ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

昨日、「気楽にエッセイ」の教室に出かけた。

山は小雪がちらついていた。 天神は小雨だったが強い北風は冷たかった。 
今回のエッセイはこんなだった。


  「ゆうメール」で届いていた。              中村克博  


 八木山の自宅に帰りついて、車のドアを閉めると外は意外と明るかった。吐く息は白かったが寒くは感じなかった。顔を上げると大きな月がかかっていた。上半分は雲に隠れて下の半分にも薄い雲がたなびき始めていた。今月は十日が満月だったので一三日の今日はまだまん丸に近いはずだ。ベランダを通ってグリュックの犬小屋を覗いたが真っ暗だった。毛が黒いので暗闇との見分けがつかないのだ。僕が夕暮れ時を過ぎて帰宅するとグリュックは出迎えてくれない。「グリュックただいま」と言っても鼻も鳴らさない。いつもなら夜遅く帰っても小屋の中から鼻くらい鳴らして応えるのだが今日はそれもなかった。

自分の部屋に入って明かりを付けると「ゆうメール」で書籍のつつみが届いていた。送り主は神崎猛、田川郡香春町… とゴム印が押してあった。ほう、彼は香春町に住んでいるのかと思った。宛名の名前が間違って「克彦」になっている。僕は退職してから名刺を持っていない。すでに五年になるが不都合を感じたことはなかった。時々名前を間違われるがそれは仕方がないと思っている。この人と初めて名前を交わしたのは今年の五月の初めの頃でそれから夏が過ぎ秋が過ぎて山はすっかり冬になった。神崎さんはハーレーダビッドソンのオートバイに乗ってやて来る。風防のないネイキッドタイプで飾りのない黒い精悍なデザインだ。がっしりした体型に口ひげを蓄えて顔の見える小さめの黒いヘルメットを被っている。

 林野庁の「森林・林業再生プラン」では、平成三〇年の木材自給率を現在の二四%から五〇%にする計画らしい。そのためだろう今年のはじめの冬が終わる頃から八木山でもあちこちの山からチエーンソーのエンジン音が聞こえていた。その音がだんだんに我が家に近くなって。四月になると木を切る人の姿が家の庭から見えるようになった。ついには顔を合わせるようになって挨拶から言葉を交わすようになった。その人が神崎猛さんだった。はじめのうち二人の会話は森の話や山の話だったが、バイクの話から互いの家族の話になって、実は彼が若い頃から小説を書いていることを打ち明けた。 

つつみ紙を開いて本を取り出した。「九州文学」の二〇一二冬号、平成二四年一月一日発行と表紙に印刷されていた。目次を開くと小説のジャンルの中ほどに神崎たけし「帰郷」とある。本の中程に親指を入れて数枚ずつページをめくった。二一九ページだ。
「倒産寸前の運送会社を畳み、家も土地も何もかも売り払って債務を完済すると、通帳には僅かな残金だけが記されていた。」
すでに草稿のコピーで何度も読んでいた冒頭の書き出しだった。こうして製本されているのを読むと全体の内容まで違っているような感じがした。木こりの神崎さんがこれまでに書き溜めている小説はこの他にもかなりあるようだ。そのうちの幾つかのコピーした原稿を今年の春ころ読んだことがあった。今回九州文学に掲載された「帰郷」もいいと思ったが、ほかに二編印象に残っているものがある。

題名は伏せるが、それは田川の香春岳城が落城するまでの城下町での出来事を書いていた。室町時代の頃だ。町役場で史実を調べて、土地の古老の記憶する昔からの言い伝えを聞き集めて、城あとの発掘をするために金属探知機まで買い求めるような人だ。
さらにもう一編は、筑豊の石炭産業が隆盛だった時代から半世紀も過ぎ去ったころの遠賀川流域での出来事をハードボイルドな筆致で軽妙に書き進んでいる。主人公の少年を軸に話が展開されていくのが裏社会の話を陰湿にしていないのだろうと思った。木こりの小説家、神崎たけしの何編かを読んでみたが、どの作品にも推理小説のような趣向があるようだ。

神崎さんは五十歳前後だろうか、若い頃から一人で少しずつ書いていたようで、これまでどこにも所属したことがなかったらしい。ほんの数箇月前に九州文学の同人会に参加して作品が取り上げられたのだから長年の想いが叶えられて嬉しいだろうと思う。
       
                     二〇一二年 一二月 一五日