなわれる五月二十七日の日本海海戦を記念する「日本海海戦記念大会」の奉祝行事の写真を掲載した。式典の前に長岡宗家と師範たちの居合の演武が奉納される。神官が総出で並ぶ前で陸海空、三軍の将官がそれぞれ神殿に参拝して祝詞があげられ巫女が舞う。各界の代表には東南アジアの国々の招待者も見える。その中に黒田藩伝道場、柳心会の宗家と師範が参列している。 
道場の様子も写真で伝えたいが、これまで撮った一人稽古の写真は背景に掃除道具が見えたり、絵になるものがない。探しているうちに老熟な先輩が女性剣士と組太刀をしている一枚にいいのが見つかった。若い女性に右肩を斬り下げられた高段者の憐れな後ろ姿がなんとも嬉しそうで、背景に摩利支天様の掛け軸もあるし、これをポスターにすれば女性の入門者が押し寄せること請け合いだと思った。この日は、ちょうど、どこかのテレビ局が取材に来ていた。
そのあくる日は穂波町の田舎の湖畔で斬試会があった。昨日のテレビ局が同行取材した。宗家の逆袈裟斬りやマイク師範が太巻きの藁を斬ったきれいな切り口を見た女性レポーターが驚く様子の写真をのせた。それを見ていた斬試に巧みな剣士が負けてはならじと、一抱えもある巻き藁を運んで斬り台に乗せた。みんなが一斉に注目した。愛刀の肥前国忠吉を振りかぶった。
「やぁ〜っ」… 刀は巻き藁の中ほどで止まっていた。
食い込んだ刀を引っこ抜いて、
「きぇ〜ぇ」… やはり中ほどで止まった。
太巻きの真ん中にはモップの柄ほどの青竹が仕込んであった。
「ぎぇ〜〜ぃ」… 
レポーターの姿は見えなかった。
この様子は連続写真で掲載した。見れば今でも笑いが出てくる。
斬試会の後は囲炉裏を囲んでの、もつ鍋会だ。飯塚での斬試会では恒例になっている。もつ料理は大正か昭和の初めころ、トンちゃん、とかホルモン焼といって炭鉱時代の炭住で広まったようだ。近年、博多で女性も食べる上品なものではない。そのころは厚い鉄板の上で豚か牛かの、分けのわからんいろんな部位の内臓をぶつ切りにして、ニンニクたっぷりの甘辛い味付けで豆炭七輪にのせ強く焼いて、味がしみ込んだのをみんなで囲んで熱いのを、ほーほー言いながら口に押し込んでいたものだ。

いまの時代に居合の稽古をするのはなぜだろう。その理由がわかれば会員募集の方法も的を得たものになる。刀が武器である以上、道具としての使用目的ははっきりしているのだが、まさかその効用のために居合の練習をする人はいまい。しかし、稽古は、いかに人を傷つけ殺傷し威圧するかの練習にはちがいないが…
研ぎ澄まされた日本刀の美しさや鍔、目貫、縁頭などの芸術性に興味を持つ人もいるだろう。華道や茶道にみられる洗練された、お稽古事としての要素もあるかもしれない。また日本文化の精神性から言えば弓道に近いのかもしれない。鎌倉時代から室町時代、江戸時代から近代へと刀の用法の変化から歴史や物語を洞察する楽しみもあるだろう。相撲や柔道、剣道や空手などの闘技として、あるいはスポーツとしての要素もあるし、ヨガや太極拳のように体をゆっくり、あらゆる方向に動かす動作から心身の機能を復活涵養して養生するはたらきもあるはずだ。本物の真剣を使って居合の稽古と鍛錬を重ねることで武士道を論理だけでなく疑似体験して感じてみたい人もいるかもしれない。
そして、そのような現代の居合を実践しようとする人を募集するには、どのような層の人が対象になるのだろう。2015年(平成二十七年)以降、日本刀がブームになっているらしいが、これらの現象を支えているのは若い女性だそうだ。それならカジュアルな刀剣展示会など天神でやれば時流に合う居合の啓蒙活動になるだろう。
その折、刀にまつわる歴史背景と挿話を合わせてやるのはおもしろい。「童子切り安綱」は平安の頃、京の大江山に巣くっていた酒呑童子の首を源頼光が切ったはなし、「小夜左文字」は地元、筑前左文字作、十五歳の少女が父殺しの浪人を短刀で討ち取ったはなし、「へし切長谷部」は台所の御膳棚の下に隠れた茶坊主を信長が胴体ごと圧へし切った刀、これは現在、福岡市博物館にある。時代をへて伝わった刀には、それぞれに物語がついていて、このような話はごまんとある。体系たて女性向の講演ができれば人気のセミナーになりそうだ。
もう一つの居合を勧められそうな層に定年退職した高齢者がある。総務省統計局のホームページだったか、団塊の世代は1947年(昭和二十二年)から1949年(二十四年)のあいだに生まれた人たち、その間の出生数は約八百万人とされる。その世代は、2017年から七十歳になる。心身健全で退職して新たな生きがいを求めている人たちだ。仕事をしている人や探している人(男性)の割合は、六十歳から六十七歳にかけて、九割から五割に徐々に低下していくとされる。そして、日本の総人口に占める高齢者(六十五歳以上)の割合は、27.3%(平成二十八年(2016年)九月一五日現在)、この年齢層が時間にも生活にもゆとりがある。物質的な合理性を求めていた仕事から、武士の精神性とのふれあいを求める、居合の稽古をするかもしれない最大の対象者になるはずだが…。
平成二十九年二月一六日