ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

第五週の金曜日だが、エッセイ教室は開かれた。

先生がいつもの時間になってもおいでにならない。なぜだろうと、みんな騒いていた。
休みだと感違いしたわけでなく、ただの遅刻だった。面白かった。
今日提出したのはこんなだった。




    犬を家の中に入れること               中村克博


 僕はこれまでの人生で犬を家に上げる発想はなかったが、ひと月ほど前から飼い犬のグリュックはベランダのガラス戸から家の中に出入りするようになった。日差しが強い日など当然のように侵入して台所の前の板張りにごろんと横になる。雨が降ってもガラス戸を鼻で開けて入ってくる。そのとき風が強いと雨が廊下に降り込むことになるがお構いなしだ。ガラス戸を前足の爪に引っ掛けて少し開けて、後は鼻を突っ込んで顔を右に向けると重たいガラス戸がスッと開く。鼻をうまく使うもんだと感心するが、このように鼻先を器用に使うのはグリュックだけの特技ではない。
猪なども畑の芋を掘るのに鼻を使っているようだ。現場を見たわけではないが、猪は道端の湿った土をほじくってミミズなどを探す時にも鼻を使っているらしい。ぬかるんだ土の跡をよく見ると蹄より鼻の形が多く目に付く。けわしく食事をするには足よりも鼻のほうが口に近いし、臭いでミミズを探しながら食べるにはそのほうが便利なのだろう。鼻といえば猪の鼻は豚の鼻に似ているがグリュックの鼻はもう少しスマートだ。それにグリュックの黒い鼻には左右に溝がある。これは獲物に食いついたとき鼻穴が塞がれても息ができるようにとの配慮なのだろう。更によく見ると鼻の表面は揚げゴマ団子のようなつぶつぶが表面をおおっている。黒ゴマを使ったゴマ団子だ。それに比べて猪の鼻はどうなっているのか、よく見たことがないので白ゴマ団子になっているのかは分からないが鼻のサイドに溝はない。グリュックは時々鼻を鳴らして意思を伝えようとする。昼寝をしているとき横を通ると目は開けなくても、きまって鼻を鳴らす。話しかけるとたまに鼻を鳴らして応えるが、猪のように鼻だけを上に向けたり下に向けたりはしない。顔は動かさずに鼻の穴だけが右を向くこともない。
一方、グリュックと猪は食性が似ている。グリュックはミミズなどは土ごと食べる。タケノコは鍬で掘り出して三、四つ置いたまま次のを掘っていると後ろでグリュックがかじっている。猪の場合は人が掘る前のまだ土の中にあるうちの小さなタケノコを食べているようだ。猪は山芋を見つけるのも上手い。散歩の時にすり鉢状の穴を見ることがある。大きいのは直径が一メートル程もある。深さも一メートル近い。猪がほった穴だ。その奥の中心に途中まで食べた山芋が白く見える。途中でやめるのは、それ以上深くなると上がって来れないからだろう。夢中に食べていて上がって来れなくなった猪がもがいていると面白いだろうが、そんな話は、まだ聞いたことはない。グリュックは山芋の穴は掘らないが、山芋の実はよく食べる。秋が深まる散歩のとき、山芋のムカゴを見つけると僕はポケットにいっぱい詰め込む。それを歩きながらポリポリ食べる。ときどきグリュックにも投げてやる。ほとんど噛まずに飲み込んでいる。
散歩の途中にグリュックが鶏を捕まえて食べたことがある。最初はまだ二才になる前だったと思う。グリュックがいきなり竹やぶの中に飛び込んでいった。竹の触れ合うざわめき中にけたたましい鳥の鳴き声がしばらくしていた。それが静かになって、枯れ枝を踏む足音がしだいに近づくとグリュックが顔を出した。口に白い鶏をくわえていた。鶏は首を長くだらんと垂れて足を揃えていた。グリュックが竹やぶから出てくるすぐ後からもう一羽の鶏がひょこひょこと付いてきたのには驚いた。低い草が生えている中を少し歩いてグリュックは後ろをゆっくり振り向いた。グリュックの口から鶏が放たれ草の上にころがった。
これから先を書くと長くなるが、いずれにしてもこの時にはグリュックは鶏を食べなかった。僕があまりにも驚いて、どうしようかと、とにかくこの場を離れようとグリュックを急き立てて走り去った。グリュックは残念そうにしていた。二度目はそれから一年ほど過ぎた別の山道で、木立の中に二羽の白い鶏を見つけた。グリュックはすぐに一羽に噛み付いて羽をむしって食べ始めた。僕はやはりびっくりしたが、この時は止めることはしなかった。見ていると上手に解体する。前足でしっかり押さえつけて胸の骨を肉ごと大きな口で加えて引きはがす。腹の中に鼻を突っ込むようにして内臓から食べ始めた。顔中が血だらけで目は野獣のように輝いて見えた。その殺伐とした情景よりもグリュックの目の方が怖かった。この時も、もう一羽の鶏は逃げずに近くで首を傾げたり頭を前後ろに動かしたりしていた。八木山の林や藪の中にはたまに鶏がいる。それも立派なのがつがいでうろうろしている。たぶん誰かが愛玩用に飼っていたのだろう。人が近づいても逃げないことがおおい。
猪は鶏と遭遇するとどうするのだろうか、猪が鶏を食べる話は聞いたことがないが。ここまで書いていて、ほかの用事があって出かけた。三時間ほどの用事が済んで、うちに帰って妻とお茶を飲んでいた。妻は夕食の用意もしていて台所に火を見に行って戻ってきた。「エッセイ書けましたか、ちょっと読んでいいですか」と言った。一ページ目は「あ、いい感じ」と笑いながら読んでいた。二ページに移ってしばらくして、パソコン画面から目を離したり、また前のページに戻ったりそわそわしている。そしてマウスを湯呑に持ち替えて椅子を立った。やおら別の椅子に座り直して静かな口調で僕を非難し始めた。「犬にはそのような野生があることは私にもわかります。しかし、普通の人は飼い犬にはそのようなことはさせません」静かに冷静な話しぶりだが目を三角にしていた。今日の夕食には豚肉が使われていたはずだ。鳥肉だったらどうだったのだろうと思った。豚も鳥もスーパーの冷凍ケースのパッケージに並ぶ前は、などと野暮なことは言わないですんだ。グリュックが板張りに寝そべって前足に大きな顔をのせてさっきからこちらを見ている。
                     平成二四年六月二十八日