石垣がだいぶんできて来た。
少し要領がよくなって作業が楽になってきた。
はじめは力まかせに石を動かそうとしていたがテコの原理を使うようになった。
距離が伸びてくると水平がとりにくい。昔は水盛をして糸を引いていたが、
ネットの通販で見ると赤外線で測るデジタルの手軽な器具があるようだ。
コロナで休館になっていたが、昨日は二カ月ぶりにエッセイ教室があった。
貝原益軒を書こう 二〇 中村克博
騒ぎのあった三十石船は、陣笠に羽織姿の数人の役人が乗る二丁艪の舟が先導して船番所の前に碇を下した。三十石船がふだん停泊する場所からはそれほど離れた距離ではない。接岸はさせないようだ。番所には先に連絡が届いており十人ほどのたすき掛け抜き身の手槍を持った役人が岸壁に並んで待機していた。
久兵衛は強い日差しをはねて光る穂先を見て、
「なんとも大変なことになりましたね」と根岸を見た。
「こちらの状況が分からんので手堅い備えをしておるのだろう」
娘の親がポツリと小声で言った。
「キリシタンの武士がおったようで、面倒にならねば・・・」
娘がそれを聞いて親を見た。不安そうだった。そっと右手を帯に滑らせて封書をのぞかせた。旅手形を確かめるようだった。
しばらくして、被り物のない羽織姿の武士が三人乗り込んできた。緊張感も威圧するようすもなく船内を丁寧に見渡す顔に笑顔さえ見えた。事件の当事者でない船客は武士も町人も簡単な身元の確認がされてから順々に小さな渡し舟が次々と陸に運んでいった。
四人は番所を出て京街道を淀川の行き交う大小の舟を見ながら歩いた。少し遅れて荷物を持った下僕が二人ついて来た。にぎやかな街並みが続いていた。荷車を褌だけ下半身むき出しの人が曳いている。それを押す頬かむりの男もほとんど裸だ。馬子がのんびり轡をとる馬の背に、笠の周囲に薄い布を長く垂らした被り物の女性がいる。それを追いこすのは四人担ぎの竹駕籠で、粋な着こなしの女性がキセルを使おうとしている。徒歩の旅人の出で立ちはさまざまだ。荷物も笠もない身軽な通行人は近隣の人だろう。
久兵衛が根岸に声をかけた。
「さすがに東海道五十七次目の宿場、大坂街道の宿場、 淀川水運の主要な港、人も多いが町家の建物が立派なもんですね」
「わしは以前に京から大坂まで船で下ったことがあるが、陸を歩くのは初めてだ」
「そうですか、枚方宿は京都へ六里、江戸へ百二十八里、大坂へ五里の位置にあります」
娘の親が、
「奈良までも五里ほどですな、ただ、中ほどに生駒山がありますが」
根岸が、
「お二人は堺からおいでだそうですが」
「はい、堺から大坂まで船でまいりました」
「船は陸を歩くより早いのでしょうね」
「はい、ふだんは早いのですが、こたびは薩摩の黒砂糖を大坂沖で瀬取りする段取りがうまくいかず難儀しました」
根岸は驚いて、
「えっ、薩摩の黒砂糖を・・・」
「はい、薩摩の黒砂糖は堂島に運ばれますが、その前に大坂の沖で引きとればずいぶん安くなります。薩摩からの船は大きくて淀川を上れませんので、たくさんな渡し舟が小分けして運びます。その折に私どもの船も黒砂糖を積み込みます」
根岸はその薩摩の船が先日の事件にかかわると思ったが、それには触れず、
「それでは、お手前は黒砂糖の商いをされておるのですか」
「黒砂糖も商いますが、もともとは生糸交易が先祖からの生業でございます」
遠くを見ていた久兵衛が右後ろにふり向いて、
「大きな建物ですね、旅籠ですか、三味や太鼓の音が聞こえますね」
娘が小走りで近づいて、すぐに応えた。
「あれは鍵屋ですね、今宵はあちらに宿をとるようですよ」
すると、父親があわてるように、
「いやいや、鍵屋には泊まりません。いつもの旅籠です」
娘が、いぶかしそうに、
「さきほど、お調べの船でお役人に、泊まりは鍵屋だと・・・」
「そう申したが、鍵屋には泊まりません」
それを聞いて久兵衛は、なぜ役人に言ったことと違うのだろうと思った。役人は鍵屋と記帳していたが、嘘を言ったことになる。一行は立派な漆喰壁が続いている鍵屋の前を通っていた。下僕の一人が先を急いで、いつもの旅籠に到着を知らせに走っていった。
久兵衛が鍵屋を覗きながら、
「広い間口ですね、本陣のようにりっぱだ」と言った。
「もともとは淀川を行き来する過書船を待つ船待宿で、表玄関は京街道に、裏口は淀川に面しています。いちどは泊まってみたいと、楽しみだったのに・・・」と父親の方を見た。
過書船とは、本来は過書すなわち手形を持つ船の意。江戸時代では京都の宿次過書奉行の支配のもとで、淀川の貨客輸送に就航した川船をいう。
目的の宿は船番所から鍵屋まで歩いたのとほぼ同じような距離だったが表通りから少しばかり入った所にあった。旅籠と言うよりは閑寂で落ち着いた大きな民家の感じで、門を入ると水で清められた石畳が玄関まで続いていた。先についていた下男と宿の主人たちが番頭や女子衆たちと出迎えていた。久兵衛と根岸は中庭に面した座敷に通され、茶を飲むのもそこそこに風呂をすすめられた。
洗い場が広々していた。丸い湯船はま新しくヒノキの香りが清々しい。ヒノキ板を丸く絞めた竹の輪がまだ青かった。一人がゆっくり入れる大きさだったが二人は浸かることはしなかった。一つの手桶をかわるがわる使って体を洗った。
根岸が手桶を久兵衛にわたしながら、娘の父親のことにふれた。
「黒砂糖を扱っているそうだが、先日の鞆の浦での薩摩武士との立ち会いの一件は、どのようになったか、伝わっておるのか気になる」
久兵衛は手桶の湯を左肩からかけながら、
「そうですね、あれだけの黒砂糖横領事件から一連の出来事、予期せぬことですし、隠しおおせるものではありませんね
「夕餉のときに話がでるかもしれんが、こちらから問うてみるのもいいな」
令和二年六月十一日